物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

山宣のこと

2010-01-15 13:36:26 | 日記・エッセイ・コラム

基本的には日曜日を除く毎日書いているこのブログですが、明日はブログをお休みします。これは明日と明後日に京都の南座へ観劇に行くツアーに参加するからです。

それでやむなくブログをお休みします。パソコンをもっていってブログをどこへ行っても毎日欠かさない方もおられるようですが、そういう手段をもってはいないので、失礼をします。

今度の旅行の予定では山宣(山本宣冶:無産者運動をやっていた人で暗殺された)の墓参りを予定にしています。山宣の墓は宇治の平等院近くの山にあって、そこに山宣のお母さんが開いたというレストランがいまでもあり、そこにバスを駐車させてもらい、墓参りに行くと共に山宣の業績を聞くことにしています。山宣は無産者の医療生協活動の先駆者だそうです。

武谷三男が京都大学で山宣にはじめてあったとき、山宣から「君は酒も女もやらんそうじゃないか。それで人生何が楽しいのだ」と言われたと書いています。今回の墓参りには山宣のことを調べている(松山市出身の)堺市在住の方の説明を受けることができると聞いているので楽しみにしています。

だが、「死後何十年もして自分のことが語られていると山宣が知ったら、どう言うだろうな」。山宣は若いときにアメリカに行っていたことがあるので、その当時の大多数の日本人の感覚とはちがうものをもっていた稀有な人だったのでしょう。

ちなみに山宣はもともと動物学者であって、京都大学理学部講師を勤めた学究です。京都大学の生物学科の卒業生は戦前にはこの山宣の影響を受けた人がかなりいたといいます。


China Blog Media

2010-01-15 12:54:18 | ブログ

以前、楊逸さんが芥川賞を受賞されたときに以下の日本文をこのブログに書いたが、それが標記のChina Blog Mediaにこれが英訳されていることを知った。それでこの英文がすばらしいのでここに載せておく。

日本文の前にあるBlogger physicomathとは私のことである。「評価されて」をwell-receivedとか「すばらしい」をincredibleとか訳されている。こういう英語を書けるようになりたいと思うが、とうてい私には無理である。

一つだけ注意をしておくと私は「母語」といって「母国語」とは書いていないことである。言葉には国は関係ない。私が母語という言葉を母国語の代わりに使うようになったのは田中克彦「ことばと国家」(岩波新書)を読んでからである。みなさんにも母語という言い方をお勧めしたい。

そういう意味では「国語辞典」という言い方にも心理的な違和感がある。「日本語辞典」というべきではないかと思う。また、どこの出版社だか覚えていないが日本語辞典という名の辞典が出ているのはそういう配慮がすでにされているのかもしれない。

ちなみにドイツ語はドイツという国だけで使われているわけではないのだから。ともかくも理屈は抜きに以下の英文を楽しんでください。

Blogger physicomath was also impressed:

日本人でも多和田葉子さんだかがドイツ語で小説を書いてドイツ語圏で評価されて何かの賞をとったというので評判になったが、それでも母語でない言葉で書いて文学賞をとるというのはすばらしい。

Among Japanese, there was also Yoko Tawada, who wrote a novel in German that was well-received among German-speaking countries, and won some kind of prize. But even so, to write in a language that is not your mother tongue, and win a literature prize, that is incredible.
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「けんか太郎」は名医

2010-01-14 11:40:19 | 健康・病気

「けんか太郎」といわれた武見太郎氏はいわずと知れた元日本医師会会長だが、若いときには理化学研究所に所属していた。その当時の理化学研究所は天下の俊才を集めていた帝国大学ではない、研究所であった。

中谷宇吉郎が何かの病気に罹って武見太郎氏に診てもらったら、その診断のしかたが合理的であったらしく物理学者の中谷を感心させてしまった。

このことを中谷の書いた随筆で読んだのだが、それがどの随筆であったのは覚えていない。また、具体的なその記述もよく覚えていない。中谷宇吉郎の著作集を開けてみれば出てくるのだろうが、それはしていない。

武谷三男も理化学研究所にいたことがあるので、武見太郎とは面識があったらしい。武谷にしろ、中谷にしろ武見の医師としての腕を信用していたという。その後の医師会会長としての政治的手腕を別としてもなかなかの名医であったらしい。


羽仁家の人々

2010-01-13 12:49:16 | 健康・病気

これは私のボケ具合を示すものであって、その他の他意はない。

羽仁家とは羽仁五郎氏とその家族のことである。私は羽仁五郎氏の全集が出ていないことを遺憾とするものだが、そういう話が出版界でいまのところ出てきそうにない。まことに残念である。

ところで、その五郎氏の息子の映画監督、進氏の名前を忘れてしまっていた。それで思い出そうとするのだが、守氏だったかなとかいくつかの候補が思いついたが、わからなくなった。彼の講演を学生のときに一度聞いたことがあったのに。

その講演を聞いたのは非行という言葉が流行りだしたころで、彼の映画の題名を「非行少年」と紹介者が紹介したが、それは「不良少年」だと進氏が彼の講演の中で訂正したことを覚えている。そういうことすらあったのに進氏の名前がなかなか出てこなかった。私の頭のボケ具合を示すものである。

五郎氏が晩年入院していて、死に瀕していたとき、進氏の子どもの羽仁未央さんだかが祖父を見舞ったときに涙を浮かべていたら、それを見た五郎氏が「おいおい、死ぬのは俺なんだぜ」といったとか言ったというのを進氏の「大いなる死」で読んだ。まことに羽仁五郎氏の面目躍如としたところがある。

この未央さんは香港の中国返還のころに香港にいて、そのNHKのテレビ放送に出ていたのを覚えている。羽仁家の人としてのたくましさを備えた人らしく広東語を知らないのに現地に飛び込んで周りの人から少しづつ広東語を学んだとか。

ちなみに香港をホンコンというのは広東語で、カタカナでその発音を表すと北京官話(標準語)ではシァンカーンである。残念ながら中国語のローマ字でこれを表すことが私にはできない。


不倫騒動

2010-01-13 11:41:49 | 日記・エッセイ・コラム

不倫騒動でもタイガーウッズの不倫にはあまり同情をしないが、北アイルランド自治政府首相夫人の不倫には同情をしてしまう。どちらにしても関係者が休業宣言とか休暇宣言をしたことに深刻さが現れている。

よく映画とかドラマでその意外な展開にその結末をどうするのだろうかといつも見ながら、フィクションだのに勝手に心配をしたり、その結末のつけ方を期待したりする。だがこれは前もって作者が考えたものであるから、その結末はすでに用意されている。

ところがその結末を予想したら、不倫関係は始まらないだろうから、その場の成り行きということになる。それだけ結果は深刻になろう。そこらが映画とか劇と現実との違いであろう。

どちらにしても今度の事件は考えさせられるものを私たちに与えた。


読書

2010-01-12 14:28:53 | 本と雑誌

読書をするかといえば、あまり読書をする方ではない。確かに本を読んだり、雑誌を見たりはしているのでものを読まないということはないのだが、いわゆる読書はしない。それはすなわち小説を読まないということである。

人間的にとても偏っているとは思うが、それはしかたがない。これは若い頃から自分でかなり意識してやってきたことであるので、もういまさら変えられない。

現役で勤めているときなら、これは仕方がなかったともいえるが、いまではどこにも勤めていないので、小説を読もうと思えば読めるはずであるが、どうもそうはいかない。

現在でもやりたいことは残っているし、退屈をすることはない。生活に追われていないかというと追われてもいるが、それでもなんらかのやりたいことが残っている。これは誰かが与えたことでもないので、自分で自分に与えた課題である。それはなかなか終わりそうにない。


阪神大震災15周年

2010-01-11 13:10:46 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、子どもから昼に、いま大阪駅に着いて、これから神戸に向うと電話で連絡をしてきた。これは阪神大震災15周年の記念の集まりに参加するためらしい。

子どもは自分自身も阪神大震災を受けたが、それでもボランティアで神戸の小学校に行ったのは震災の数日後である。そこで風の吹き抜けて小学校の寒い廊下の隅でパソコンからインターネットで情報の収集や連絡をした。

そのときにパラボラアンテナによる人工衛星を経由したインターネット通信で連絡や情報収集等をやっているグループがあるのを見て、とても感激をしたという。これは小学校のグランドの真ん中のテントの中で暖かいストーブがあって、どうも廊下の片隅の寒風のすきすさむ自分のおかれた実状とえらい違いだったと回想していた。

1995年は私にとっても記憶に残る年でその年の三月には東京の地下鉄でサリンを撒くというオウム真理教の起こした事件もあった。

阪神大震災で神戸の町が一部ではあろうが、灰燼に帰したのは私のような年齢のものには遠く1945年に自分の住んでいた町が空襲によって、灰燼に帰したことを思い起こさせた。もっとも空襲の方は人災で自然災害ではない。

その後、何年か経って神戸の町を訪れることがあったが、神戸はほとんど復旧をしてはいたが、それでもまだ震災の跡をそこかしこにまだ見ることができた。


あるメガネ屋さん

2010-01-09 12:55:10 | 物理学

自宅の近くにあるメガネ屋さんで数年前にメガネを新調した。このときにこのメガネ屋さんからメガネを持つときの注意を受けた。そのときの注意の一つがメガネのつるの部分を持たないようにということであった。確かにこのごろのメガネは軽くなっているが、それでもある重さをもっている。

メガネのつるの部分をもつとメガネのレンズのある部分とつるの部分の継ぎ目のねじが緩むというのである。確かにそのことは理解できる。いまのメガネではそういう経験はないが、以前かけていたメガネでは継ぎ目のねじが緩むということが何回かあった。

そのたびに小さなねじ回しでそのねじを締めるということをした。たとえば右側メガネのつるの部分をもてば、メガネの本体と左のつるの部分の力のモーメントがねじの部分にかかるのでよくないと思われる。

しかし、何十年もメガネをかけているが、そういう注意をされたメガネ屋さんはいなかった。もっともどのメガネ屋さんもそのような注意をメガネを新調したときに注意しているのだが、そのことに私がそれまで単に注意しなかっただけかもしれない。

ドイツ語をならっている、R氏の弟さんは日本でいうメガネ屋さんであって、一度R氏のところへ休暇で来て、数週間滞在したことがあるので、会ったことがあった。メガネ屋さんはドイツ語ではOptikerという。直訳すると光学屋さんということである。彼はマイスターであって、立派な職をもっている訳である。マイスターはかなり厳しい修行時代やマイスターになるための試験もある。また弟子を育てるという役目ももっている。

その試験も多分2回で通らないと生涯マイスターにはなれない。彼は運よくこのマイスター試験に合格してベルリーンの近くの町でメガネをやっていたが、離婚をきっかけにして故郷の町の近くでメガネ屋をやっていると聞いた。


どこかで聞いたような?

2010-01-08 17:44:10 | 社会・経済

今日の朝日新聞で「日本 前へ」というシリーズの5回目か6回目を読んだ。このシリーズは毎回興味深いが、今回の話は日本の個別の技術には見るべきものがあるが、それを全体の大きな商品というか、たとえばグリーンテクノロジーといった観点から見てどうもそれを生かすのが日本人や日本の企業とか国とかが下手だということを指摘している。

たとえば、ソーラーパネルにしても変換効率のような日本の技術はいいが、あまり全体的な利益につながるようには現在は機能していないという。そしていまではソーラーパネルを用いた発電の量はすでにヨーロッパの後塵を拝しているとか。

風力発電でもその開発に遅れてしまっているという。ところがその主要な部品であるボールベアリングとか風車の主軸は日本製のものが部品として優れた製品として採用されているのだそうだ。それらは他を圧倒しているのに全体としてのビジネスとしては風力発電全体のごく僅かの部分しか市場を占めていないという。

このような話は何十年も昔に聞いたような気がする。それは「システム工学」のことでアメリカが月に人を送り込んだときにもてはやされたものであった。

システム工学の何たるかを私がよくわかっているわけではないが、現在すでにある技術や製品を組み合わせてそれで月ロケットをつくり、99.999%かそれ以上の確かさで人を月に送り込むアポロ計画のときにもとになったといわれる考えである。

あれは1969年か1970年頃のことであるから、それからもう40年近くたったが、その教訓をまったく活かしていないようである。どうも日本の技術や会社の開発部門の担当者はどうもそういうところで遅れをとってしまっている。これは何に起因するのだろうか。もともとの日本の教育に起因するのか。

いや、これはどうも日本の技術のいいところでもあるし、欠陥でもあるのだろうか。

確かに技術的に優れたものは売れるという迷信があるのかもしれないが、技術的に先進国でもなくてもそこそこの技術国でも現在の技術をうまく組み合わせれば、トップ企業として風力発電にしろ、太陽発電にしろ売り上げをあげて世界的なシェアを占有することができるという発想はあまりに日本的ではないのであろうか。

私たちにも深く反省を迫るものがある。

それにしても昨夜のドイツ語のクラスで聞いた話は衝撃だった。それはソーラーパネルを屋根に取り付けた家でこのごろ雨漏りが激しいのだという。これはそれに対する対策がいずれ考えだされるではあろうが、これは現在までのところある種の盲点であろう。


朝寝坊

2010-01-08 12:52:13 | 健康・病気

低血圧という程ではないのだが、私は朝寝坊である。どうも朝早く起きるのが苦手である。私と歴史上の有名な人とを比べるつもりはないのだが、有名な哲学者のデカルトは若い頃に体が虚弱であったとかでお昼くらいまで朝寝坊をしていたという。

それが晩年になってスエーデンの女王様に招かれて朝の5時から女王様に講義をしたので好きな朝寝坊ができなくなり、その上寒い土地で風邪を引いて56歳でデカルトは亡くなったという。

ある意味でこの朝寝坊の快さは何もにも換え難いところがある。私が怠け者だということを自ら告白しているだけにすぎないが、さすがに夏の暑い季節には朝の6時頃に目が覚めることが多い。これは年のせいもあるとは思うが、夏では暑くて目が覚めるのであろう。

「春眠暁を覚えず」とは漢詩にある言葉だが、特に春の季節には気持ちよく朝寝を楽しむことができる。

一方で朝型の人たちもいる。私の友人のS君などはいまは知らないが、若いときはずいぶん早起きであった。外国生活をしたときに朝型になったという人もいる。

知人のTさんはドイツ留学中に朝型に変わったと言っていた。別の友人のTさんも早起きで大学に朝早く行き、午前中が長くてそのときが仕事がはかどる時間であるという。これはうらやましい話だが、まねができない。

この二人のTさんはどちらも勤勉で忙しい仕事も楽々とこなしていると傍から見ていると思えるような人である。多分実際にはとても努力をしているのだろうが、そういう風を見せないところがまたすばらしい。


先輩からの要望

2010-01-07 14:01:56 | 日記・エッセイ・コラム

私の卒業した高校の先輩から私の書いたエッセイを読みたいとのご要望が昨年の年賀状であった。一年を経てエッセイをまとめる時間がないので、それの出版にはなかなか至らないが、以前に出した「数学散歩」(国土社)なら差し上げることができると書いたら、それでもいいから読みたいといわれた。それでこれからそれを郵便局に送付のためにもっていくところである。

私の長兄や次兄をよく知っている方で私も高校の同窓会のときに2,3度お会いしたことがある。私がエッセイをときどき書くことを知っておられて、それを読みたいと言われている。多分お歳なので、特に冬は外出があまりできなくて退屈をされているのであろう。

確か愛媛県の職員として部長クラスの要職を勤められた方だと次兄から聞いている。少しでも暇つぶしにお役に立てばいいのだが。


ブログの文の修正

2010-01-06 16:49:49 | 日記・エッセイ・コラム

先日ブログの文を修正する暇がないと書いた。もうどれくらい昔になるのかわからないが、中国の革命家で政治家であった毛沢東が彼の選集に入れる文章を常に修正していたということをどこかで読んだ。

これはいいことなのか悪いことなのか。ある意味では意見を変えることもあったという風に思えて感心しないことのようにも思える。一方でそれは常により正しい方向への試みであるから、望ましいことのようにも思える。

一方、小さな言い回しは修正したかもしれないが、武谷三男は文を修正しないで彼の著作集に入れている。そうすると広島、長崎に落とされた原爆は日本の軍国主義を完膚なきまでに吹き飛ばしたというような(この言葉は正確ではないので原書にあたってほしい)文を書いたということで「武谷はすごくむごい奴だ」というような人も出てくる。

「武谷はすごくむごい奴だ」ということを本当だと思う人もいるであろうが、彼が2度も特高に捕まってその迫害に苦しんだことを知って、彼の文を読むとまたちがって見えるだろう。

武谷はセンチメンタルとヒューマニズムとを区別した。日本ではセンチメンタルをヒューマニズムと混同することがよくあるから。もっともそれがどうちがうのかはなかなか区別し難いところもある。

大学の英語教育であまり学んだことはないが、snobという概念とsentimentalという概念を学んだように思う。ところが、現在の私にはsnobとsentimentalとがどういう風のものであったかについてはっきりしない。いや、これはそれを学んだ当初から私にははっきりしなかったのかもしれない。

ともかく私は自分の書いた文章を修正したいという方に属している。


www.ftext.org

2010-01-06 13:35:12 | 数学

数学だけではないのかもしれないが、www.ftext.orgという団体が高校数学のテキストを作ってインターネットで公開している。なかなかしっかりしたテキストであるが、それでももう少し丁寧に説明をした方がいいと思われるところもある。

三角関数のところを見ているのだが、一般角の説明が詳しくていい。私は前にも何回かこのブログでも述べたようにe-Learningのコンテンツをつくっている最中だが、このような一般角の説明というか例題を与えることができない。それは主として図を描く手間が大変だからである。

要するにこのftextでは説明とそれを示す図が豊富なのである。ただ、例題の解説がちょっと足りないところがあるというか親切さを欠くところがあるように思う。だが、これはこの部分は自学自習に待つというつもりなのであろう。

この団体は心の広い(grosszugigというドイツ語があてはまる)団体らしく、この教材というかテキストをもとに改変することも許している(もっともこのテキストをもとにしたという注釈は最低必要らしい)。ただ、そのtexファイルが手に入るのかどうかはまだ調べていない。

このごろは各大学でもe-Learningのコンテンツをもっている大学が多くなった。だが、それらは勝手に改変を許さないだろうし、その練習問題を勝手に使うことは気がひける。勝手に使うとある種の著作権の侵害になるかもしれない。

有名な金沢工業大学のコンテンツなども詳しく親切にできているが、その取り扱いはもう一工夫あってもいいように思っている(このような失礼な言い方をしてすみません。金沢工業大学の関係者の皆様。立派なコンテンツであることを否定するつもりではありません)。


検診結果

2010-01-05 12:42:21 | 健康・病気

今朝、健康診断の結果を聞きに病院へ行った。結果は悪い方のコレステロールが高く、よい方のコレステロールが低すぎるということと胸のCTスキャンの精密検診を要請された。

母が肺がんで亡くなったので、肺がんのことを心配して胸部CTスキャンをしたのだが、やはり何かがあるとのことで精密検診の要請となった。

肺がんだとすれば、まだ初期のものだとは思うが、その可能性はあるだろう。どこか専門病院へ行って精密検診を受けなければ、ならなくなった。


関が原

2010-01-04 13:02:41 | 日記・エッセイ・コラム

従兄が歴史にはまっていて、関が原に何回か足を運んでいるらしい。最近送ってもらった関が原のスケッチと手紙では石田三成の方が徳川方に当然勝つべきであったという。私は歴史に暗いので、その真偽の程はわからないが、現地を見るとその感を深くするらしい。「一度ぜひ現地を見に来てみて」と言われているとは妻の弁である。

確かに三成軍の10万に対して家康軍は8万だったとか聞く。それに陣地の取り方も三成軍の方がよければ、なぜ三成が家康に敗れたのかと不思議に思うだろう。

ところがそれぞれに味方している諸大名はどちらが優勢かによって自分の地位を保全したいというような気持ちも働くだろう。そうするとどちらが勝つかは必ずしも単なる数では決まらない。そこが家康のような老獪な者に自分の揺れる気持ちにつけいる隙を与える。

三成は戦いで勝ち上がって勢力を伸ばしてきた者ではない。むしろその経世で頭角を現してきた者である。その才は見るべきものがあったとしても、戦にはあまり強くはなかったろうし、その冷たい政治で反感を多くの諸大名にもたれていたともいう。

その辺の史実は本当のところは詳しくないので間違っているかもわからない。それに大抵の場合には歴史はいつも勝者の書く歴史である。

関が原をいつだったか新幹線で冬に通ったことがあったが、雪がよく降ると聞いた。このときもスプリンクラーで水をまいて雪を溶かしているとかだった。

ともかくも関が原の戦いは西暦1600年で、それから270年近く鎖国が続いて、それで日本が植民地にならずに済んだというとかいう人もあるらしいが、本当によかったかのどうかはまったくわからない。

ヨーロッパではその約180年後にフランス革命が起こり、人権が叫ばれるようになる。それはもちろんブルジョアの人権であり、また一般の人の基本的人権の主張ではなかったろうが、それでもそれが人々の基本的人権への第一歩であったのだろうから、日本では数百年の遅れが生じたことは確かであろう。