松山に赴任した約50年前のころの記憶が浮かんでくる。その一番感激したというか印象的だったのはJR松山駅発のほとんどの電車が行く先が道後温泉だっことである。
高校のころだって、野球の応援のために松山に来たことがあったはずだが、その頃にはあまり電車の行き先が道後温泉だということに感激した覚えがない。
それに松山駅からは歩いて当時の松山球場に来ることもできたと思う。それほどJRの駅から球場までは10分ちょっと歩けば着いたであろう。もっともその夏の厚いさなかの野球の応援の後では、大街道(おおかいどう)に出てかき氷くらいは食べてまた I 市に帰ったこともある。
だから松山に全くなじみがなかったとは言えないが、それでもそれほどよく知っていたわけではない。
松山というと道後温泉だとか俳句の町だとかいうイメージがある。もちろん松山城も有名である。最近では「坂の上の雲」博物館だとか子規博物館だとかもある。また、放浪の俳人であった、種田山頭火が晩年住んだ庵もある。そして方々の通りとかいたるところに俳句を記した碑がこれまた多い。
私の好きな碑は毘沙門坂という城山の麓のゆるい坂の峠にある、「牛行くや毘沙門坂の秋の暮れ」という子規の句である。この小さな碑のたもとに「五味鳥」という居酒屋があって、ここには1週間に1回くらいは行った。私は本来アルコール類をあまり飲まなかったのに、そこに行くようになったのはドイツ語の先生方がそこに行っていたのでつれられていくようになった。