というのは森毅氏の講談社学術文庫に収められた書の題名(原題 『計算のいらない数学入門』(光文社))である。この書を先日何とはなしに手を取って読んでいたら、69-72ページにかけて武谷の三段階論への言及があった。
これを私の集めている「他人から見た武谷三男」に収録したいと思っている。森さんはさすがに教条的に考えないとすればとの条件付きながら、ポジティブに評価をしていると思う。
発想の契機とするにはなんでも役に立つと思うことを利用すればよい。森さんはそれに加えてそのある種の発展を与えた板倉さんの二つの実体論から本質論への契機にも言及している。
一つは基本的な矛盾がみずからを解決していこうとする運動ともう一つはある実体的なものが、そうした矛盾を反映しながら解釈を受けていくことで量子力学を論じたときのUmbedeutungを板倉は転釈、「転じて解釈される」というとあった。
実は板倉が書いた論文はこのことを多分読んだことがあると思うのだが、こういう風にまとめることができなかった。さすがに森さんは私なんかよりも数等も頭がいい。
これもともに「他人からみた武谷三男」に収録をしておきたい。それと最近原田正純氏の書の『水俣への回帰』(日本評論社、2007)にも武谷思想への言及があるらしい。これは前にそのような書があるらしいとは知っていたのだが、それが何だったかわからなくなっていたのだ。
(2017.2.10付記) 「他人からみた武谷三男」に森さんの武谷三段階論の評価は結局引用しなかった。このことをブログに書いておきながら、その事実を忘れてしまったらしい。それと他の引用をした人ほどインパクトがなかったことも理由であろう。