熱は温度の高い方から低い方に流れる。もちろんこれは仕事をしてやらないという条件つきである。
仕事をしてやれば、熱を低い方から高い方へ流すことはできる。「そんなバカなことが!」という人はいまでは誰もいないだろう。
それはエアコンとか冷蔵庫が現在では一般化しているからである。
高校生のときにはじめて物理学を学んで間がないころ、「なぜ熱は温度の高い方から低い方に流れて、低い方から高い方に流れないのですか」と物理の先生に聞いてあきれられたことがあった。
多分その先生にはそんな疑問を持つ奴は度し難い、ひにくれた生徒であっただろう。
そのときにその物理の先生が熱の現象のことを深く知っていたなら、「君のその疑問は熱力学第2法則の一つの表し方になっているのだよ」と教えてくれたのかもしれないが、工科系の出身だったその物理の先生はそういうことを私には教えてはくれなかった。
大学に勤めるようになってから、原島鮮先生の『物性論概説』(裳華房)を読んだらそのことが書いてあった。
子どもころ朝鮮(今の韓国:鎮海Tin-hae)に住んでいたが、自宅は小さく風呂などはなかった。だから、家中そろって近くの銭湯に出かけた。
まだ小さかったから、はじめは小学校の4年生くらいになっていた長兄や2年生だった次兄が負ぶってくれたりした。そのうちに自分でもついて歩いていけるようになった。
風呂に入った時にお湯の熱が体にじんと入ってくる。そのいわば軽く痛いような感覚が私が熱を感じた最初の経験であったろう。
小さい時はいつも祖母がわたしの体や頭を洗ってくれたが、その痛い感覚というほどではないが、ある種の痺れがとけたときに感じるような感覚がお湯の熱が体に入ってくることを意味していた。
最近一日の最低気温がようやく25度を切るようになって、少なくとも朝方に窓を開けると涼しい外気が部屋に入るようになった。
そこで考えたのは、確かに熱は私の体から放出されて冷たい外気の方へと移っているはずだが、感覚としてはむしろ冷たい外気が私の体に入ってくるように感じる。外気の方には認識の主体がなく、人間である私が感じているのだからそのようにしか感じられない。
山で天候が急変したりして、遭難をして低温の外気と強い風によって体温を奪われて低体温症になって亡くなる方がときどきある。
その方などはまさに冷気が体に突き刺さるように感じられるであろう。熱が外気に放出されるプロセスはいつでも同じはずだが、冷たさが体に侵入してくるとしか思えないであろう。
熱の現象の初歩の話を定年前の4-5年間、大学に入学したての一年生に教えた経験がある。
温度の高い物質と温度の低い物質、あわせて二つの物質を接触させておけば、高い方から熱が低い方の物質に流れ、時間が経てば二つの物質が同じ温度になる。
などということを経験則として教えるのだが、そのときに「なぜ反対のことが起こらないのですか」という、若いときに私が疑問に感じたようなことを聞く常識外れの学生には幸いな(?)こととに出会わなかった。