物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

FederweisseとKammergut

2015-01-08 13:28:46 | 日記
いつまでたっても知らないドイツ語がある。

これは前にも聞いた言葉だが、私はすぐに忘れてしまうのが、表題に挙げたFederweisseとKammergutとである。

Federweisseは鳥の羽根が白いようだが、ここではワインの発酵が始まる前の状態だという。ドイツで秋にブドウの取入れが終り、ブドウを絞って発酵をさせる。

その初期の段階にあるブドウ酒だという。泡がたって鳥の羽根のように白いことからこの呼び方があるという。

Kammergutの方は固有名詞のSalzkammergutの一部にもなっている、Kammergutである。少しドイツ語を学んだ人ならKammerという語は部屋を意味する語ということを知っているだろう。Dachkammerとは屋根裏部屋のことである。

もっとも真偽は明らかではないが、このDachkammerは屋根裏部屋という訳語とは案に相違して部屋が冬でも暖かくて、学生とかには好評なのだとかいつか聞いた気がする。

話が主題からすぐに外れてしまった。手元の独和辞典にはこのKammergutの意味が載っている辞書は少ない。これは収録語数が少ないせいである。昔の木村・相良の独和辞典を調べてみたら、領地とかあった。今日聞いたラジオのドイツ語講座では直轄領だということであった。この場合にはもちろんオーストリア帝国の直轄領である。

こういうブログを書いても1年もしないうちにFederweisseとKammergutという語を忘れてしまうであろう。忘れて覚えて忘れて覚えてを繰り返すのが外国語を学ぶときの常であるから、落胆はしないけれども。

ラテンに学ぶ

2015-01-08 12:54:10 | 日記
昨日は「わくわく寺子屋」の素鵞小学校に参加するために8時45分に家を出たので、朝に新聞を読む暇がなかった。

今朝は十分に時間があったので、昨日の新聞と今日の新聞をよんだ後に、洗濯ものを干してからの仕事場への出勤となったので12時を過ぎた。

昨日の朝日新聞で「ラテンに学ぶ」というオピニオン欄があり、「ラテン的生き方とは陽気にのんきに今日を楽しむ、明日は明日の風が吹く」というイメージはちょっと違うのではないかという指摘があった。「希望を絶対に捨てない生き方」こそがラテンだと思うとあった。

実際にどうかは知らないが、。「希望を絶対に捨てない生き方」は日本人も持った方がいいと思うし、心ある日本人はすでに持ってきたものだと思う。

「しぶとく、めげず、あきらめない。今日はダメでも明日には何かが変わって乗り越えられるかもしれない。だからこそ『明日の風』が吹くんです。能天気に明日にまかせることではないんです」という歌手で作家の八木啓代(のぶよ)さんの考え方に希望を見るのは私だけではあるまい。

もう一人の意見表明をしたヤマザキマリさんはイタリア人と結婚した漫画家である。ヤマザキさんはいう。「実はイタリア人ほど他者を信じない人はいません。信じるのは自分の家族だけ」

姑は「ノックせずに部屋に入り、引き出しを勝手に開けて私と同じ服を仕立屋に作らせたり、私が大事にしまっておいたお菓子を食べてノドをつまらせたり」だという。

「イタリア人のように『信じない勇気』を持ってはどうでしょう」という。

もっと面白いことが書かれていたが、ここですべてを引用するのは面倒なので割愛する。関心のある方は自昨日の朝日新聞を読んでみてください。