今日は近所の眼科に行って目薬をもらってきたので、あわてたために仕事用のメガネを忘れた。
だから、このブログもメガネをはずして裸眼で書いている。しかし、裸眼の視力はあまりないので、なかなか仕事ができにくい。
いつも夜寝る前に仕事用のメガネをカバンに入れておくのだが、今朝は起きてから昨夜読みかけた本の1章の続きを読んでいたので、仕事用のメガネをカバンに入れることを忘れた。
この1週間くらい技術論の定義について書かれた文章を読んでいる。それらはいわば正確な学問を志向しているのだろうが、どうも細かすぎるような気がする。
武谷三男を有名にした技術のいわゆる「客観的法則性の意識的適用説」とか、または、戦前の唯物論研究会の技術の定義「労働手段の体系」説とかを議論しているものだ。
ところがその後の武谷や星野芳郎の書いた本を読んでみるとそういう議論の補足にはならないのだろうが、やはり読んで面白いのである。
学問としては精密を期すというのがなかなか社会の力にはならなくて、学問としてはあまり厳密ではなく、あいまいだと言われているものがむしろ社会においては力をもつということはどういうことななのだろうか。
このパラドックスを解くことが必要ではなかろうか。