物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

文字の置き換え

2007-12-10 10:43:54 | 数学

よくできていて良心的な物理の解説のホームページ「物理のかぎしっぽ」のある箇所で「部分積分」を扱っている。その部分積分の例として気体の分子運動の平均速度を計算している。

この部分積分の計算の詳細がそこに記述されているが、ちょっと気にかかることがある。それはこの計算を見た人が物理は難しいとか計算が大変だと必要以上に思ってしまうのではないかということである。

この計算が面倒なことは否定しないが、本質的でないパラメータの部分を何か一つの文字で置き換えておけば計算はずっと簡単に表される。それに見通しもよくなる。また式を見てその「みかけの複雑さ」に私のように肝をつぶす人を減らすこともできるだろう。

以前にその記事を見たときにはそこまで考えが及ばなかったが,いまではそう思う。この記事についての私なりの改善法を後で担当者に提案をしたいと思っている。批判するだけは誰でもできることだから。

話は別だが,「計算における文字の使用」について関連したこと。私のM大学の薬学部での基礎物理学の講義で文字が沢山出てくるという苦情が多かった。もちろん、ある粒子の質量をm とか、その粒子がもつ加速度をaとか、その粒子に働く力を fとかいうような本質的なものもあるが、それ以外に計算の見かけを簡単にするために、あるまとまった量を一つの文字で一時的に置き換えるということもある。置き換えられた文字は単に便宜的なものだからそれを覚えておく必要はない。しかし、計算上の便宜的なものと本質的なものとの区別が学生にはついていないのかもしれない。

もしそうだとすれば、難しいはずである。それもすべて暗記でカバーをしているのだとすれば。ああ、なんということだ。まさにunsinn (nonsenseのドイツ語)である。


夕食にから揚げの店へ

2007-12-08 13:20:41 | 日記・エッセイ・コラム

昨晩早く、から揚げで有名なお店の支店に夕食にいった。セットをとって、生ビールの大を一杯飲んでもう一杯飲むつもりだったが、一杯で飲めなくなり、妻とともに帰った。

途中で妻を先に帰らせて、もう一杯飲むつもりでもう一人前から揚げを注文しようと思っていたが、セットを食べ終わるころにはもう満腹で食べられそうになかった。それで断念してさっさと帰ったというわけである。

その後で9時過ぎまで仕事場で1ページほど翻訳の入力をした。これは訳をしていたところのファイルが消えてしまったので再入力している。


テンソル解析の学習

2007-12-07 11:28:44 | 数学

いままでテンソル代数については学習をしたことがあるが、テンソル解析についてはChristoffelの3指標記号のところでダウンしていたが、今回新たな気持で再度挑戦しようとしている。

Christoffelの3指標記号が天下りでその後をいつも読み続けられなかったのだ。もっともChristoffelの3指標記号の定義についてはこのごろは納得のいく説明がされた本が出てきている。

ただ、いままだテンソルの定義くらいまでのところの復習しかできていないので本当に今回読み通せるかは疑問である。

砂川さんの「相対論の考え方」(岩波)はその一般相対論のところは一度読んだことがあるが、きちんとしたノートをつくろうと思いながら、走り書きのノートしかつくっていない。

今回は内山龍雄著の「一般相対性と重力の理論」のテンソル解析の終わり(52ページ)ところまでを目標にしている。というのは私はいつも飽きっぽくて本を読み続けられないからである。一般相対論全体の理解はまだまだ先のことである。

さて、これは就寝する前の1時間から2時間を使って読もうとしている。今度は読み続けられるか?

寝ていたときに思いついた着想がうまくいくかを今朝起きて確かめたら、うまくいった。やっとChristoffelの3指標記号を自分なりに理解できたように思う。


多くの女性は社会で働いている

2007-12-06 12:28:58 | 社会・経済

いま妻が医療生協にかかわっている。それで組合員の勧誘のためにあるとき狩り出されてある地域の一戸、一戸の家庭を訪問した。しかし、訪問しても多くの家庭は不在であったという。

これは多くの女性が社会で働いていることを意味するのだろう。もちろんその内実はいろいろであって、たとえば夫の給料だけでは生活ができないとか、そうではないが、より豊かな生活を求めている人もいるだろう。

ともかくも松山市郊外の住宅地では昔みたいに女性が在宅するという風ではないらしい。我が家も少し前まではそうであったし、いまは勤めに出ているわけではないが、妻はボランティアとかもろもろの活動や遊びに忙しい。郵便物が配達されても印鑑が必要だと配達通知だけが残って郵便物を結局は郵便局にとりに行くことが多い。

フルタイムで働く女性は多くはないかもしれないが、少なくともパートタイムで働く女性は多い。


藤田英一先生

2007-12-05 11:40:01 | 物理学

藤田英一先生が83歳で亡くなったという訃報が2,3日前の新聞に出ていた。大阪大学名誉教授で金属学が専門の先生である。

藤田先生に直接的には私は関係がないのだが、親友のY君の属していた講座の教授であった。

人柄もよく、学問的にも尊敬できる人だったという。Y君は藤田先生のもとで学位も取ったし、助手もしていた。だから後で私がY 君と同僚になったときにも藤田先生のことは何度か聞いた。海軍兵学校の出身で戦後に東大に入りなおされたらしい。

私たちが物理を教わったことのあるO先生に藤田先生も海軍兵学校で教わったので、Y君のO先生をあまり評価しないという、O先生評には賛成されなかったと聞いている。

また、私の勤めていたE大学の金属工学科に多年にわたって非常勤講師として講義に来られていた。そのときに学生が講義を聞いて感激して、はじめて金属学の面白さを知ったという。

これは私は学生から直接聞いた話ではなく、その当時金属工学科に所属していたある先生Mさんから聞いたことである。

学生を感激させるような講義ができる先生はすばらしいと思う。私などは学生を感激させるどころか、嫌悪感さえ抱かせたようである。私の人間性が素直でなく、ひねくれているせいだろうか。



電磁場の多重極展開

2007-12-05 10:59:02 | 物理学

電磁場の多重極展開がどういう意味を持っているのか書いたものを見たことがなかった。だからどういう意味を持っているのだろうかなと疑問に思っていた。

あるとき砂川重信著『理論電磁気学』(紀伊国屋書店)をみたら、電磁場の多重極展開の意味が書いてあるのを発見した。他の電磁気学の本にも書いてあるのかもしれないが、書いてある他の本を私は知らない。

この砂川さんの著書は電磁気学としては難しい方の部類に入るもので、初心者の通読には適していないが、これが載っているだけでもこの書の価値があるような気がする。

アマゾンコムの書評で初心者にこの本は難しすぎるとか書いてあり、その通りだとは思うが,「電磁場の多重極展開の意味が書いてあってこの本がいい」と言った人はいなかったと思う。それでいつかこのことをぜひブログに書き留めておきたいと思っていた。


(2024.2.1付記)電磁場の多重極展開についてのこの記事が久しぶりに読まれたことがわかった。あまり関心を引かなかったブログの項目であるが、このことに関心をもった、または、必要性ができた学生がおられたのであろう。

私も学生のころに電磁場の多重極展開についてそれをつかった本とか論文を読む機会があったように思うが、これがどういう意味だったのかよくわからなかったと思う。それでここに書いたようなことを書き留めたのだと思う。

カルマン渦

2007-12-04 11:38:04 | 物理学

カルマン渦といわれると「ええっ」という感じがする。流体力学ではKarman vortex という言葉で覚えたから。カルマンフィルターというのが他のブログで話題になっていたのだが、その関連でカルマン渦の話題が出て来たという訳である。そのブログのコメントで私が書いたことを以下にコピーしておく。

「カルマン渦は冬にときどきテレビの天気図の雲の衛星写真に現れますね。天気予報の解説で「これは典型的なカルマン渦ですね」といわれていました。並んだ規則正しい二つの渦の列が画面に現れています。流体力学で昔習った覚えがありますが,谷一郎先生の「流れ学」には多分写真がついていたと思います。でも衛星写真で見られるとは1960年代の当初には思いもしませんでしたね」

私はこのカルマン渦とカルマンフィルターを同じ人が提唱したとのかと思っていたが,どうも違う人らしい。このこともそのブログのコメントで知った。

このごろは何でも便利になっていてインターネットで検索すれば,たちどころにいろいろなことが分かる。でもそうやって知れることはやはり限度がある。自分の要求に応えられるものをいつも見つけられるとは限らない。

だから、自分の疑問を育て、その解明をゆっくりとやっていかないとやはり駄目だ。どの時代になってもそんなにやり方の基本は変わっていない。

どうも星野芳郎の「インターネット批判」のようなものいいだが、ある数学の先生が世界中を視察して回って、インターネット等のコンピューターの教材ができているのはやはり数学とか物理以外で当の面倒な数学や物理ではそのような教材はあまりないとの報告を以前にされていた。

そのときどうしてそうなのかと質問したら、やはり数学とか物理では1頁または一つの式や概念を理解するのに何日もかかったりするので、そういう教材にはなりにくいのだろうといわれていた。


土門拳と湯川秀樹

2007-12-03 11:50:08 | 日記・エッセイ・コラム

昔、湯川秀樹から写真家土門拳のことを聞いたことがある(注)。

土門拳が湯川の写真を撮りに来たときに撮る前に彼と話をした。わざとだと思うが、腹の立つようなことを言うのだという。そして腹が立ったときに写真を撮るのだ。

湯川は多分、土門は「腹を立てたときに人はその本性が現れると思っていたのだろう」という。この話を聞いたのは1968年の4月から9月の間のことである。多分すでに土門は亡くなっていたのではないかと思うが,定かではない。

つまらない想い出話しだが、自分の聞いた話を昨日(2007年12月2日)朝日新聞で高村光太郎の土門拳評を読んだので思い出した。

「土門拳はぶきみである。土門拳のレンズは人や物を底まであばく。レンズの非情性と、土門拳そのものの激情性とが、実によく同盟して被写体を襲撃する」 これが高村光太郎の土門評である。

(2013.12.9 注) 湯川秀樹博士のような碩学を呼び捨てにするのは本当は失礼にあたるだろう。もちろん一人で聞いたわけではないので、その場に居合わせた証人がいるはずだが、それが誰であって、まだ存命の方かどうかも覚えていない。

だが、ここではすでに歴史上の人物になっているという意味で敬称をつけていない。尊敬していないという風にはとらないで頂きたい。


イチョウの黄葉

2007-12-01 12:17:31 | 日記・エッセイ・コラム

仕事場に行く途中のK町の並木のイチョウがやっと黄葉した。松山は南国のせいか毎年12月にならないと黄葉にならないが、なるとさすがにきれいである。

先日M大学に資料を取りに行ったら、そのときのH通りのイチョウもきれいに黄葉になっていた。ここは何十年も通勤で通ったところだが、今年も例年と同様に黄葉となって美しい。また、仕事場から見える道後の後ろの山もやっと紅葉してきた。

もっとも室内が寒くなってきたので、そろそろ暖房が必要になっている。短時間ガスストーブをつけたりしているが、まだ常時つけている必要はない。