昨日は忙しかったのでブログを書くことを忘れた。ときどきこういうこともある。
今日は対称性のことを書いてみよう。これは数学とか物理における対称性のことではない。先日テレビを見ていたら、人間の鼻の穴は二つあり、私などには左右対称だと思われるのだが、耳鼻科の先生の曰くにはどうも鼻の穴は左右で同じ大きさではなく、大小があるらしい。
私の場合には右の鼻の穴の方が大きい。朝、顔を洗うときに鼻に詰まった鼻くそを水で濡らしてとっている。そうしないと夜の間に貯まった鼻くそで息がしにくいのである。
テレビの耳鼻科の先生の話がどういう話であったのかよく覚えていないが、少なくとも左右対称ではないことだけが頭に残った。
数学でも対称性とか周期性とかが問題になるが、なかなか人間とかの生物においては見かけ上は左右対称に見えても実際はそうではないということがあるということを知った(注1)。
ヨーロッパのお城が左右対称にできているなどということはあるのだが、日本人はわざとその対称性を乱すことがかえって美しいという感性があるとかどこかで読んだ気がする。
そういえば、「自発的な対称性の破れ」という概念が物理にあるのはよく知られている。これを対象にしてノーベル賞をもらった物理学者もいる。
(注1) 周期性で一番顕著なものは結晶であろう。これもいろいろな数学的知識が蓄積している。そして、そういう周期性を扱う数学的手段としてフーリエ解析がある。
(注2)車のナンバーなどで、12-12などという番号を見ると周期的だなと思うし、56-65などというのを見るとこれは鏡映対称なナンバーだなどと思う。もっともそういう対称性はめったにお目にはかからないけれど。時計の時刻が10時10分前だとあれあれ長針と短針が対称だなと思ったりする。これは幾何学的な対称性だけれども。