物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

花見に行った

2016-04-02 16:04:30 | 日記
午前中に石手川上流の岩堰(いわぜき)の近くで花見をした。これは妻が「明日はまた天気予報で雨だというから、今日お花見に行きましょう」と誘ってくれたからである。

朝食抜きで出かけたが、この岩堰の近所に大きなスーパーがあるので、そこで花見弁当を二つ購入して近くのベンチで桜を見ながら11時30分ごろ弁当を食べた。昨日のどこかの公民館での花見の会でもらった缶ビールを妻が持って来てくれていたが、それを飲むと仕事場にやって来れなくなるので飲むのは控えた。

ということで少し今日の始動は遅くなった。「数学・物理通信」の50号記念号への投稿が N さんからあったので、受取りとお礼を兼ねたメールを書いた後、ネットサーフィンを少ししてこのブログを書いている。

この石手川沿いの岩堰近くでの花見は昨年も同じようにしたが、これが来年も同じようにできるかどうかは誰にもわからない。

桜はまだ満開ではなく、7分咲きくらいであろうか。ベンチに腰掛けて後ろから背中に暖かい太陽の日差しを浴びて結構気持ちがよかった。出かけるのが早かったので、それほど込み合ってはいなかった。昨年もしたように少し遠回りして、重信川のサクラを車で通りすがりに見て、家に帰ったら、午後1時過ぎであった。

年を取ってくると

2016-04-02 15:29:55 | 日記
頭がボケないようにと頭の体操のために数学の問題を解いたりする人がおられる。昔からの知人の S さんが先輩の Y さんがそのような問題を解いたらしいので、「数学・物理通信」に発表したらどうかと勧めたとメールをくれた。

そしたら、その日のうちに、当の Y さんからメールが入った。数式入力をどうされるのかわからないが、latexを使われないようなので私の方で入力する必要があろう。Y さんは数え年で90だという。ハイゼンベルクの研究所に長年おられた方だと言えば、素粒子物理の分野の方なら、どなたか分かる方である。

S さんは昨年だったか大学を退職したが、Y さんよりは若く私と同年であるが、まだ現役の研究者である。なかなか多才な方であり、湯川秀樹先生の最後の門下生ともいわれている方である。いま私の住んでいる松山の出身の方であるが、京都市に住まれてもう60年近くであろうか。

私はもう物理の研究から退いて久しいが、私の友人や知人にはまだ研究を続けている人が多い。研究といえば名誉を追求してする人も稀にはいないでもないが、やはり研究がおもしろいからするのであろう。

昨夜、「ちくま哲学の森」シリーズの7「驚きのこころ」(ちくま書房)を県立図書館から借りて帰って開いたら、いちばん最後に湯川先生の「知魚楽」(「ちぎょらく」フリ仮名がついていた)というエッセイがあった。いわゆる荘子の恵子との会話の話である。

荘子が池の魚が泳いでいるのをみて「魚が楽しんでいるね」といったら、恵子が「なぜ君は魚でないのに魚が楽しんでいるとわかるのか」と難癖をつけるという話である。それはそれでいいのだが、そのの後で、湯川さんは科学では「実証されないものを信じない考え方と、実証されて存在が否定されたもの以外は排除をしない考え方とがある」という風に論を展開している。そしてすべての科学者はこの両極端にどちらかに一時的に位置することがあるが、その両極端のどちらかに常にいることはないというようなことを言われている。

それはたぶんそうであろう。

今日はブログを書くことに

2016-04-01 18:41:47 | 日記
頭が行かなかった。ということで帰宅まじかになってちょっとなにか書こうとしている。

午後4時過ぎに県立図書館に本を返しに行って、また別の本を2冊借りてきた。

ちくま書房のちくま哲学の森の7の『驚くこころ』とフェリックス・クラインの『高い立場から見た初等数学』第一巻である。

これは四元数のことが書いてあるので借りたのであるが、さてはて読めることができるかどうか。『驚くこころ』は遠山啓さんのエッセイが載っているので、彼の著作目録に載せるための資料として借りたのである。

遠山さんの著作目録を大分以前からつくろうとしているのだが、なかなか資料が集まらなくて、それに図書館等でもあまりおいてないような資料がほしいところまで来ているのだが、なかなかである。私自身もかなり書籍等を集めたが、まだまだ十分ではない。