6月の子規の俳句を書いておこう。
五月雨に御幸を拝む晴れ間かな 子規
rainy season
looking up at Mt. Mikiji
in clear moment (Shiki 1892)
御幸寺は「みきじ」と読む。E大学の北側にラクダのようなこぶの二つある、それほど高くない山がある。それがこの御幸寺山であった。
1968年4月から、京都大学のある研究所の非常勤講師を数か月していたが、そこでの半年の滞在から松山に1968年10月に赴任した。私の居室はE大学の工学部の3階の北側の部屋で、そこからこの俳句にも読まれた御幸寺山がいつもよく見えた。その半年後には京都大学の卒業生のKさんが赴任して来られて、それから、また一年かそこらをその部屋で一緒に過ごした。
松山は郷里の I 市からあまり遠くなかったので、高校時代にも松山に来たことがなかったわけではないが、松山での生活の始まりの記憶が、この御幸寺山であった。
いまから50年以上も昔のことである。