:交流の一断片 というタイトルの論文が物理学会誌の2月号に載った。すでに西谷正さんが彼の論文で扱ったようなテーマもあったが、それだけにとどまらず掘り下げられた内容もある。
なかなかこういう細かな内容を取り扱うということに苦労が見られるのだが、逆に言えば不満な点もある。それは多くの論争点が武谷に関していえば残されているのにそれをほっておいて細かな点をつめているというような点である。
しかし、いくつかの疑点がすこしでも解決するのは悪いことではない。ちょっと驚いたことは私の古いエッセイが引用文献に上がっていたことである。その他の文献の著者は南部陽一郎さんとか牧二郎さんとかの論文であるのでこれらの人は私などと比べれば格段に有名かつ物理でも業績を残した人であり、その人たちと比べられる見解が私のエッセイの中にあったのかどうか。
私は量子色力学(Quantum choromodynamics)といわれる分野での発展のありようが後からみると武谷三段階論にあっているように思うという見解を述べたが、そういう見解を私がどこかで誰かの説として読んだことがあるわけではない。その辺のことを評価してくれたのだろうか。
なかなかこういう細かな内容を取り扱うということに苦労が見られるのだが、逆に言えば不満な点もある。それは多くの論争点が武谷に関していえば残されているのにそれをほっておいて細かな点をつめているというような点である。
しかし、いくつかの疑点がすこしでも解決するのは悪いことではない。ちょっと驚いたことは私の古いエッセイが引用文献に上がっていたことである。その他の文献の著者は南部陽一郎さんとか牧二郎さんとかの論文であるのでこれらの人は私などと比べれば格段に有名かつ物理でも業績を残した人であり、その人たちと比べられる見解が私のエッセイの中にあったのかどうか。
私は量子色力学(Quantum choromodynamics)といわれる分野での発展のありようが後からみると武谷三段階論にあっているように思うという見解を述べたが、そういう見解を私がどこかで誰かの説として読んだことがあるわけではない。その辺のことを評価してくれたのだろうか。