昨年末に届いた岩波書店のPR誌『図書』2015.1月号でおもしろい見解を知った。それは斎藤美奈子さんの「文庫解説を読む」6の中の文章である。
その中に田中康夫の『なんとなく、クリスタル』(河出文庫)の文庫解説の話があった。
初版の発行から33年後に解説を書いた高橋源一郎はこの『なんクリ』を前に読んだことがある、カール・マルクスの『資本論』に似ているという。これは爆弾発言である。
ちょっと斎藤さんにしたがってこの箇所を引用してみよう。
しかし高橋解説は<『資本論』における「本文」と「注」の関係>に注目することで見事に論証してしまった。<社会の仕組みを冷静に「解釈」する本文に対し、左側の「注」では、その実例が熱をこめて語られ>た『資本論』。それまでの経済学者は資本主義を解釈しようとしたが、マルクスは<自分が書くものは「経済学」の本ではなく、経済学批判の本なのだ>と自覚していた。『なんクリ』も同じ。<これほど深く、徹底的に、資本主義社会と対峙した小説を僕は知らない>(引用終り)
こうまで解説されると普段は小説など読まない私でもこころゆさぶられて、『なんクリ』を読んでみたくなった。まだ書店に走ってこの書を購入してはいないが、近いうちに買って読もうとまで決意をさせた。
それでこの斎藤さんの論説にヒントを得て、昨年の11月に上梓した私の『四元数の発見』の書にいくつ注をつけたか数えてみたら、『なんクリ』の注釈の442個にははるかに及ばないが、89個の脚注をつけていた。
もっとも数十年後にしろ、私の書『四元数の発見』を文庫化しようという出版社の編集者は現れないと思うので、残念ながら私の書を『なんクリ』と比較するのはここでの単なるお遊びである。
斎藤さんの文には他にも面白いことが書かれているが、ここでは話を『なんクリ』に限った。関心がある方は直接に斎藤さんの文を読まれることをお勧めする。
その中に田中康夫の『なんとなく、クリスタル』(河出文庫)の文庫解説の話があった。
初版の発行から33年後に解説を書いた高橋源一郎はこの『なんクリ』を前に読んだことがある、カール・マルクスの『資本論』に似ているという。これは爆弾発言である。
ちょっと斎藤さんにしたがってこの箇所を引用してみよう。
しかし高橋解説は<『資本論』における「本文」と「注」の関係>に注目することで見事に論証してしまった。<社会の仕組みを冷静に「解釈」する本文に対し、左側の「注」では、その実例が熱をこめて語られ>た『資本論』。それまでの経済学者は資本主義を解釈しようとしたが、マルクスは<自分が書くものは「経済学」の本ではなく、経済学批判の本なのだ>と自覚していた。『なんクリ』も同じ。<これほど深く、徹底的に、資本主義社会と対峙した小説を僕は知らない>(引用終り)
こうまで解説されると普段は小説など読まない私でもこころゆさぶられて、『なんクリ』を読んでみたくなった。まだ書店に走ってこの書を購入してはいないが、近いうちに買って読もうとまで決意をさせた。
それでこの斎藤さんの論説にヒントを得て、昨年の11月に上梓した私の『四元数の発見』の書にいくつ注をつけたか数えてみたら、『なんクリ』の注釈の442個にははるかに及ばないが、89個の脚注をつけていた。
もっとも数十年後にしろ、私の書『四元数の発見』を文庫化しようという出版社の編集者は現れないと思うので、残念ながら私の書を『なんクリ』と比較するのはここでの単なるお遊びである。
斎藤さんの文には他にも面白いことが書かれているが、ここでは話を『なんクリ』に限った。関心がある方は直接に斎藤さんの文を読まれることをお勧めする。