なぜかフランスで車のタイヤがパンクしたときのことを思いだした。それは1977年2月の終わりのことだった。数日にわたる、パリの観光を終えてから、オルレアンを経由して、ブロワで1泊して、つぎの日にロワール河沿いの城巡りをはじめた2日目か3日目のことだった。
優美な城で有名なシャンボール城を観光し、それからロワール河の上に建てられた城のシュノンソーの観光も終えて、ナントへと向かってロワール河沿いを下っていたときに、車ががたがたと振動をはじめた。
どうもパンクしたらしいというので、車を止めて降りてみたら、後部の右側の車輪が、完全にパンクしている。それで工具をとりだして車輪のボルトを外そうとしようと試みたのだが、なかなかはずれない。ようやく1個か2個は外れたが、まだ数個のボルトが残っていた。
雨は降りそうになるし、夕方も迫ってきそうなのでしかたなく、その街道を通っていたフランス人の車を止めたら、すぐにそのボルトをはずすことを試みてくれた。しかしそれでもうまくいかない。
工具のサイズがあってないということで、自分の車の工具をもってきてボルトをはずしてくれ、タイヤを交換してくれた。長距離トラックの運転手だけあって、きわめて要領がよかった。お礼を申し述べたはいうまでもない。工具の型番が34か43だとそのとき教えてくれた。その型番の工具を買っておきなさいとのアドバイスまでもらった。
そのことがあったので、急に心細くなって一路ドイツに向かって帰ることにした。雨が降って大きな虹がかかった、その虹の方向に向かって、ドイツ国境を目指して帰り、夕方にはどこだったかトリアの近くの田舎の宿に泊まったことを覚えている。
フランスのアウト―バンL'auto routeはドイツと違って有料であり、あまりフランスの車は走っていない。見かけたのはドイツの車とかスウェーデン車とか外国の車がほとんどだった。もっともこれはもう40年近い昔のことであるから、現在では全くちがっているかもしれない。
そして、つぎの日にようやくモーゼル河沿いの道を下ってマインツに帰った。