先週の土曜日と今週の土曜日はブラタモリの放送がある。前半部の先週の土曜日は松山が扇状地であり、河の流れが何本にも分かれて現在の市街地を流れていたのをいまの石手川に流れをつけかえたというようなことがわかった。
今週の土曜日の放送では私の旧知の T さんがタモリの一行を案内しているらしい。ということで T さんを雑談会に読んで話を聞いたらどうかと思い出した。T さんは地学の研究者であるが、私の兄の友人であった K さんの教え子であったのではないかと思う。K さんももちろん地学の先生である。もっとも K さんは最近亡くなった。
私も勤めていた E 大学の私とは違う学部の T さんも K さんも先生であった。K さんは地学の研究の他に趣味とは言えないかもしれないが、洞窟学の権威でもあり、日本でも有名な方であった。毎年頂いていた年賀状には外国の洞窟を探検されたときの洞窟とかの写真がついていることが多かった。それに K さんが講談社から洞窟学の本をだされたときには、おめでとうと言いに行ったら、その書をもらったりした。講談社のblue backsは初版は数万部であるとかであった。
T さんの方はときどきネパールまで出張されて山岳の地盤のすべりの研究とか災害防止にも尽力をされていた方である。そういう大雑把なことを存じ上げてはいるが、詳しいことを知っているわけではない。今日帰宅したら、 T さんに電話をかけてみようか。
今週の土曜日の放送では私の旧知の T さんがタモリの一行を案内しているらしい。ということで T さんを雑談会に読んで話を聞いたらどうかと思い出した。T さんは地学の研究者であるが、私の兄の友人であった K さんの教え子であったのではないかと思う。K さんももちろん地学の先生である。もっとも K さんは最近亡くなった。
私も勤めていた E 大学の私とは違う学部の T さんも K さんも先生であった。K さんは地学の研究の他に趣味とは言えないかもしれないが、洞窟学の権威でもあり、日本でも有名な方であった。毎年頂いていた年賀状には外国の洞窟を探検されたときの洞窟とかの写真がついていることが多かった。それに K さんが講談社から洞窟学の本をだされたときには、おめでとうと言いに行ったら、その書をもらったりした。講談社のblue backsは初版は数万部であるとかであった。
T さんの方はときどきネパールまで出張されて山岳の地盤のすべりの研究とか災害防止にも尽力をされていた方である。そういう大雑把なことを存じ上げてはいるが、詳しいことを知っているわけではない。今日帰宅したら、 T さんに電話をかけてみようか。