物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

結果の報告

2015-10-19 11:15:27 | 日記
土曜日にビジターが92名になるかどうかという予測をしたが、結果ははずれていた。土曜日のビジターは102名であった。

日曜日は87名かでいつものごとく大幅減であった。これはしかたがない。日曜日はブログの更新はしないので、いつもビジターは大幅に減るのである。

たまたまの偶然に起きたビジターの変化はなかなか思ったようにはならないものである。

これは当然のことであるのだが。

午前中に

2015-10-17 13:23:01 | 日記
午前中に教育会館で算数のサークルの学習会があった。私は小学校を教えた経験はないので、主に先生方の経験をきくだけだが、小学校の先生をされている方々はなかなか忍耐強くないと務まらないといつも思う。

今日は分数をどう教えるかということがテーマだったが、話はもちろんそれには閉じていないで、その外に話題は広がっていく。

小さな数の足し算はできるが、引き算ができない小学生を教えているという先生の経験を聞いた。結論はたぶんその子は足し算も本当は分かっていないだろうということになったが、ではどう教えたらいいのだろうかという点ではだれも試行錯誤でいいアイディアはない。

それでもそういう教育に関わっている先生とか元先生が忍耐強く分からない子どもとつきあっているということには頭が下がる。

一方では今月の月初めに二人のノーベル賞受賞者が出たようなこともあるが、また一方では足し算とか引き算がわからないような子どももいる。そしてそのような子どもと忍耐強く付き合っている先生には特別に何かの賞が出たりはしない。

だが、そのような先生がおられることは事実である。

分数の定義については私の思いつきだが、「整数を整数でわるという割り算の答えを分数という」ことにしたらどうかと思っている。もっともそれが等分割の1/2や2/3とかとどうつなげていくかということに実は問題点が大きく残るのだが。

仮分数は割る数よりのわられる数が大きいとき、割る数のほうが割られる数よりも大きいときは真分数、さらに仮分数で整数の商が立ってそれ以外に割る数よりも小さな数のあまりが出るときが帯分数である。帯分数は仮分数の形に表すこともできる。

今朝の朝食まえに、遠山さんの「算数入門」(ソフトバンククリエイティブ)をちらっと見たら、分数の定義は

1)割合分数
2)操作分数?
3)量分数

3つがあるという風に書いてあった。

サークルの指導者は80歳を越えたSさんだが、彼は2)、3)での分数の導入はどうかという意見らしいがそうなのかどうかはもう一つわからなかった。ただ、一つはっきりしているのは分数は難しいという認識である。

「in die Br"uche gehenとはわけがわからなくなる」というドイツ語の表現だと遠山さんの本にあった。それで出かける前にに、独和辞典を引いてみたが、「だめになる」とか「こわれる」とかいう訳語が出ていた。ちなみにder Bruchは男性名詞である。一般には「破壊」というような意味である。

昨日の結果は?

2015-10-17 13:09:50 | 日記
ブログの訪問者がこの三日で92名から一人づつ減って、一昨日90名になったので、昨日は89名になるだろうかと思ってそのことをブログに書いた。

結果が気になったのでいま調べてみたら、昨日の訪問者は90名であって89名にはならなかった。それでさらに減少には転じなかったのだが、では今日からさらに一名だけ増の91名になるのだろうか。

これはおもしろがって私が予想しているだけであって、どうでもいいことではある。多分今日は土曜日であるから、一挙に60名代の訪問者になるのであろう。

interessant

2015-10-16 11:46:49 | 日記
interessantとは英語ではinterestingに対応したドイツ語である。この三日ほどこのブログへの訪問者が90人前後である。

それで興味深いことに昨日は90人の訪問者があり、一昨日は91人の訪問者であり、一昨昨日は92人の訪問者であった。ようするに一日づつ一人づつ訪問者が減少している事実は単なる偶然ではあろうが、今日の訪問者が89人になるのかどうかという、つまらない予想が実現するのかどうか。

多分そうはなるまいとは思うのだが、もし89人の訪問者になったとしたら、そのことをどう解釈したらいいのだろうか。誰かがおもしろがってこういう遊びをしているとは思えないのだが。

興味深々である。

ヨット乗りが・・・

2015-10-16 11:17:31 | 日記
今週のNHKのスーパープレゼンでイギリスの女性のヨット乗りが最短の世界一周記録を打ち立てた後で、資源が有限であることに留意した経済学というか活動をはじめたという。

この人の話のスーパープレゼンであったのだが、ヨットでどの港にも寄港しないで世界一周の世界記録を使った人だった。ヨットでの航行ではすべてヨットに積んだ資材での世界一周だという。ようするにその挑戦をしているときにはヨットに積んでいる資材がすべてなのだ。食糧もその他の資材も。その航海を71日でしたのだが、そのときに地球上の資源も有限であることに気がついたという。

地球上の資源は有限であることは別にヨットで無寄港の航海をしていなくても気がつくはずだが、それでもそのことに痛切に気がついて、経済学を勉強するようになったという。

ヨットでつくったすばらしい記録をさらに更新するという生活もあったはずだが、その生活を止めて経済学を学ぶことにしたという。

この人の名は忘れたが、なんでも徹底した方らしい。小さいころからヨットが好きで、ヨットに乗ることに生きがいをもってきたのにそれを捨てての経済学を学び、資源が有限であることを考慮したリサイクルの生活をするとかそういう啓蒙活動をすることにしたのだという。

世の経済学者よ。彼女の生き方を学んでほしいと願わずにはおられない。

きんもくせい

2015-10-16 10:49:38 | 日記
秋である。近所のきんもくせいの香りが伝わってくる。きんもくせいの香りをかぐと今年も秋がやってきたといまさらのように思われる。

私の住んでいるところは住宅地域なので庭のあるうちが多い。だが、我が家にはきんもくせいがないのか。きんもくせいの木がもしあれば自宅でも香りがただよってくるであろう。

I 市の実家にはきんもくせいがあった。毎秋にいいにおいをただよわせてくれていた。そこに住んでいた父も母も亡くなって久しい。いまはその家をなんなんか前に手入れして次兄夫婦が住んでいる。

姪が年末年始には子どもを連れて、帰郷しているのが、通常だったが、姪の子が来年大学受験なので年末年始には帰って来ないであろう。

私たち夫婦もお正月の一日だけは I 市の実家に帰って従弟の J 君とか親戚と会食をするのが普通のことである。

さて、このようなことがいつまでできるのであろうか。

今年は曇りの日が多い?

2015-10-15 11:06:08 | 日記
昨日は晴れていたが、今年は曇りの日が多いような気がする。とはいってもきちんと統計的に調べたわけではないので、あたってはいないのかもしれない。

夏も台風が多かったので、曇りや雨の日が多かったと思う。今年は台風の当たり年で日本のどこかに台風がきて、大きな災害をもたらした。

台風ではなくとも大雨を降らせたりして、茨城県や栃木県で水害を起こした。堤防が決壊するような大雨が降って、決壊の予想した個所ではなく、少し下流が決壊したのは鬼怒川であった。それで、10人近くの方々が亡くなったのは痛ましい。

昨年は広島市の土石流の発生で多くの方が亡くなった。私も学生時代に10年近く広島に住んだので、人ごととは思えなかった。

広島市に住んでいる、友人が災害があったところからそれほど近くではなかったが、山一つ隔てたところに住んでいるので、さすがに心配になって災害のあとで電話をかけたが、幸いなことに彼は災害には会わなかったと聞いてようやく安心をした。

しかし、市としてみれば大災害であったことにはかわりなく、もっときちんと警告をするべきではなかったのだろうかと思ったものだ。

日本語の本

2015-10-14 11:16:13 | 日記
英語の本なら読めなくても当然かもしれないが、日本語の本でもなかなか読めない本もある。先日から中村静治の『技術論論争史』を読み始めたが、なかなかわからない。

それでもようやく1章を読んだら、少しづつ頭に何かかすかに残って来そうである。とはいってもまだままだ何かが残るというところまではいっていない。

技術の定義の論争経過をたどった本なのだが、こういう本は読みなれていない。大体、私はあまり読書家ではない。

それでも一度読んでおかなくてはと思い出したのは武谷三男の技術の定義を批判した本だと聞いているからである。

終わりの方の武谷批判のところはすでに前に読んでいるのだが、ちょっと議論のしかたがいかさないというか、いやらしいところがあって、私にはちょっとどうかと感じたところであった。

これは加藤哲郎の『日本の社会主義』でもまた伊藤康彦の『武谷三男の生物学思想』でもちょっと似たところがあって、これらの武谷批判は間違ってはいないかもしれないが、あまりそれらをそのままにはとりたくはないという気がしている。

武谷はなにか気難しいところとかがあるが、それでも彼の身に起こった経験を斟酌してやらないとやはりいけないのではないかと感じている。

その斟酌を抜きにして、言葉通り批判をするとやはり行き過ぎるのではないか。そう思ってはいるが、真摯にこれらの書物に接していかねばらない。















ニュートリノ振動

2015-10-13 11:24:12 | 日記
ニュートリノ振動について詳しいことを知らなかったのだが、友人の K さんの書いた解説でその現象の本質を知った。

それで K さんにメールをしてこの解説を『数学・物理通信』に載せることの許可をお願いした。すぐに「許可します」とのメールをもらった上にその解説のlatexファイルまで送ってもらった。

12月発行の『数学・物理通信』のいずれかの号に掲載したいと考えている。インターネットのサイトでニュートリノ振動について検索したら、いくつかのサイトがあり、解説もあることを知ったが、それでも肝心の物理の解説があまりない。

そこの解説を K さんがしてくれているのである。それもわかりやすく書いてある。

今年のノーベル物理学賞の梶田さんの業績はこのニュートリノ振動の存在を実験的に確証したことである。マスコミのニュースではニュートリノ振動という語はあまり使われず、ニュートリノに質量があるということを実験的に確かめたと報道された。それには違いないのだけれども、正確にはニュートリノ振動の存在を実験的に確証したことである。

今年の年末あるいは来年のはじめにはこの解説を載せた『数学・物理通信』がインターネットに載るであろうから、少し数式を理解する人にはニュートリノ振動のことを知ることができるようになるだろう。もっとも量子力学のことを少し知っていないと理解ができないのかもしれないが。

宇宙線実験

2015-10-12 13:35:33 | 日記
「他人から見た武谷三男」というのは、徳島科学史雑誌に私が最近投稿した論文の題目である。武谷が晩年宇宙線実験(空気シャワーの分野?)のグループに肩入れしていたが、その宇宙線実験ではあまり成果が出なかったという印象をもっていた。

それで宇宙線実験はあまり科学の発展に寄与しなかったという印象をもっていると書こうと思っていたら、今年のニュートリノ振動の発見によるノーベル賞受賞である。よく考えてみたら、いや、よく考えるまでもないのだが、これも宇宙線による実験である。だから、私のどうも先入観は間違っていたということになる。

加速器の実験ももちろん業績をあげており、小林-益川のCPの破れの方の実験的検証は加速器による実験であったが、これで宇宙線の実験と加速器による実験の双方がそれぞれ日本人の受賞に寄与したことになる。

どうもそれだのに宇宙線による実験は影が薄いと思い込んでしまっていた。なんという思いこみなのであろう。

宇宙線の実験とはいうものの、なかなか定量的な測定をしているということである。定性的には宇宙線の実験はいいけれども定量的な段階になると加速器の実験に頼らざるを得ないと思い込んでいたという節が私にはあった。このニュートリノ振動の実験ではそのエビデンス(証拠)を得るのに十分であった。要するにどこに狙いを定めるか。これが結局大切なのであろう。

ニュートリノ物理の分野の専門家に言わせるといまや韓国や中国もこの分野に進出してきており、互いに競争であるらしい。だから日本のお家芸と言われてはいるが、早晩各国の競り合いとなるであろう。いや、もうなっているというのが正しいであろうか。

20世紀の物理学者たち

2015-10-12 12:13:29 | 日記
パイスの『20世紀の物理学者たち』という本をいま読んでいる。パイスはオランダ生まれのアメリカの物理学者である。プリンストンの高級研究所というアインシュタインがいた研究所の終身教授だった方であり、ボーアだとかアインシュタインだとか20世紀を代表するような学者と親しかった学者である。

終身教授になっていたのだから、別に高級研究所から変わらなくてもよかったのかもしれないが、この研究所は学生をとらないで、研究だけをするところなので、ある時期にロックフェラー研究所に勤務先を変えている。

学生がいない研究所は要注意というのは有名な物理学者のフェルミが中国系の物理学者ヤンに忠告したとおりであるが、多分にそのことのデメリットを感じるようになったのかもしれない。

有名な物理学者のゲルマンの人柄がよくないとあからさまに書いてあるので、よほど頭に来たのであろう。ゲルマンは頭のいいやつだとは書いてあるし、自分よりも優秀だとも書いてある。ただ、人を彼ほどは不愉快には自分はしていないと書いてある。

ゲルマンがeightfold wayの論文を書いたときにこのパイスだったか、マルシャックだったかが坂田モデルにもとづくIOO(池田、小川、大貫)論文とどこが違うとか言ってレフェリーとして論文にするということを拒否したので、このeightfold wayの論文はプレプリントのままで流布したとか以前に聞いたことがある(注)。

だいぶん読んだので終わりが近いが、自分の関心事に引き寄せての読書なので飛ばし読みで、通読ではない。

(注)eightfold wayの論文は物理学者にはSU(3)論文として知られている。上に引用したIOO論文はSU(3)ではなく、U(3)を素粒子に導入したものであり、素粒子物理学に群論を導入したことではIOOの方が1年くらい早かったのだが、メソン(中間子meson)の8重項はIOOで予言したが、重粒子(baryon)の8重項(octet)を予言できなかった。ゲルマンの論文はメソンだけではなく、重粒子の8重項を予言したのでその点がIOOよりも優れている。

坂田モデルでは陽子(p)、中性子(n)、ラムダ粒子(\lambda)を素粒子の複合模型の基本粒子とするので重粒子の8重項を予言することはなかなか難しい。しかし、すこし後でゲルマンは重粒子の8重項のもとになる基本粒子として上の3つの重粒子p,n, \lambdaに対応した3つのクォークu,d,sを考えた。これは電荷とか重粒子数とかが分数であることからはじめなかなか受け入れられなかった。

ゲルマンの考えたクォークモデルは後で小林-益川によってさらに拡張されていまではクォークは6種類
(u,d),(c,s),(t,b)となっている。それぞれ2重項をなす。ちなみにu: up quark, d: down quark, c: charm quark, s: Strange quark, t: top quark, b: botom quarkと呼ばれている。名前は他の名付け方もあるかも知れない。

4人に一人が老人

2015-10-09 10:42:50 | 日記
4人に一人が老人という時代らしい。妻によれば、約3000万人が65才以上の老人の日本社会がなっているとか。

それで、もちろん65歳以上でも職を持って所得の多い人もいるだろうが、年金暮らしとなると支出したいと思っても家計がそれを許さなない。

今年定年退職した知人が年金の月の収入が20万円を切ると言って「お前は年金をもっともらっているだろうからいいな」とか言われたが、月々の収入はそんなにちがってはいない。イプシロンくらいいいかもしれないが。ちなみに、イプシロンは小さな量を表すのによく使うギリシャ文字である。

国家は赤字財政なので、年金を減らせとばかりに減額を毎年してくる。そうすれば、食費や住居費とかどうしても必要な費用を除けば、自由に使えるお金は残っていない。それだと消費が全国的に上向きにはなるまい。

それに若者を非正規の雇用者として雇って、あまり賃金を払いたくないと企業は思っているのだから、国内消費が伸びるはずがない。

金融緩和で円安となり、かつ株式の価格が上がったとは言うが、それで利益を得ているのはごく一部の人たちであり、大多数の人たちは年間所得が増えたりはしていないと思う。

増えているならば、国内消費が伸びているだろうから。

ところが国家財政はまたまた数兆円の桁の赤字を増やしているとのことである。だれかそれで潤っている人がいるのだろうか。

ATOYOT

2015-10-09 10:22:42 | 日記
ATOYOTとはなんだ。車で仕事場に来る途中で信号で止まった時に、後ろの車をバックミラーで見たら、ATOYOTと見えた。すぐにTOYOTAだと分かったが、何かと一瞬思った。

こういうことはしばしばある。理髪店に行って髪を刈ってもらっているときなどその鏡に見える時計の時刻が何時何分なのかいつもおよその時刻はわかっているのに、それでも判断に苦労する。

大学のころ、英語の先生がドンタスキンデと言ったとか聞いたことがある。これだってうしろから読めば電気スタンドとなって有り触れた言葉である。

もっとも最近は電気スタンドを私の家ではもっていない。私は近視の度が強いので、鉛筆で細かな数値をグラフに書くときなどは電気スタンドがどうしても必要だった。

妻が白内障の手術をする前はやはり新聞を読むのにルーペが欠かせなかった。手術後はまたルーペなしで読んでいるけれども。

私もパソコン入力のときなど、しばしば老眼鏡というのか近視の度の弱い眼鏡に変えて入力している。いまこの時はたまたま普通の眼鏡で入力しているが。

電気電子工学科ミニマム2

2015-10-08 17:28:38 | 日記
昨年の今日か昨日に「電気電子工学科ミニマム」というテーマでブログを書いたが、その後私のホームページで一般に提供されていた、唯一の「電気電子工学科ミニマム」も OCN のホームページの閉鎖によってなくなってしまった。

新しいホーム・ページを開設する必要があるのだが、なかなか果たせていない。忙しいせいもあるが、もう一つ気が乗らないことにも原因がある。

しかし、こういうサイトはやはり必要だと思う。だが、ホームページをなかなかつくれないのである。それとは別に三角関数の e-Learning のコンテンツをそろそろつくってはどうかと考えているが、現在は私の先生の量子力学のノートの図を作成することに頭がいっている。

この講義ノートを 3 つの部分に分けて発表する予定だが、その第一部が大幅に予定から遅れている。それがすまないとホームページ云々はとりかかれない。だから、全体を素粒子論研究の電子版に出すことができるのは大分先のことであろう。

大村智さんの研究体制

2015-10-08 12:11:53 | 日記
今年のノーベル賞医学生理学賞の大村さんは産学研究が珍しい時代にアメリカの製薬会社と契約して研究費を出してもらい、その天然の微生物がつくる化学化合物から医薬品になるものを見出したという。昨夕のNHKのクローズアップ現代番組でいろいろなことを聞いた。

年間予算は2500万円くらいというから彼は東京大学の教授でも200~300万円くらいの予算のときにその8倍くらいの予算を使って研究体制を整えていたということになる。4つの教室くらいの規模だという。

この教室という意味がよくわからなかったが、大学の講座が4つくらいの意味であろうか。それでいろいろな体制がきちんと整備されているというから、もちろん地中から土を採取してその中にあった菌を培養してというような手間も暇もかかっているが、その体制をつくったという手腕も大いに評価すべきであろう。

はじめは家畜の寄生虫を駆除する薬を見つけるということからはじめて、それでお金を稼ぎさらに人間がかかるオンコルセ症の薬の開発へと進めたというから、戦略家でもある。もちろんこれには製薬会社の方針もあったかもしれないが、なかなかいい戦略であったと思う。

そして、いまではアフリカで3億人に無料で薬を配布して、これらの人々が失明する危険を防いでいるという。ノーベル平和賞をもらってもいいくらいであったという評価はまったく正しい。

ただ、天然の化学合成物から薬をつくり出すのはあまり効率のいい方法ではないとも言われている。人工的に化学合成物をつくり、それをいろいろな症状の病気に対してテストして薬をつくるという方法がむしろ現在の主な方法だという。

ただ、効率はわるいが、天然の化学化合物は副作用が少なくて、人工の化学合成物は副作用が大きいかもしれない。そこらあたりは十分正しい見解かどうかは分からないが、先入観的にはそういうことが期待される。