クラスの人数は私も含めて5人である。男性は2人で、あとの3人は女性である。
だいたい、外国語を話すことにかけては女性のほうが上手である。ただ、辞書をもって来ていないのは私ともう一人はドイツ人と結婚していた T さんだけである。あとはスマホを辞書代わりにしていたり、または世話人の O さんはシンティンガー氏編纂の『独和辞典』を持ってきている。彼は4-5年をドイツはマールブルクの大学で神学を専攻していた人なので、辞書などは必要ではないかと思われるが、それでももってきている。
もっともドイツ人の R 氏はスマホで意味を調べる様子を見ると嫌がる。というのは注意がそれるから。これは私のドイツでのゲーテ・インステュートの経験でもそうであった。ゲーテの先生は生徒が辞書を引いているのをみると、注意がそれるので、わからないことは自分に聞いてくれと言っていた。
フライブルクのゲーテで一緒だった S 君は私の前に座っていたが、ときどき辞書を引いていて先生から注意された。彼の場合は文法は問題がなかったと思うのだが、やはりドイツ語を聞くほうがなかなか大変だったらしい。
私がドイツ語のクラスに辞書をもっていかないのは単に辞書が重いからである。何でも聞いてわかるわけではもちろんない。わからないことがあれば、それはなにかと質問をすればよいというのは、もう50年以上も前のゲーテ・インステュートでの経験からである。
ただ、最近ではなかなかドイツ語の音が聞こえにくくなってきているという別の問題が出てきた。これは年を取ったものにはつらい。
私よりも10歳以上も年上だった I さんがクラスに来ることを続けられなくなった理由はたぶん言葉が聞き取れないということだったろう。老齢で補聴器をつけていてもなかなか外国語は聞き取れないのはしかたがない。
昔、高校生のころに英語の先生が英語の映画などをみてすべてが聞き取れているわけではないのだといわれていた。それでも話の前後関係からおよそのことは予想がつくのだと。