というタイトルの水戸巌さんの本を県立図書館で借りてきた。緑風出版から2014年に出版されている。
水戸さんは物理学者だったが、原発にはことに厳しい目を向けていたらしい。その53年の生涯に結構な反原発の論文を書いたり、講演をしたりしている。私は高木仁三郎さんの著作集を買ってもっているが、水戸さんもいろいろなことを書いていたらしい。
物理学者が自分の専門の研究をしながら、かつ反原発活動をするということは楽なことではない。高木さんとも水戸さんは原子核研究所時代に多分同僚でもあったろうから、そういう意味では気心が通じていたのであろう。
一方で、山が好きで登山を好んでいたらしい。彼と彼の二人の子息との山での遭難はまだ耳に残っている。水戸さんは私の友人の N さんの大学時代の先生の一人でもあった。
この書は私の武谷三男の文献検索から見つかったもののひとつである。この中に短いものではあるが、武谷の水戸さんは「最も謙虚で最も勇敢な人であり、権威を求めなかった」という評が書かれている。ということで期せずして武谷三男著作目録への追加が一つできた。
この機会に改訂が延び延びになっている、「武谷三男著作目録」第5版(第4版は「素粒子論研究」電子版に発表済、第5版も同じところに発表予定)を作成してはどうかと思っている。すでに準備はしているが、追加すべき文献がかなり多数になってきているので、時間がかかりそうである。
国会図書館の文献検索にかなりその後の文献とか未見のものがありそうなのである。もっとも国会図書館の検索には載っていない情報を私の目録には載せているつもりである。
水戸さんは物理学者だったが、原発にはことに厳しい目を向けていたらしい。その53年の生涯に結構な反原発の論文を書いたり、講演をしたりしている。私は高木仁三郎さんの著作集を買ってもっているが、水戸さんもいろいろなことを書いていたらしい。
物理学者が自分の専門の研究をしながら、かつ反原発活動をするということは楽なことではない。高木さんとも水戸さんは原子核研究所時代に多分同僚でもあったろうから、そういう意味では気心が通じていたのであろう。
一方で、山が好きで登山を好んでいたらしい。彼と彼の二人の子息との山での遭難はまだ耳に残っている。水戸さんは私の友人の N さんの大学時代の先生の一人でもあった。
この書は私の武谷三男の文献検索から見つかったもののひとつである。この中に短いものではあるが、武谷の水戸さんは「最も謙虚で最も勇敢な人であり、権威を求めなかった」という評が書かれている。ということで期せずして武谷三男著作目録への追加が一つできた。
この機会に改訂が延び延びになっている、「武谷三男著作目録」第5版(第4版は「素粒子論研究」電子版に発表済、第5版も同じところに発表予定)を作成してはどうかと思っている。すでに準備はしているが、追加すべき文献がかなり多数になってきているので、時間がかかりそうである。
国会図書館の文献検索にかなりその後の文献とか未見のものがありそうなのである。もっとも国会図書館の検索には載っていない情報を私の目録には載せているつもりである。