「わからないこと」というのはここでは自分の理解できないことを指す。特に学生時代に学んでいたときにわからないことだらけであった。いまでもわからないことは多い。
そういうわからないことというのは苦痛のタネでもある。しかし、元学習院大学で教えておられた江沢洋先生などはその著書の中でわからないことを大切にしようと書かれている。大いに勇気づけられる言葉である。
数学や物理の概念でも確かにわかりやすくないことがたくさんある。それらは苦痛になるといえば、確かにそうであるが、そのわからないというか疑問が簡単に解決しない方が考えは豊かになれるかもしれない。
もっともなんでもよく理解できる人もおられてそれはそれで大変結構である。世の中にはいろいろのタイプの人がいてそれで世の中は成り立っている。
物理学者の故武谷三男氏もどこかに書かれていた。太平洋戦争後、東京大学を中心にして若い優秀な物理の研究者が多く出てきた。
そして難しい物理の内容をいとも簡単に会得したのをみて、武谷氏はもう自分など物理をやらなくてもいいとさえ思ったという。しかし、それらの秀才の物理学者たちのみんながみんなオリジナリティ豊かな学者になったわけではないという。
もちろん、後でノーベル賞をもらった南部さんのような独創性も豊かな優れた学者の例もあるのだが、全部が全部そうだったわけではないという。
人はそれぞれだと思う。別にSMAPの歌ではないけれども。
そういうわからないことというのは苦痛のタネでもある。しかし、元学習院大学で教えておられた江沢洋先生などはその著書の中でわからないことを大切にしようと書かれている。大いに勇気づけられる言葉である。
数学や物理の概念でも確かにわかりやすくないことがたくさんある。それらは苦痛になるといえば、確かにそうであるが、そのわからないというか疑問が簡単に解決しない方が考えは豊かになれるかもしれない。
もっともなんでもよく理解できる人もおられてそれはそれで大変結構である。世の中にはいろいろのタイプの人がいてそれで世の中は成り立っている。
物理学者の故武谷三男氏もどこかに書かれていた。太平洋戦争後、東京大学を中心にして若い優秀な物理の研究者が多く出てきた。
そして難しい物理の内容をいとも簡単に会得したのをみて、武谷氏はもう自分など物理をやらなくてもいいとさえ思ったという。しかし、それらの秀才の物理学者たちのみんながみんなオリジナリティ豊かな学者になったわけではないという。
もちろん、後でノーベル賞をもらった南部さんのような独創性も豊かな優れた学者の例もあるのだが、全部が全部そうだったわけではないという。
人はそれぞれだと思う。別にSMAPの歌ではないけれども。