いつ頃テレビが普及したのかはよくは覚えていない。私が大学生であったころに当時の大学生は個人的にテレビを持っているものはほとんどいなかった。
どの家にもテレビが入ったのは私が大学の3年か4年のころではなかったろうか。私の家はあまり早くテレビを購入しなかったような気がする。これは高校生の妹たちの受験の邪魔になるということよりは経済的に購入する余裕がなかったのであろう。
大学の1年と2年の夏休みに帰省した時にはプロ野球の中継を叔母のうちまで見に行っていたような気がする。もっとも叔母のうちまでは自転車で5分くらいだから近かった。歩いても10分くらいだったろうか。
カラーテレビが見られるようになったのは1964年の東京オリンピックのころで、このころはモノクロのテレビはどこの家庭でも持っていたと思うが、カラーテレビは珍しかった。それでカラーテレビで東京オリンピックの開会式を見たのはどこかの喫茶店であったように思う。
私たちが結婚したときに購入したのはまだモノクロのテレビであった、子どもたちは文句もいわずにモノクロのテレビでサンダバードのアニメを兄弟で並んで見ていた。
そのうちにカラーのソニーのテレビを購入して、見るようになったが、これは子どもが幼稚園に通うようになってからだろう。夕方にはアニメの放送があって、兄弟で二人がおとなしく見ていたが、そのうちにテレビのアニメだけでは満足できなくなり、絵本を読んでくれとせがまれるようになった。
下の子が好きだったのが『モリタロウさんの自動車』という絵本でこれはもう本当にいやというほど繰り返して読まされた。読み終わったら、すぐにもう一度読んでくれというのである。それが終わったら、またもう一度読まされる。この物語がとても好きだったのであろう。
上の子は自分で字が読めるようになると『キャプテン』というマンガに夢中でなんかいとなく読み返してはあらすじとかを私たちに話してまでくれるのだが、自分で読んだわけではないので私はこれについてはまったく覚えていない。