物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

アニサキス症

2017-05-22 17:54:31 | 健康・病気

なんてつい先日まで知らない言葉だった。ドイツ語のクラスで初めて出会って、どうも魚に寄生している寄生虫らしいとは思ったが。

そうしたら、その後テレビのニュースでもアニサキス症のことに触れていたし、先日は新聞にまで出ていた。淡水魚に寄生する虫による腹痛とからしい。

その寄生虫を内視鏡か何かでとってやらないと痛みが消えないという。淡水魚でも健康な魚では内臓に寄生しても肉の部分に入り込むことは少ないらしいが、それでも時間が経てば肉の部分に入り込むという。それを知らずに食べたら腹痛を起こす。そして内視鏡で取ってやらないと痛みが続く。

やっかいな寄生虫だが、ときどきこれにかかる人がいるらしい。こういう症状があるとは聞いたことがあったが、その名前までは知らなかった。


ラジオがメディアの中心であったころ

2017-05-22 12:31:34 | 日記

というのは私が小学生から中学生のころのことである。西暦で言うと1945年くらいから1955年くらいのことである。中学校のときに修学旅行で大阪に行ったときに宿でテレビ放送をみた。

しかし、それまでのメディアの中心はいまのテレビではなく、ラジオであった。中学校のころに友人の影響を受けて大相撲の実況放送を聞くようになった。

友人は吉葉山のファンであったが、吉葉山は不運の横綱であり、大関のときに全勝優勝して最終的に横綱にはなったが、その後は優勝はできなくて引退した。不運の横綱というのは大関として14勝1敗だったときに平幕の時津山が15戦全勝して優勝し、優勝できなかったからである。その他の吉葉山の不運の物語はたくさんあるだろう。

話がすぐにラジオから他の話題になってしまった。オリンピックの戦後の参加はヘルシンキ大会が最初であった。このときにラジオの中継があったのだが、その音声を聞いてオリンピックの開会式をはるかに想像するしかなかった。いまでなら、テレビとかインターネットで画像を簡単に見ることができるであろうけれども。そのときに日本のことヤーパンという観衆からの叫び声を聞いたのではなかったか。ヤーパンというのが日本のことだとは2歳年長の兄から教わった。

ともかく私の小学生や中学生のころはまだメディアの中心はラジオであった。いわゆる終戦の昭和天皇の放送を近くの動員所(その後そこは職業安定所になった)に聞きにいったが、なんだか重々しい声が聞こえただけで何が何だかわからなかった。

テレビで昭和天皇の終戦の放送を聞くことが最近でもあるけれどもあんなハッキリしたり音声は聞いた覚えがない。