物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

電車に乗ると

2017-11-24 15:08:07 | 日記

松山に赴任した約50年前のころの記憶が浮かんでくる。その一番感激したというか印象的だったのはJR松山駅発のほとんどの電車が行く先が道後温泉だっことである。

高校のころだって、野球の応援のために松山に来たことがあったはずだが、その頃にはあまり電車の行き先が道後温泉だということに感激した覚えがない。

それに松山駅からは歩いて当時の松山球場に来ることもできたと思う。それほどJRの駅から球場までは10分ちょっと歩けば着いたであろう。もっともその夏の厚いさなかの野球の応援の後では、大街道(おおかいどう)に出てかき氷くらいは食べてまた I 市に帰ったこともある。

だから松山に全くなじみがなかったとは言えないが、それでもそれほどよく知っていたわけではない。

松山というと道後温泉だとか俳句の町だとかいうイメージがある。もちろん松山城も有名である。最近では「坂の上の雲」博物館だとか子規博物館だとかもある。また、放浪の俳人であった、種田山頭火が晩年住んだ庵もある。そして方々の通りとかいたるところに俳句を記した碑がこれまた多い。

私の好きな碑は毘沙門坂という城山の麓のゆるい坂の峠にある、「牛行くや毘沙門坂の秋の暮れ」という子規の句である。この小さな碑のたもとに「五味鳥」という居酒屋があって、ここには1週間に1回くらいは行った。私は本来アルコール類をあまり飲まなかったのに、そこに行くようになったのはドイツ語の先生方がそこに行っていたのでつれられていくようになった。

 


反粒子が雷雲でつくられた

2017-11-24 14:46:59 | 物理学

と先日の新聞で読んだ。もっともつくられているのは昔からではあろうが、そのことが最近になって科学的に確かめられたという。雷雲中に発生したガンマ線だったかが空気中のチッソの原子核にあたって、陽電子が発生したとか。

もちろん、陽電子はあまり長生きはできないで、電子と対消滅をしてガンマ線ができる。そのガンマ線をとらえて陽電子が雷雲中で発生したことの証拠をつかんだという。

始まりのところがガンマ線だったのか電子または原子や分子等の荷電粒子であったかはあまりはっきりと読んだ記憶がはっきりしない。荷電粒子なら電場で加速されて制動輻射でガンマ線が発生したのだったのだろうか。

どうも私にはあまりそういう常識が足りない。後の方の対消滅によるガンマ線を観測したというのは多分間違ってはいないだろうが。

こういう話は50年以上の昔に量子電気力学のセミナーで学んだことがあるのだが、もうそのころの知識もあやふやである。いかに私の学び方がずさんだったかという、わるい証拠となろう。