比について調べている。それで昔読んだ本に和達清夫さんが書いていたことに彼の中学校時代の数学の先生が「比とは比の値のことをいうが、特に比の値とは言わない」とか言ったと2014年12月のブログで書いたが、それがどの本にあったかわからなかった。
今朝になってその本をようやく見つけた。それは『数学ティ―タイム』(日本評論社、1965)である。ちょっと記憶で書いたので、引用が精確ではなかった。
和達清夫さんは、東京開成中学の一年のときの数学の授業の最初の1時間に「これからは比の値はいくらとはいわず、ただ比はいくらといいます。それはこの白墨の値はいくらといちいちいわないのと同じです」と数学の宮本久太郎先生に教わったと書いてある。また比を教えるにあたって冒頭に「比というのは割るというのと同じだと思ってよろしい」とも言われたと書いてある。
エッセイのこの箇所の小見出しは「比とは割ること」となっている。この『数学ティ―タイム』は私はインタ-ネットの古書で数年前に購入したと思うから、昔からもっていた書ではない。
「割合」という概念が初等数学教育で難しい概念だということは数学の教育に関わっている人ならだれでも知っている話ではあるが、その割合という概念はそれを分析してみると
「度、率、倍、比」(内包量の分類)の4つに分けられる。度が教えるのにいちばんやさしく、つぎに率である。そのつぎが倍であり、比という概念は一番難しいと言われている(注)。
3m で 70g の針金は 8m ではいくらか
という小学校の算数の問題があったとすると、これを比例式で書くと
3:8=70:x
とでもするのだろう。そして「内項の積は外項の積に等しい」というどこから導かれたかよく正体のわからない定理から
3x=560, x=560/3=186.66・・・
とするのはよくないという。これはヨーロッパでも伝統的な方法として知られていたという。このことを遠山啓は『教師のための数学入門』(国土社)の中でスピノザの『知性改善論』(岩波文庫)まで引用して述べている。
そして遠山は単なる記憶した規則からの脱却を「帰一法」に託している。
要するに 3m で 70g の針金なら、1m あたりの針金の質量7 0g/3m を求めて、それを8倍すればよい。
これはこれで解決するのだが、私が比と比例とに関心をもったのは内分点の座標を求めるところにあったので、もっと機械的に求められる必要がある。
私が比例式を分数式で表わすことを学んだのは数学ではなくて、高校時代の受験勉強での化学の計算においてであった。それを知った後では、相似な三角形での対応する辺の比が比例するとかといったことがそれほど厄介だとは思わなくなった。
だが、それをどうやって教えるのかというと私の経験がどういうものであったのかよく分からないのである。自分ができるとかいうことと人に教えるにはどうしたらよいかは別のことだという気がする。
(注) 量は分離量と連続量とに分けられる。連続量は外延量と内包量に分けられる。外延量は加法的だが、内包量は加法的ではない。そしてその内包量は度、率、倍、比と4つに分類される。この4つが割合といわれるものである。特に比の概念は難しいのでどう教えるのかが小学校の算数で問題になる。その合理的な教え方は帰一法だといわれている。
量--- 分離量
連続量---- 外延量
内包量--- 度
率
倍
比
もっともこのように量がクリアに分けられるのは高々小学校から中学校の低学年に限られるといわれる。中学校の高学年から高校で出てくる量ではもうこのようにクリアにはもう分けられない。