物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

図書館の休日

2016-10-01 12:45:29 | 日記

昨日、9月の最後の日であるのに気がつかず図書館に本を返しに行ったら、休館日であった。仕方なくすごすごと引き返したのだが、また今日再度、本を返しに行こうかと思っている。

返却の期日はまだ来ていないが、論文を書くのに必要だった本を返却しておきたいのである。それと他の本を借りたい。なかなか借りた本を読むことができないという状況であったが、論文と書評を無理やり片付けたので、これから少し時間がとれるであろう。

とはいっても次の仕事が押し寄せている。

どんな本を借りているかというと、『日本の核開発』(績文堂)、『昭和史の天皇4』(読売新聞社)、『微分積分学の誕生』(SBクリエティブ)『微積分学の史的展開』(講談社)、『ユークリッド『原論』とは何か』(岩波書店)である。最後の書は比と比例について知りたいと思って借りたが、その部分は一読はしたが、なかなかわからない。高瀬さんの本はほとんど読むことができなかった。また借りる必要があろう。


論文をまたまた

2016-10-01 11:55:03 | 日記

書き足したくなっている。これは『他人から見た武谷三男』という論文の第2編目だが、すでに数日前に投稿済のものである。

友人からミスプリとかの指摘を受けて小さな修正をしたのだが、『安全性の考え方』(岩波新書)を引用しておくべきだったかなどと考えている。これは1967年に発行されたが、1970年代のひどい公害の摘発以前の書であるが、これはこの70年代の公害反対運動の先駆けとなった。

70年代になると、武谷は『公害・安全性・人権』という書を読売新聞社から出す。これは1972年のことであるが、そのときには1970年代のひどい公害、大気汚染、河川と海の汚染がすでにひどくなってきている。

上記の、『安全性の考え方』にも原子炉の中にも死の灰がたまると書かれてあって、それが事故で原子炉から出たら、危険なことは原爆と同じとある。それは『武谷三男現代論集』(勁草書房)の第1巻『原子力』などにも表れている。

加藤哲郎さんの『日本の社会主義』(岩波書店)の武谷を批判した箇所を上記の私の論文ではとりあげているが、日本人には珍しく武谷は長期にわたってなにかを言い続けることの大切さを知っていた人である。これはなかなかできそうで、できないことである。

加藤さんの武谷のマルクス主義に関係した批判はあまり私がその事情に通じていないということで加藤さんの武谷さんへの批判があってもその個所はパスしてあるが、実は戦後わりあいに早い時期に民科(民主主義科学者協会)の活動にはあまり積極的には係らなくなったということは鶴見さんの比較的最近に書かれた本を数冊読めば、すぐにわかることである。

だが、そこら辺が加藤さんにはわかっていないのか、分かってはいるが、彼の本の一章として取り上げたいので、そこら辺を無視したのかわからない。それにしてもあまり判断が公正ではないのではないかと思っている。