というのは私が小学生から中学生のころのことである。西暦で言うと1945年くらいから1955年くらいのことである。中学校のときに修学旅行で大阪に行ったときに宿でテレビ放送をみた。
しかし、それまでのメディアの中心はいまのテレビではなく、ラジオであった。中学校のころに友人の影響を受けて大相撲の実況放送を聞くようになった。
友人は吉葉山のファンであったが、吉葉山は不運の横綱であり、大関のときに全勝優勝して最終的に横綱にはなったが、その後は優勝はできなくて引退した。不運の横綱というのは大関として14勝1敗だったときに平幕の時津山が15戦全勝して優勝し、優勝できなかったからである。その他の吉葉山の不運の物語はたくさんあるだろう。
話がすぐにラジオから他の話題になってしまった。オリンピックの戦後の参加はヘルシンキ大会が最初であった。このときにラジオの中継があったのだが、その音声を聞いてオリンピックの開会式をはるかに想像するしかなかった。いまでなら、テレビとかインターネットで画像を簡単に見ることができるであろうけれども。そのときに日本のことヤーパンという観衆からの叫び声を聞いたのではなかったか。ヤーパンというのが日本のことだとは2歳年長の兄から教わった。
ともかく私の小学生や中学生のころはまだメディアの中心はラジオであった。いわゆる終戦の昭和天皇の放送を近くの動員所(その後そこは職業安定所になった)に聞きにいったが、なんだか重々しい声が聞こえただけで何が何だかわからなかった。
テレビで昭和天皇の終戦の放送を聞くことが最近でもあるけれどもあんなハッキリしたり音声は聞いた覚えがない。