は日米の戦争が始まる直前にプリンストンの高級研究所に招聘された数学者であるということは知られているが、その角谷という人がどういう人なのかは知らなかった。もちろんいまでもよくは知らないのだが、角谷静夫の大阪大学誌上懇談会とかいう記事が、角谷静夫関連のあるサイトにでているということをある方が教えてくれた。
ちらっとそのサイトを読んだだけだが、彼は旧制の甲南高校では文系のコースだったが、東北大学の数学科を卒業して、大阪大学に勤めるようになった。
そのころにプリンストンの高級研究所に招聘されたらしい。ところが日米の戦争が始まってしまう。1942年の日米交換船で日本に帰ってくる。
戦後すぐにまたアメリカに招聘される。これは湯川秀樹の1949の招聘よりも先だったというから、どれくらい評価されていたかがわかる。
最近、数学者のワイルだか、誰だったか名前は忘れたが、日本に来て「私は偉大な数学者である」と日本語で言ったのでそれを聞いた人がびっくりしたという話が出ていた。これは角谷にその日本語表現を教わったという。
文系から転向して理系になった学者として有名なのは電子の波動説を唱えたL. de Broglieである。彼は歴史を専攻していたとか聞いたことがある。彼の兄のM. de Broglieが実験物理学者であったから新しい物理学の様子を聞いていて、関心をもったらしい。
私が学生のころに、兄のM. de Broglieの死去の報が新聞に出ていたので、「de Broglieがなくなったらしいですね」と研究室で言ったら、「de Broglieはまだ生きていて論文を書いているよ」とSさんが教えてくれた。おかしいなと思ったら亡くなったのはLouiの兄のほうだった。ということを知ったのはだいぶん後になってであったが。