土曜日の夜に大学の研究室の同窓会があった。全国から14人が集まった。研究室の教授はもう何年も前に亡くなっているが、いつのころからか、同窓会をやるという習慣ができたのである。それでその研究室はもう卒業生を出さないのだから、老齢になってだんだん会員が減っていく一方である。
多分私たちの分野で一番有名なのは京都大学の湯川秀樹先生である。だから、その研究室も同窓会をやっているとすれば、私たちの研究室と同じでメンバーが年毎に少なくなっていく運命であろう。そちらの研究室にも関係している方がおられ、その方が今回集まった方の最年長であった。
すなわち、同窓会といっても、卒業生だけの同窓会ではなくて、旧職員も含んだ広い意味の同窓会なのである。2年に一度の会であるが、世話をしているのは私も含めて3人であり、これはどうもこれからも変わりそうにない。ほぼ1939年生まれか1938年生まれの三人である。
この世話人の学年は3年にわたっているが、はじめに世話人を引き受けた人がつぎの世話人を指名したので、結局この3人に落ち着いてしまった。私は3番目に指名された世話人であり、たまたま先回と今回の世話人を引き受けた。
同窓会といっても特に変わったことをするわけではない。どこかの場所に集まって一夕食事をしながら歓談をするというそれだけである。しかし、先月末の3月29日に先輩の一人が亡くなったというので同窓会有志として生花を贈った。
この方は基礎物理学研究所や原子核研究所にも勤められた方であったが、最後は立教大学に勤められていた。私が出した同窓会の開催通知を見て、遺族が連絡をしてこられたのであった。告別式には先輩の一人が参列をしてくださったとのことで、その様子がその方から報告された。
今度亡くなられた方はアメリカから帰られた直後だったと思うが、研究室に顔を見せられて、いろいろ話を当時の教官だったOさんとされていたのを覚えている。1960年代の初めか中頃のことだと思う。こういう風に同窓会のメンバーは一人二人と亡くなっていく。