愛媛県はいままでに二人のノーベル賞受賞者を出している。そしてたまたまというべきかどうかはしらないが、その二人とも大洲市とか内子町と関係している。
大江健三郎氏は今では内子町に編入されている大瀬の出身であり、高校は松山東高校の出身だが、一年生のときには内子高校の生徒であったらしい。
愛媛県数学教育協議会(愛数協)の元委員長の S さんは内子高校時代に大江さんの同期生であったという。近しくつきあいがあったとまでは聞いていないが、同期生であったことは確かである。大江さんは2年からは松山東高に転校したが、よくできる優秀な学生であったということは S さんの記憶にやはり残っている。
先年、ノーベル物理学賞を受賞された中村修二氏は大洲高校の卒業生であり、彼と大洲高校での同期生であったやはり別の S さんは愛媛県数学教育協議会の前委員長であった。
このことを私は知らなかったが、最近彼が雑誌「数学教室」に掲載のエッセイでこのことを述べているので知った。要するにたまたまだが、愛媛県数学教育協議会の元委員長と前委員長とが続けて二人しかいない、愛媛県出身のノーベル賞受賞者の同期生であったという偶然が起こった。
このことはある意味では偶然であるが、それほど偶然ともいえない。別にノーベル賞受賞者と友人であったり、知人であったりしたからと言って急に私たちの文化度や価値が上がるわけではないが、そういうふうなことがあまり不思議なことでもないという時代の日本に我々は生きている。
私にしてもノーベル物理学賞受賞者の M さんの近しい友人ではないかもしれないが、知人の一人には入るだろう。それだからと言って、私の文化度が急に上がるわけではなく、それぐらいの環境に現在の日本の科学や文学その他の状況がなっている。いい時代に私たちは生きている。
国の政治においては最近の「テロ等準備罪」の国会審議のような暗い話題もあるけれども、文化度が日本は上がっているという証であろう。 一方において、内心の自由さえも許されなかった治安維持法の二の舞をどうも「テロ等準備罪」が演じるのではないかという、危惧は大いにあるけれども。
(2017.5.27 付記 ) 上にノーベル章文学賞受賞者の大江さんの内子高校の同級生であった、S さんのことを書いた。ところが鶴見俊輔さんの『言い残しておくこと』(作品社)の付録をたまたま見たら、大江さんの文章があって、内子高校でシカとされて仕方なく、高校2年生のときに松山東高に転校したとある。もちろん、松山東高の名前は書かれてないけれども。
そういういきさつがあったとは知らなかった。普通に考えたら、秀才だった大江さんが大学進学に適した松山の名門の高等学校に転校したのだろうくらいにしか考えていなかった。生徒にシカとされただけならまだしも先生にもシカとされたとあった。
これは事実かどうかは私は知らないし、そういうことを知人の S さんに聞くつもりもない。それは人が違えば、見方とか感じ方も違うので、事実は一つではないからである。どの事実もそれなりに正しいのであろう。
しかし、ちょっと重苦しい話ではある。