物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

「ドイツ語圏とその文化」1-4

2015-01-16 14:10:26 | 日記
昨年のいまごろメール配布のサーキュラー「ドイツ語圏とその文化」1巻2号の発刊を考えていたとブログのサイトからの知らせで分かった。

いままでに1-3号まで出しているが、そろそろ1-4号のことを考える時期である。アイディアとしては数式の読み方等を取り扱いたいと思っている。

昨年の12月にドイツ語のクラスのはじめに数式の読み方等について、R氏に尋ねてそのことをドイツ語のクラスの要約にまとめた。もちろん、この要約にはクラスで質問して得た知識以上の敷衍をしているのだが。

それを再録することを考えている。しかし、どこかのドイツ語圏の都市をとりあげることやドイツ語圏の科学者をとり上げることについてはまだアイディアがない。

都市よりも科学者について書くことがなかなかできない。最近ではなんでもインターネットで検索するとたちどころに情報は得られるが、ただ情報を羅列することではすまない。ある科学者について書くには何らかの視点が必要なのである。そこが実は難しい。

(2015.1.17付記) ドイツの都市としてはバイエルンのローテンブルクをとりあげることにした。これは愛媛県内子町とここが姉妹都市であるという関係もあるからである。

私もこのローテンブルクを2回ほど1976年に訪れたことがある。2回目には町を取り囲んでいる、城壁の上を数時間にわたって散策することもした。またここで買ったこの街の古い版画のレプリカはいまでも私の家の玄関にかかっていて、来客者の眼を楽しませている。

楽しく生きる

2015-01-16 12:28:08 | 日記
人生には「知恵をもって楽しく生きる」ことが大切である。いかにもいつも楽しそうに何かをしているのは私の妻である。

子どもたちが小学生のときに一緒に算数の宿題を解いていたりしても、いかにも楽しそうにこどもと話をしながら解くのである。

ちょっとした手芸をしているときでも、料理をつくっているときでもひょっとしたら、食事の後片付けの皿洗いをしているときでさえも楽しそうにしている。

私などもそれを手伝えば楽しいのではないかと思わせるほどである。このような考えができる人には苦しいことはあまりないに違いない。

人間誰でも人には言えない悲しみとか苦しみもあったりする。だが、その苦しみを嘆くことよりもそれを楽しいことだと思う方向に考えを転換ができる人には人生は楽しいに違いない。

妻の友人に最近離婚して出身の東京に帰った人がある。どこかに勤めて自分の生活費を得ているのであるが、この人にはまわりの人まで変えてしまうという特性がある。

以前は私たちの住んでいる町にいたのだが、ある職場の料理人になったら、それまであまり料理人としての経験もなかったのに瞬く間に調理師の資格をとったし、職場の雰囲気まで明るく変えてしまった。

またあるときはある機械を製作する、会社に勤めていたのだが、経理の会計ソフトの使用法をまたたくまに会得してその会社から30万円の給料で正社員として勤めてくれないかと言われたほどである。

そういう人にとっては人生は苦しいどころか楽しいことの連続にちがいない。そしてその人はもう60歳に近いと思われるのだが、奥様を亡くされたという男性の新しい恋人を見つけられたとか聞く。また、そういう女性と親しくなる男性の眼も高いと思う。

そして先日妻がその人に久しぶりにあったら、スペイン語を勉強してスペインに行くのだと言われていたという。驚くばかりのバイタリティである。

私たちには別にこの人のようなすばらしい生き方ができなくてもその数分の一でもいいから、前向きの人生を楽しむことができたらいい。