Gr"unewaldのことで私が以前に書いたことを抜書きしておこう。
若き日にあこがれたミツコさんから武谷(注)はサンタマリアの表情を思い浮かべる。そしてサンタマリアの絵にはほとんど笑っているものがないことに思いがおよぶ。そしてマリアが笑っていないのは、わが子キリストの未来の悲しい運命を予感していたためではないかと思うようになる。
しかし、笑っているマリアの絵がまったくないわけではない。フランスのアルザス地方の小さな町Colmarの教会にあるGr"unewaldの描いた「木リストの降誕」には明るく微笑んだマリアが描かれているという。これはGr"unewaldが当時の農民戦争に巻き込まれ、そこから抜け出してきて民衆に希望を与えるようにと描いたためだという。
武谷がこの教会をいつ訪れたかは知らない。たまたま著者もこの教会を約30年前に訪れたことがある。そのときにGr"unewaldの絵の絵葉書を数枚購入して、絵を描いている義父に送ったら、「Gr"unewaldの古典的な絵をじっくりと鑑賞した」という手紙をもらったが、そのなかに「キリストの降誕」があったかどうかは覚えていない。いつかClomarを再訪する機会があれば、武谷の話を確かめてみたい。(「武谷三男と三段階論」、徳島科学史雑誌、no. 24 (2005)から)
(注)武谷とは物理学者の武谷三男のことである。
若き日にあこがれたミツコさんから武谷(注)はサンタマリアの表情を思い浮かべる。そしてサンタマリアの絵にはほとんど笑っているものがないことに思いがおよぶ。そしてマリアが笑っていないのは、わが子キリストの未来の悲しい運命を予感していたためではないかと思うようになる。
しかし、笑っているマリアの絵がまったくないわけではない。フランスのアルザス地方の小さな町Colmarの教会にあるGr"unewaldの描いた「木リストの降誕」には明るく微笑んだマリアが描かれているという。これはGr"unewaldが当時の農民戦争に巻き込まれ、そこから抜け出してきて民衆に希望を与えるようにと描いたためだという。
武谷がこの教会をいつ訪れたかは知らない。たまたま著者もこの教会を約30年前に訪れたことがある。そのときにGr"unewaldの絵の絵葉書を数枚購入して、絵を描いている義父に送ったら、「Gr"unewaldの古典的な絵をじっくりと鑑賞した」という手紙をもらったが、そのなかに「キリストの降誕」があったかどうかは覚えていない。いつかClomarを再訪する機会があれば、武谷の話を確かめてみたい。(「武谷三男と三段階論」、徳島科学史雑誌、no. 24 (2005)から)
(注)武谷とは物理学者の武谷三男のことである。