物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

図を一つしか描けない

2016-01-21 14:55:18 | 日記
昨日もそうだが、一日に図を一つしか描くことができない。

これは一つ図を描くと疲れてしまってもう一つ図を描こうとする意欲がなくなるのである。しかたがない。また明日に一つ図を描けばいいと思って昨日は少し早目に帰宅した。今日、仕事場に来て湯ようやく一つの図を描いた。

今日の仕事はおしまいである。文章も書かなくてはいけないのだが、それもおしまいである。ここ数日で図を全体で10個描いたことになる。ミニページ環境で図を横に二つ入れた形で図を描いている。

Elle a une taille de mannequin

2016-01-21 11:17:38 | 日記
とは訳すれば、「彼女はモデル体型をしている」ということだ。


こんな女性がいれば、世の中の女性の羨望の的にでもなろうか。表題の文章のカタカナで発音をつけておけば、エラ ユーヌ タイ―ユ デュ マヌカンであろう。カタカナで発音をつけるのでどうも実際の発音と異なってくるのはお許しを頂きたい。

mannequinはマヌカンと発音する。マネキンと日本語で言われている語であるが、モデルさんのことをここでは意味しているが、マネキン人形のことも指すという。

索引

2016-01-20 12:37:47 | 日記
索引というものは本の末尾にその本に出てくる言葉を集めてそれが何ページに出てくるかを示したある種の一覧表である。小説の場合にはこのような索引が必要とは考えないが、やはりいわゆる学習参考書とか大学程度のテクスト等なら、やはり索引はつけるべきであろう。

宇沢弘文さんの高校数学についての書『好きになる数学入門』(岩波書店)を見たら、この索引がついていないのはどうかと思う。いま新装版というのがでているので、これを1月に1冊づつ購入しているのだが、著者が索引をつけなかったとしても編集者が索引をつけるべきではなかったろうか。

私などは本を集めていくらか持ってはいるが、これを通読する時間などはない。だから、なにか知りたいと思ったときにその本の索引を探すというのが普通になっている。ところが本自身の内容はいいのだが、それに索引がついていない書が結構多い。この第6巻をまだ手に入れていないのでわからないが、第6巻に索引がついているのだろうか。

たとえばということで、もう一つ岩波書店の発行した書をあげれば、『ゲルファント先生の学校に行かずにわかる数学』全3巻にも索引がついていない。これは著者がつけていないのだろうが、訳者が索引をつけるべきではなかったろうか。

とはいうものの私自身が『数学散歩』という本を出したときに索引をつけていない。この書のから一部を抜粋した『物理数学散歩』を出したときにはだから索引をつけたがこの書は私の予想に反してほとんど売れなかった。

その中にこの本を出した出版社が倒産してしまった。『四元数の発見』の方は索引をつくったけれどもどうも不完全な索引であり、これはもっと完全な索引にすべきだったのかいまでもよくわからない。

だが、いつも索引を使ってそのときに関心のある事項のことを学んでいる私には索引が大事なものであることだけは十分にわかっているつもりである。


痛み

2016-01-20 12:17:41 | 日記
ガンにかかった人がその痛みに耐えかねているときに、その痛みを和らげるために終末期沈静の処置を施して意識のないままに亡くなることが昨日か一昨日のテレビでとりあげられていた。

しかし、この処置を施すことに家族とか医師にどうも他にやり方がなかったのかという心残りがあるのだという。終末期沈静ではなくて緩和ケアというのもあるそうだが、もしか眠らせてしまわないで痛みを緩和する方法があればその方がいいけれども痛みなどにはとても弱い私などはしかたがないのではと考えてしまった。

母がガンで亡くなったので、そのときに背中が痛いとかで一晩付き合ったこともあるが、痛いのは我慢づよい私の母などでも辛かったらしい。そういうことを考えると痛みをとるということは医療としての最低のすべきことであろう。

そういえば、物理学者のハイゼンベルクも晩年ガンにかかったが、痛み止め以外のガンの治療はしなかったと聞いた。彼が亡くなったのは1976年2月1日で奇しくもこの日に私はドイツに留学して到着した日であった。もっともハイゼンベルクが亡くなっていたのを知ったのは彼の死後1か月くらい後のことであった。

ある看護師が「ガンもあなたのものよ」とガン患者に言ったという話を最近どこかで読んだが、ガンは自分の宿主、この場合には人間、を死なせることによって自分自身の生命を終えるのだと思うとなんだかいとおしくなってくる。

そうはいってもガンの痛みにはまいってしまうだろうと自分では思う。

『「思想の科学」私史』

2016-01-20 11:49:50 | 日記
1月17日の毎日新聞に載っていたのだが、鶴見俊輔さんの『「思想の科学」私史』という本がでたらしい。京都のSUREという書店に本をおかない出版社から出た。

『思想の科学』を50年にわたって主宰していたために鶴見が多くの人との交流があったことから、彼の書くことはなかなか興味深いと思う。上記の本をまだ手に入れたわけではないが、すでにどこかで書かれたような話が多いのだとは思うが、ぜひこの書を手に入れたいと思っている。

私は武谷三男に関心を持って調べたりなどしているものであるが、その関係でも鶴見の書いたものは一級の証言である。

一年前のブログ

2016-01-19 12:17:18 | 日記
gooから一年前のブログについての感想を書いたらどうかという、連絡がいつもあるが、それをしたことはない。

だが、一年前にはなかなか話題が豊富だったのだといつも感心している。今日現在のブログの話題はなかなか見つかっていないというのが現実だからである。

毎日何らかの生活の間に何か考えてはいるはずだが、それをパソコンの前に座ると思い出さないのである。それとちょっと寝つきが悪かったりするとき、明日はそれについて書こうとか思ったりしているのだが、それも忘れてしまうということがしばしばである。

なかなか現実生活においては厳しいことが多いのだろうが、あまり厳しいとか思ったことはない。

ここしばらく、三角関数の還元公式のことを調べたり、文章に書いたり、そのための図を描いたりしているのだが、ちょっといままでに書かれたことのない方法で三角関数の還元公式について書こうとしている。とはいってもまったく新しみはないのかもしれないものだが、少し新しみがあると自分では思っているが、客観的にはどうか。

もっともこの数学エッセイは錯綜して今年に入ってから、毎日書き変えているが、なかなかまとまらない。

日曜日には

2016-01-18 11:48:01 | 日記
なにもしない。極端に言えば鉛筆一本机の上で転がさない。

それでも夜になって『新版・技術論論争史』(創風社)の14章の一部を読んだ。これは星野芳郎の技術論が崩壊したという主張を述べたところである。その所を読んだ限りでは主張におかしいと感じるところはなかった。

もっとも私が感じたことはいわゆる左翼の人の立ち位置が難しくなっているということであった。中村静治さんという方の著書なのだが、彼は純粋のマルクス主義の学者らしい。そういう方と星野とでは立ち位置がちがうであろう。

それと資本主義の側というか国家とか企業の側も利潤をあげるという立場からではあろうが、それなりの合理化と体制の改良とかをしてもいる。そうすると星野さんの立ち位置はごく限られた狭い足場しか残っていないということであろう。

だから星野氏のいい分が企業とか国家の主張と重なってくるのは致し方がない。そこを中村氏はついているのかもしれない。どういう立ち位置が残っているのかはなかなか難しいと感じている。

Gegen Liebeskummer・・・

2016-01-16 16:14:37 | 日記
Gegen Liebeskummer gibt es kein Smerzmittel. ゲ―ゲン リーベスクンマー ギープト エス カイン シュメルツミッテル(失恋にきく薬はない)と言われたら思い当たる人もおられるだろうか。

これはNHKラジオのドイツ語講座の放送で使われていた例文であるので、興ざめなことははなはだしい。合理主義をモットーとする科学者でも恋をしないわけではない。そういう風にあまり得とか損だとかから離れたところを人間というものは本質的にもっている。

それが幸せをもたらすこともあれば、あまり幸せをもたらさないこともある。四元数の発見で有名なハミルトンは悪妻に困り果てたとかとも聞く。いや別に悪妻ではなかったのかもしれないが、体が丈夫でなかったためにハミルトンがいろいろ心配をしなければならなかったとかいうことだったかもしれない。

もっともこの奥さんと学会か何かに行こうとして何とかという橋を渡ろうとしたときに、四元数をなすのに欠かせないi, j, kという3つの元が交換しないことを思いついたとか言われている。

そしてそのときに橋の欄干かどこかにもっていたナイフでその元の積の関係を刻んだという。もっとも現在ではそういう跡は分からなくなっているというが、いまではそのことを記した記念の板か何かが代わりにあるということらしい。

その橋のJohさんによって写された写真があり、この写真は堀 源一郎先生の本『ハミルトンと四元数』(海鳴社)のどこかに載っている。Johさんは日本人であり、Johはハンドルネームである。


点対称、線対称

2016-01-16 11:46:27 | 日記
とは初等数学の概念であるだろうか。ところが中学とか高校の数学のテキストを見てもあまり触れられていなかったりする。

武藤 徹先生の本である、『数学読本』I(三省堂,1998)にはしかし151~152ページにちゃんと述べられてあった。これらのことを私もいつか学校で教えられたのであろうが、それでもそれが重要なことだという気がしなかった。

その重要性がわかるようになってきたのは残念ながらごく最近のことである。いくつかの高校数学レベルの書をもっているのだが、さてきちんと書いてある割合はどれくらいなのであろうか。武藤先生の上述の書によるとこれは解析幾何学の分野でとりあげられている。

その後にすぐ三角関数のことが書かれているので、武藤先生は多分この概念がすぐに三角関数のところで使われるということを周知されておられたのであろう。実際に私が点対称、線対称に関心をもったのは実はこの三角関数の部分に必要だったからである。

なかなかこのことがわからなかったのは悔しい。

新しい元素

2016-01-15 13:01:10 | 日記
原子番号113の元素の命名権を日本人の科学者が得たということで最近の話題となった。その話が昨夜のドイツ語のクラスでとりあげられた。

それはSpiegel onlineの報道であった。それによると日本人の科学者の森田康介さんが代表の研究グループがこの元素の命名権を得たということであった。

元素周期律表の第7列(数学を知っている人ならば、第7行というのだろうか)に最近発見された多くの元素があり、その名前がまだついていないものがあった。

原子番号113, 115, 117, 118の元素がIUPACの認可で誰が命名権をもつかが決まったらしい。113番以外の元素はアメリカとロシアの科学者が命名権をもったらしい。

113番の元素についての名前の候補を聞かれたので、JapaniumとかKikeniumとかはどうでしょうかと言ったら、SさんからMoritiumもいいではないかと言われてなるほどと思った。実際にはどういう名前がつくのだろうか。

救急車は

2016-01-14 10:59:48 | 日記
日本人はピーポ、ピーポと鳴らしながら突き進んでいくと思っている。

しかし、10年以上前にホームステイしていたドイツ人の女性が笑いながら言っていたのはツーシュペート、ツーシュペートと言いながら進んで行くねと言うので大笑いになった。

ツーシュペートとはzu sp"atであり、日本語に訳すならば、「もう遅すぎる、もう遅すぎる」とでもなろうか。救急車は人の人命を助けるためにあるので、それがzu sp"at(もう遅すぎる)では困るわけである。

そこをついた冗談ではあるが、この冗談をあまり他の人に披露したことはいままでなかった。

今朝、仕事場に来るときに国道に出たところで救急車が左側からやってきたので車を道路の左側に寄せて、救急車の進行に支障がないようにしたので、昔の救急車にまつわる話を思い出した次第である。

SMAP独立騒動

2016-01-14 10:52:33 | 日記
がテレビや新聞等で報じられている。


一部の人が独立したいと言っていることは事実だが、と事務所が言っていたが、実はキムタクを除く4人が独立を考えているらしい。

妻などは独立したがっているのはキムタクだろうと推測していたが、これは推測が間違っていた。

これでは一部の人どころではなさそうである。ほとんど全部と言った方が正しそうである。

私などこういうニュースに疎い方だが、それでも関心をもっているのだからまさにSMAPは国民的アイドルである。

投稿原稿を手元においておくのは

2016-01-13 14:06:57 | 日記
あまり気が進まない。というかなんだか後ろから追いかけられているような気がするのだ。それでできるだけはやく『数学・物理通信』を発行してそれに載せてしまいたい。

年が変わって早々に常連の投稿者の S さんから2編の投稿があった。それだけならいいのだが、12月に私の手元に届いたらそれを取り込んで、掲載するつもりだった「ニュートリノ振動」の解説論文も実は12月8日に送ってくれていたらしいのだが、どうしたものか私の手元に届かなかった。それがわかったのはその原稿を待って待って待ちくたびれた12月30日に仕方なくむりやり私の書いた3編の原稿をもとに5巻11号を発行した後だった。

それでニュートリノ振動の解説論文を書いた K さんに申し訳ないので、1月に5巻12号を発行したいと思った。それだけでは原稿がたりないので、しかたなくまた私が何かを書かなくてはいけないかと思っていたところ S さんから2編の論文投稿があった。

それで12号を発行できるめどはついたのだが、3号続けて私が編集後記をかいたので、今度はどうしても N さんにお願いをして編集後記を書いてもらうことにした。ところがなかなかその編集後記が来ない。今月中に発行できればいいのだけれども仕事をテキパキと処理したいのでイライラしている。

というのは3、6,9,12以外の月はできるだけ『数学・物理通信』の編集に携わりたくないのだが、そういう事情は私の事情であって編集後記を書くはずの N さんは体があまり丈夫ではないから、テキパキとは仕事ができないのだ。

そういう事情だからしかたがないのだが、イライラすることはなはだしい。他の仕事に精出せばいいのだが、なかなか気持ちがそういう風に行かない。編集人を一人でするというのは仕事の効率上はいいのだが、トラブルが起こったときなどは話し合いができる人がいるとずいぶん気が楽である。そういうことで二人の編集者はいいのだが、イライラは続く。

年が明けたので

2016-01-13 11:45:48 | 日記
毎月行っている病院に行って健診と薬をもらってきた。

血圧が高いとはいっても年の割にはあまり高くはない方だが、それでもやはり血圧を下げる薬は欠かせない。それに眼圧が高いので、そのための目薬も必要である。

こちらはまだ数日はあるのかもしれないが、やはりそろそろなくなりかけてきている。老人なのでそういうことが常にある。

だが、それくらいでまだいいいほうであろうか。2月にはまた前立腺のPSAの検査に行かなくてはならない。その数値如何によってはまた生体検査をしなくてはならない。

こういう微妙なバランスの上に私たちは生きている。

何かを書くことは

2016-01-12 10:28:25 | 日記
ほぼ毎日数行でも書くことは結構辛いことである。それも何らかのメッセージを含んだ文章を書くことは。

大体において現在関心のあることを書くのだが、それでも展開が開けてくるときにはとてもいいのだが、展開があまりないときにはつらいものだ。

三角関数の還元公式から、三角関数の導関数の循環性へと進み、LCR直列回路のインダクタンスによる位相の遅れとか、キャパシターによる位相の進みとかに最近は関心が及んできた。それらのことをまとめておきたいのだが、この最後の話題についてはいくつか書物を見て考えているところだが、疑問点があってそこをどう解決するのかがまだ分かっていない。

いくつかの書物で述べられた点がどうもすっきりしないのである。これは三角関数の積分に関係している。そして正弦関数sin xを積分すれば原始関数は-cos xとなるが、そのときに積分定数をどうしたかという問題である。

積分しないで解を予想してそれを微分するだけで微分方程式を求めるという形で多くの書籍は困難を回避しているのが、大部分のように思う。

cos xを積分するときには原始関数はsin xとなるので、時刻 t=0 で電流 I=0ととれば積分的数は 0 ととることができるが、sin xを積分して原始関数が -cos xとなるときには積分定数を 0 にすることができない。

そこら辺のことをきちんと考えたのかあやしげな文献があるのだ。もっとも時間に依存して変動する電流の部分ではないので、そこは除いて考えることができるけれども。そういう物理的考察を使っているのだろうか。