という書は大学の先輩の助手の方から「読んだらいいよ」と勧められたことがある。とはいってもこの先輩の助手の方は歴史専攻の方であり、その当時私は理学部の大学院生であり、彼は文学部の助手であった。
これはなぜそういうことになったのかよくいきさつは覚えていない。なにか弁証法の問題だったか何かのエッセイを私が書いたのを読まれたのかどうであったか。そういうエッセイを書いた覚えもないのだから今となってはよくはわからない。その T さんという方がその後どうされたかも存じ上げない。
ボルケナウはこの書を書いたときには進歩的史観の方であったと思うのだが、その後思想的には変わられたというふうにもどこかで読んだことがある。
それにもかかわらずボルケナウのこの書は名著であるらしい。実はいま広重 徹氏の『科学と歴史』の第1章をパソコン入力している。その文章が長いので私はうんざりしながらの、思いついたときどきの入力だが、いま開かれているページの最後の行にこのボルケナウのこの書のことが書いてある。
この書を一度も開いたことがないけれども、大学の図書館かどこかで探して読んでみたいとは思っている。
これはなぜそういうことになったのかよくいきさつは覚えていない。なにか弁証法の問題だったか何かのエッセイを私が書いたのを読まれたのかどうであったか。そういうエッセイを書いた覚えもないのだから今となってはよくはわからない。その T さんという方がその後どうされたかも存じ上げない。
ボルケナウはこの書を書いたときには進歩的史観の方であったと思うのだが、その後思想的には変わられたというふうにもどこかで読んだことがある。
それにもかかわらずボルケナウのこの書は名著であるらしい。実はいま広重 徹氏の『科学と歴史』の第1章をパソコン入力している。その文章が長いので私はうんざりしながらの、思いついたときどきの入力だが、いま開かれているページの最後の行にこのボルケナウのこの書のことが書いてある。
この書を一度も開いたことがないけれども、大学の図書館かどこかで探して読んでみたいとは思っている。