物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

バレンティン56、57号

2013-09-16 13:26:39 | スポーツ

ヤクルト球団のバレンティン選手が長い間破られなかった日本プロ球界のホームラン記録を昨日あっさりと抜いた。

そのことは大記録なのだろうが、そのことよりも私に今日の新聞でおもしろかったことは打球の初速度と角度のデータが出ていたことだった。

バレンティンの打球の初速度は平均時速156キロで、打ち上げる角度の平均は31度だったという。過去のホームラン王であった、王選手も初速度が時速155キロで、打ち上げる角度が30度であったから、ほぼ同じような打ち方であるという。

プロ野球のボールは古典力学で取り扱う質点ではないし、空気の抵抗等があるので、質点の力学で議論はできないが、仮に質点であり、空気の抵抗がなければ、放物体の運動は水平と45度をなす角度で打ち上げると一番遠くまで飛ぶということが知られている。

もちろん遠くまでボールが飛ぶためには初速が大きいほどいいことは間違いがない。

松井選手の打球の初速度が時速159キロであったのに比べれば、時速3キロもおそい。それでバレンティン選手は技巧派だと新聞には出ていたが、それでもすごい話である。

王さんのコメントもいい。達人は達人を知るという感じがした。


数学・物理通信3巻6号

2013-09-14 11:59:40 | 数学

数学・物理通信3巻6号の発行の準備ができた。

著者の方からは原稿に問題は残っていないと一応のOKを得ている。だが、いつも言うように私はそそつかしいから数日の日時をおいてから発行する予定である。

星野芳郎氏の著書の中に、原稿のチェックは結局プリントして見ないとディスプレイ上では十分なチェックができないのだと述べられてあった。その理由は書かれていなかったが、そのことは本当だと思う。

まだ、実は全体をプリントしては見ていない。部分的には投稿された原稿との突合せはプリントと画面上で点検はしているが、それだけでは経験上十分ではない。

完成原稿とする前には毎回発行の前に30ページ近くをプリントしなくてはならない。紙代は大したことはないが、プリンターのトナーが切れかけなので、そのトナー代が7,8千円することを考えると憂鬱となる。

しかし、発行前には必ずプリントして点検をするつもりである。


印税2

2013-09-13 13:26:36 | インポート

4年目にしてはじめてゴールドスタイン「古典力学」下(吉岡書店)の印税を昨年の年末にもらった。源泉徴収されているから一人当たり10万円を切った。

それまでその本が売れているのかどうかも知らなかったし、いつになったら印税をくれるかとも聞いたこともなかった。

上巻が出版されたのが2006年6月で下巻は2009年3月に出版されたので、以前にテキストとして採用をしてくれていた、少数の大学でもこの3版をテキストとしてなかなか使ってもらえなかった。

一昨日、市役所から吉岡書店からの印税を市民税・県民税として課税するための資料として申告せよとの知らせが届いた。

これには私は3月に毎年確定申告をしているので、ちょっと不満であったが、それでもよくわからないから確定申告のコピーをもって、新たに申告をする必要がないのではないかと市役所に申し出た。

その異議申し立てが効をそうして申告はしなくていいということになったが、「申告してあった内容がわからなかったからです」というのが市役所の言い分であった。

翻訳書を出すには3人が分担して訳をしたが、その訳を3人で回し読みしてわかりにくいところや硬い表現が容赦なく指摘された。

場合によってはこれではなんだかわからないと他人から指摘された箇所などは原文の意味の取り違えであることに気がついたりしたこともあった。幸いにしてこれは1ヵ所にすぎなかったけれども。

えんえんとしてそういう作業がいつ終わるともなく繰り返される。そしてその訳が完成してもその校正刷ができるとやはり同じことの繰り返しである。それに校正刷は出版社と印刷所の都合で検討の時間も限られてくる。

ということを繰り返して、へとへとになる。だから、文学書の翻訳は知らないが、翻訳が労力に見合ってペイするという感覚は到底もてない。多分その労力は印税の何倍分もであるだろう。

共訳者の方々もこの仕事をアルバイトとして考えている人はいなくて、お金のことには恬淡とした方ばかりであるのは助かった。翻訳はある種の名誉かもしれないが、利益追求の方には引き合わない仕事であろう。

なぜこれほどの労力かというと、今ではlatexのシステムが普及しているので、数式の入力までも翻訳者の仕事となっているからである。

2版を瀬川先生の責任で翻訳をしたときにはまだ原稿用紙に訳文を書いた。式と図は原書のものが訳書にそのまま取り込まれたので、労力はそれでも大変ではあったが、3版のときほどではなかった。


熱の伝わり方

2013-09-13 12:25:08 | インポート

熱は温度の高い方から低い方に流れる。もちろんこれは仕事をしてやらないという条件つきである。

仕事をしてやれば、熱を低い方から高い方へ流すことはできる。「そんなバカなことが!」という人はいまでは誰もいないだろう。

それはエアコンとか冷蔵庫が現在では一般化しているからである。

高校生のときにはじめて物理学を学んで間がないころ、「なぜ熱は温度の高い方から低い方に流れて、低い方から高い方に流れないのですか」と物理の先生に聞いてあきれられたことがあった。

多分その先生にはそんな疑問を持つ奴は度し難い、ひにくれた生徒であっただろう。

そのときにその物理の先生が熱の現象のことを深く知っていたなら、「君のその疑問は熱力学第2法則の一つの表し方になっているのだよ」と教えてくれたのかもしれないが、工科系の出身だったその物理の先生はそういうことを私には教えてはくれなかった。

大学に勤めるようになってから、原島鮮先生の『物性論概説』(裳華房)を読んだらそのことが書いてあった。

子どもころ朝鮮(今の韓国:鎮海Tin-hae)に住んでいたが、自宅は小さく風呂などはなかった。だから、家中そろって近くの銭湯に出かけた。

まだ小さかったから、はじめは小学校の4年生くらいになっていた長兄や2年生だった次兄が負ぶってくれたりした。そのうちに自分でもついて歩いていけるようになった。

風呂に入った時にお湯の熱が体にじんと入ってくる。そのいわば軽く痛いような感覚が私が熱を感じた最初の経験であったろう。

小さい時はいつも祖母がわたしの体や頭を洗ってくれたが、その痛い感覚というほどではないが、ある種の痺れがとけたときに感じるような感覚がお湯の熱が体に入ってくることを意味していた。

最近一日の最低気温がようやく25度を切るようになって、少なくとも朝方に窓を開けると涼しい外気が部屋に入るようになった。

そこで考えたのは、確かに熱は私の体から放出されて冷たい外気の方へと移っているはずだが、感覚としてはむしろ冷たい外気が私の体に入ってくるように感じる。外気の方には認識の主体がなく、人間である私が感じているのだからそのようにしか感じられない。

山で天候が急変したりして、遭難をして低温の外気と強い風によって体温を奪われて低体温症になって亡くなる方がときどきある。

その方などはまさに冷気が体に突き刺さるように感じられるであろう。熱が外気に放出されるプロセスはいつでも同じはずだが、冷たさが体に侵入してくるとしか思えないであろう。

熱の現象の初歩の話を定年前の4-5年間、大学に入学したての一年生に教えた経験がある。

温度の高い物質と温度の低い物質、あわせて二つの物質を接触させておけば、高い方から熱が低い方の物質に流れ、時間が経てば二つの物質が同じ温度になる。

などということを経験則として教えるのだが、そのときに「なぜ反対のことが起こらないのですか」という、若いときに私が疑問に感じたようなことを聞く常識外れの学生には幸いな(?)こととに出会わなかった。


スダチで焼酎を飲む

2013-09-12 10:35:58 | 日記・エッセイ・コラム

昨日は少し早目に帰宅して、近くの酒店に焼酎を買いに行き、そしてスダチを十文字に切ってコップに入れた焼酎にそのスダチを絞ってから飲んだ。

水で割って飲んだのだが、この水は丈が渕公園の側で汲んできた水で全国の名水百選に入っている、地下水である。もちろん氷も忘れずに入れた。

はじめあまりうまいとは感じなかったが、妻が「絞りかすのスダチも焼酎に入れたらといいよ」というので、それをいくつかコップの中に入れたら、焼酎の味よりもむしろスダチのさわやかな香りと味でおいしくなった。

たくさんスダチをもらっているので、ふんだんに焼酎に入れて飲んだが、少なくともビールのあのまずさとは違う。これは癖になりそうと言ったが、人が酒を飲むことがあまり好きではない妻は知らん顔である。

それでも焼酎が進みそうな、わかめの酢の物とか茄子の塩もみにツナをたっぷり入れたものをつくって出してくれた。結構亭主思いのいい女房である。

それで1杯のつもりが2杯になり、3杯になった。4杯までは飲まなかったかと思うが、どうも定かではない。

その後、食事へと進んだが、どうも茶碗1杯いつも食べているライスが半分ぐらいで食べられなくなった。

これから数晩スダチがある間中こんなことをしたら、妻が嫌がるだろうな。

いや、いつもと違って趣味人の振舞いをまねてみたのだが、それも疲れるものだ。


すだち

2013-09-11 14:33:16 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜のテニスで最年長のMさんからすだちを大量にもらった。

テニス仲間の人たちが焼酎をすだちわりで飲んだらおいしいと言っていたようなので、どのようにして飲んだらいいかインターネットを調べたかあまり的確に書いたものにたどり着けなかった。

単に焼酎にすだちを絞って飲むだけかもしれないけれど、妻はこういうことに関心がないので今晩は自分で焼酎を買ってきてすだちを絞って飲んで見ようかと思っている。

私の大学での上の教授のお兄さんが徳島に住んでいた関係で教授から巣立ちをもらったことが昔あった。そのときにさすがに焼酎に入れて飲むとかは聞いていない。

近所の酒屋さんに聞いてみようかと思う。近くに酒屋があるが、私はあまり飲む方ではないので、アルコール類を酒屋さんで買うことがほとんどない。だが、別に近所として別に関係が悪いわけではない。


Lの字

2013-09-11 11:30:41 | 日記・エッセイ・コラム

今朝、朝食の後で妻と話をした。

子どもがある雑誌に記事を書いたので、その雑誌を兄の家に送ったら、昨夜読んだとの留守電が入っていたので、今朝になって有難うと電話をした。

その後で、昔の思い出話になった。1976年のことだからもう37年も前のことである。そのころ私たちはマインツというライン河沿いの町に住んでいた。

9月に子どもが地元マインツ-ゴンゼンハイムのマーラー・ベッカー小学校に入学した。この小学校の入学も自分たちで申し出て入学をしたのであった。6歳から12歳までの小学校は義務教育ではあるが、いつ子どもを小学校に入学させるかは両親の裁量に任されている。

だから、自分たちで自発的に入学させたいと申し出ないと入学ができないのである。入学後のあるとき妻は子どもがお昼に小学校から帰ってきたときに今日は学校で何を習ったのと聞いた(注)。

そしたら、その日はアルファベットのLの字を画用紙に大きく書いただけだった。妻は言う。ああこれでいのだと、それから妻は子どもに何かを教え込むという考えを捨てたという。

妻はこれによって教育ママという考えから解放された。その半年後には私たちは帰国をして、子どもはもう一度日本で小学校の一年をはじめた。

あるとき父親参観日に行ってみたら、どうも子どもはうすのろか何かに思われるような反応の遅い子であった。これは算数の時間であったが、私がやはり子どものときに数の計算がへたであったので、まるで自分の子どもときを見ているようであった。

その子がいまではある雑誌に記事を書いて人に読んでもらうようになっている。子どもが小さいときのことを考えると感慨深い。

(注) 子どもが通っていた小学校はお昼で授業はおしまいで、午後には授業はなかった。ドイツ全体でそうなのかどうかは知らないが、午後には授業は小学校ではなかった。


科学の哲学

2013-09-10 12:03:02 | 本と雑誌

『科学の哲学』(岩波新書、1984)を読んだ。

数学・物理通信3巻5号を発行して、放心状態で先週末に数日何もする気が起きなかった。もう何年も前に亡くなった長兄の蔵書の一部を先日数箱もらってきた。その中にこの『科学の哲学』があった。

これは上智大学の学長もされた柳瀬睦男さんの書である。はじめて読んだのだが、柳瀬さんは健全な考えの持ち主であることがわかった。

あまり本を読んでも頭に残らないのだが、立場として素朴実在論の立場に普通の多くの科学者は立っているというのは説得力があった。

柳瀬さんは神学者でもあるが、彼はやはり物理学者である。量子力学の解釈問題の専門家と思っていたが、いまでは科学基礎論をやられているらしい。

科学の基礎についてのいろいろな論をご存じのようではあるが、それでも極端には走られていないという印象をもった。

具体的にどこか興味深いかはなかなか言えないが、それでもやはり柳瀬さんが数学と物理の具体的なことについて言及しているところがおもしろい。

複素解析と物理との関係に触れたところとか、単振子の振動の振幅が大きくなるともう単振動とはいえなくなり、その運動方程式の解として楕円関数で表さなくてはならなくなったりするが、力学的エネルギーはそのときでも保存しているとか。

ちらっと柳瀬さんの学問的知識の切れはしが垣間見えていい。1974年のJ/プサイ粒子の発見されたころには柳瀬さんはパリの研究所に滞在されていたが、当時フランスでは郵便のストで郵便はもちろん新聞とか雑誌も手に入らなかったという。

それでアメリカから、ベトナム出身の学者が帰って来て報告をしてJ/プサイ粒子の発見の様子がわかったのだという話などはもう今では古い話であるが、どきどきさせられる。

クォークもまだ4つが定説の頃だったらしいが、5つか6つもあるらしいともその後のどこかで書かれている。

この書で十分に科学の不思議さが伝えられているかどうかはわかならないが、やはり健全な常識をもつ科学者の述べることのよさを感じた。

ちなみに私などはあまり「科学の哲学」などというものに関心をもたないほうである。やはり科学それ自身がおもしろいと感じる。しかし、そのことを科学の哲学というテーマからでも垣間見るのもいいことだと思う。特に科学には関係のない文系の人にとっては。


天使の分け前

2013-09-09 10:55:55 | 日記・エッセイ・コラム

マネキネマの例会で「天使の分け前」という映画を日曜に見た。

「天使の分け前」などというと物知りの方なら、ワインに関係したものだったかなとか思い及ぶかもしれない。そういうことは知っている方は相当の博学の方であろう。

私にはウム「天使の分け前」と聞いてなんだかワインか何かに関係していたなとしか思い出せなかった。

それでよく映画の案内のチラシを見たら、「『天使の分け前』とは、ウィスキーなどが樽の中で熟成されている間に、年2%ほど蒸発して失われる分のこと」とあった。

ウィスキーなどがと「など」とあるので、私が聞いたことがあったのは多分ワインの熟成の過程でのワインの蒸発のことを聞いたのだろう。

英語ではタイトルはAngel's shareとなっている。これをドイツ語ならどういうのであろうか。Teilung des Engelsという訳が思い浮かんだが、さて正しいかどうか。

ちょっと独和辞書を引いてみたが、そういう語句は載っていないようである。辞書にもその制約があるので、とても大きな辞書でもないと出ていないかもしれない。

映画はなかなか絶望的なスコットランドの若者の話であり、すこし違法なことをしてちょっとしたお金と勤め先を見つけるという話である。

とても高価なレアもののウィスキーを3瓶だけ仲間の3人とロビーという若者が手に入れることに成功するが、そのうちの一瓶は仲間がちょっとしたミスでその瓶を割ってしまう。

そこらへんが昔学生の頃に見たセッテ・オウミニ・ドーロ(Sette uomini d'oro黄金の七人)のようなだなと感じた。

「黄金の七人」では七人組の男が、銀行から首尾よくトラックいっぱい金塊を盗んだのに、南イタリアのどこかの都市で路上に止めた、そのトラックのブレーキがあまくて、坂をその金塊を積んだトラックが転がりだし、そのトラックから金塊が全部放り出されてしまい、自分たちの取り分はまったくなくなってしまうという話である。

この映画を思い出したが、彼らはそれでもまだ二瓶のレアもののウィスキーをもっており、それをコレクターに一瓶売って10万ポンドのお金を手に入れる。

ロビーはそれだけではなく、コレクターに蒸留所の職を世話してもらい、恋人と生まれたばかりの赤ん坊をつれて、新しく購入したフォルクスワーゲンで紹介された蒸留所に向かうという話である。

どうもまっとうなやり方でお金も職も手に入れたのではないところが気になったが、これはお話であるから、しかたがない。


赤い車

2013-09-07 11:55:27 | 日記・エッセイ・コラム

最近赤い色の車が多くなっているような気がする。

これは自己主張が強い、妻が赤い車を購入してから、気を付けて観察をしていると以前と比べて赤い色の車が多いような気がする。

多分これは気がするだけではなくて、確かに赤い車が以前よりも多いのだと思う。どこかに出かけたときに駐車場で見渡すと妻の車以外に数台は必ずみつかる。

少し以前ならば、目立つことを避けていたのが最近では自己主張を女性がするようになったせいではないかと思われる。

赤の車はしかし意外に目立たないと思うが、黄色の車に知人が乗っていた時期があった。彼によると警察のパトカーとか白バイに停められることが多くてかなわなかったと述懐をされていた。

それで、知人は気に入っていた、この黄色の車を泣く泣く手放した。黄色の車は町でとても目立つのだという。

赤い車は街中では黄色の車ほどは目立たないが、それでも赤い車に女性が乗っていることが多いから、これは女性の自己主張ができるような社会になって来ているという証拠かもしれない。


合理性と狂気

2013-09-06 12:45:45 | 日記・エッセイ・コラム

合理性と狂気とは相反する概念かもしれない。

だが、物事に成功するにはどうも合理性だけではまだ足りないものがある。

そういうと、そんなはずはないと多くの方に言われるかもしれないが、科学上の大発見をされた方に話を聞いたり、読んだりすると少なくとも一時的には狂気的とも思われる期間があるものである。

だから、なんでも大成功を収めることができるためにはある種の狂気(または情熱)が必要である。いや、大成功ではなくとも小さな成功でも成功を収めるにはある種の狂気が少なくともある期間持続しなくてはならない。

これはちょっと考えると合理性とか理性とか冷静さと狂気は相容れないような感じがするので不思議と思われるが、何事でも成功の納めるにはこの合理性とか理性とかだけでは十分ではない。

それは一見すると、パラドックスのようにも思われるが、このことを合理性と狂気を両立させないと、やはり何事も成功はおぼつかない。


放心状態2

2013-09-05 14:56:32 | 日記・エッセイ・コラム

毎回同じことを書いているような気もするが、昨日数学・物理通信3巻5号を発行した。

続いて、3巻6号を準備しているのだが、3巻5号を発行する前にいくらか準備しておいた。しかし、いま続けて編集する気が起こらない。少なくとも数日をおかないとその気がおこらないであろう。

編集業務がとてもきついという風には感じていないのだが、いつもこういう感じを受けるので結構のプレッシャーなのかもしれない。

だから、このブログを書くとかちょっと関係のないことをやらないとつづけて作業をするという元気がでない。

普通の人からみたら、私は結構勤勉であるかもしれないが、それでもこのような怠け者である。それはしかたがない。

もうすでに次号の3巻6号の原稿があり、それを単に編集するだけなのだが、それでも放心状態なのだからなんだか自分でも理解ができない。

ただ、私としては現実の自分を認めて休みをとる以外にはやりようがない。


竜巻と藤田スケール

2013-09-05 13:41:48 | 科学・技術

竜巻が2日続いて起こった。

こういうことは珍しいのだが、それでも大気が不安定だということであり、それも同じところではないが、関東地方の比較的に近い地域で起こったことはその蓋然性が大きかったということだろう。

それで昨日の竜巻の強さはF2だったという。一昨日はF3であったから、一昨日の方が竜巻の方が強かった。

その竜巻の強さを決めたのは藤田さんというアメリカで研究をしていた日本人の研究者だという。藤田さんはもう亡くなっているが、Dr. Tornadoと呼ばれたという。

そういえば、海外で活躍する日本人学者は結構多い。物理学者の南部陽一郎は物理学の分野では以前から有名だが、2008年のノーベル物理学賞を受賞したから、もう世間的にも有名となった。この年にノーベル化学賞を受けた下村脩さんも同時に有名になった。

アラスカで長年にわたって、オーロラの観測を行い、その研究をされた赤祖父さんも有名な学者である。E大学の地球圏の大気プラズマ(?)を研究しているSさんは数年前にその分野の国際学会がアラスカであり、赤祖父さんに会ったとかその研究所を見学したとか言われていた。

アメリカでは竜巻の被害が以前から大きいのでさかんに研究がなされており、その研究をしている研究者の劇映画までできていると思うが、日本では竜巻の被害が問題になり出したのは割と最近である。

これからは気候の変化とともに竜巻の発生が日本でもしばしば起こるようになり、竜巻の藤田スケールもマスコミに報道されるであろう。

少年のころの少年雑誌に竜巻の絵がグラビアで出ており、竜巻という恐ろしい気象現象があることを知ったが、それは外国での話であり、日本でそういうことが起こるようになるなどとは思ってもいなかったが、約60年を経て、日本も竜巻がしばしば起こる国であることを身近に感じるようになった。


地震の予知はなぜ難しい?

2013-09-04 10:54:28 | 科学・技術

地震の予知はなぜ難しい?

このことを非専門家である私が理解したいと先の徳島科学史研究会の総会で発言したら、出席者の中から「地震の発生はマルコフ過程だから無理だ」とか、「地震の起こる地盤は複雑系だから地震の予知は難しい」と発言があった。

多分それらの発言は間違ってはいないのだろうが、地震の予知が難しいことを自分の実感としてわかるようになりたいというのが非専門家である私の発言の意図であった。

第一、マルコフ過程とはなんだか知らなかった。それで昨夜就寝前にマルコフ過程とは何かが気になって、『現代数学教育事典』(明治図書)を探してみたら、わかりやすい説明があった。

その数日前に『理化学辞典』(岩波)を引いてみたら、説明が載っていたが、私には理解できなかった。

いま、、『現代数学教育事典』によって私の理解したところではマルコフ過程とはその事象の起こる確率がその前の事象にのみ依存しているような過程であるということである。

『理化学英和辞典』(研究社)によれば、つぎの事象の確率が現在の状況だけで定まる確率過程とある。

これは視点を未来に起きる、次の事象の起こる確率とするか、または現在の事象の起こる確率がそれ以前の状況によって決まるかという時点をどこにとるかの違いだけである。

それだと現在の状況が詳しくわかれば、つぎの地震の予知ができてもいいことになる。だが、まだ現在の地震学の知識ではまだとらえきれていない情報があるのだろう。それが何かということがわかれば、地震の予知ができてもいいことになるが果たしてどうなのであろうか。

地震の発生はマルコフ過程だから予知ができないという、理由はあまり明確ではないが、複雑系だから予知ができないという方はどうだろうか。これは十分に理由があるようだが、やはり何が地震を生起させる根本となっているのかがその複雑系でもわかればいいような気がする(注)。

しかし、地震を起こす地盤等の系が複雑であるために何が肝心な要素かということが現在のところ特定できないというのであろう。それにしてもそのうちに地震が予知できそうな状況にはまだなさそうである。

では地震学に国費をつぎ込むのは税金の無駄遣いでその費用を負担するだけ無駄かというとそういうわけでは決してない。地震に対する被害を最小にするための方策を考えることには地震学によって地震の実態がもっと深く掘り下げられれば地震学は役に立つはずである。要はその知識の使い方を知ることであろう。

(注) ちょうど物性の話で秩序パラメータ(order parameter)の変化で物性の変化が記述されるような、そういうパラメータ(物理量)が何かということを見つけるという以前の段階に地震学があるのではないかという気がするが、これは素人の考えだから見当違いも甚だしいかもしれない。

地震の専門家のロバート・ゲラーさんによる(『週刊エコノミスト』9月10日号)と小さな地震は常に地下で起こっており、それが大部分の場合には大地震を引き起こすことがないが、たまに大地震になるのだという。その大地震になるのかそうでないかの分岐点が何なのかがまだ現在の地震学ではわかっていないということであろうか。

ちなみにゲラーさんによると「地震の前兆現象があるのか」とか「大地震は周期的に起きる」とかの説は学問的にはまだ確認をされていないので、これらの考えについては彼は現在のところ否定的である。


地震の予知

2013-09-04 10:19:27 | 科学・技術

地震の予知は実はとても難しいらしいということが言われるようになってきた。

これはなかなか地震の予知などができないという現実をちゃんと見つめるということができるようになったからであろう。

もう50年くらい前には天気予報もそうであった。しかし、いまでは天気予報はよく当たるようになった。昨日も夜のテニスのコートの予約をキャンセルをしたときにお知らせチャンネルの雨雲の予想図を見てから電話をしたら、現地でももう雨が降り出していて、比較的簡単にコートのキャンセルができた。

18時30分頃から雨が降り出して、19時ころにはザアザア降りになっていた。ぴたりと雨雲の動きが予想された通りに雨が降った。

天気予報はその基礎方程式がわかっているそうだが、地震予知の方は実はまだその基礎方程式さえも不明なのだと最近雑誌で読んだ。真偽のほどはわからないが、専門家がそういうのなら、そうなのであろう。

そういえば、先日の徳島科学史研究会と日本科学史学会四国支部総会の合同の総会でもそれに関連した講演があった。これはアメリカの『アメリカの「地震予知と公共政策」』という題での香川大学の学生の講演であった。

そしてアメリカでは地震予知は0%とも100%とも思っていなくて、ある程度は信用できるものだとの見解で公共政策がなされているとの話であった。

講演をした学生の意見では学者の地震予知は自由に制限なくさせ、警報を出すという公共政策とは区別すべきではないかとの結論であった。

もっとも質問に警報と予知とはどう区別するのかという質問があった。そこらあたりは実に難しいところである。

最近、イタリアで地震学者が地震はないと言って一般の住民を安心させていたところ実際には地震が起こり、多くの人が亡くなったというので、裁判が起こされ有罪判決がその地震がないと言明した学者等を含めて有罪の判決があった。

これは最終的にこの判決が確定したかどうかは知らないが、「もの言えば唇寒し秋の風」とならねばいいが。

「人心を収める」ということと「実際に人命を失う」という被害のはざまに研究者もいるということを示している。