物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

なかなか原稿が書きあがらない

2018-10-18 16:05:24 | 日記
もう数日前から出来上がったと思っている原稿が予想に反してできあがらない。

5回目のプリントをしたが、読んでみると文章を書き換えたくなる。それにしてももう5回目なのでちょっと時間をおいておかないといくら原稿を見ても上っ面しかみることができないだろう。

1週間ほど時間をおいておくことにしよう。

これは前に書いた数学エッセイの改訂版であるが、それでも完成に苦労している。

もともとファン・デア・ヴェルデンの『代数学の歴史』(現代数学社)の四元数の発見の箇所を解説するものである。

もちろん原著の訳文を多く引用したエッセイだが、どうも私の読み方が前に書いたエッセイではちょっと浅くて改訂をすることにした。


睡眠中の思考

2018-10-18 10:56:36 | 日記
で何かを発見したという経験はまだないが、それでも何かを睡眠中に考えているというのかイメージが頭の中を行き来しているという感じがする。

だからどうだということではまったくないが、昨夜もなんだか数式らしいものが行き来しているという感じだった。

もっとも頭の中で数式の計算ができたという経験はまだない。なんだかイメージが行き来するという経験くらいである。

当面している問題についてのイメージであるはずだが、どうもそうではないらしい。そこらへんがあまりはっきりしないところである。

もっとも合理的な覚醒時の思考ではないので、統制がとれないのはしかたがない。

サッカーの試合

2018-10-17 11:47:37 | 日記
昨夜のキリンチャレンジカップで、日本代表のウルグアイとのゲームは4:3で日本の勝利となり、われわれ日本人を驚かせた。

縦パスで敵陣に攻め入り、いままでの日本の攻撃とは違っており、何度もゴールネットを揺らした。

ベテランと若手とがうまく融合してのいい結果である。日本のサッカーがかわろうとしているのだろうか。

森保監督の指導法が成功していると思える。日本のサッカーのプレーヤーが自信をもってきたのではなかろうか。

それと持続力とスピードがゲームの最後まで落ちなかったのはトレーニングの成果かもしれないが、変わったところであろう。そういう才能をもったプレ―ヤーが育ってきている証拠なのだろうか。

森保監督になって練習試合の3試合をすべて勝っているというから日本のサッカーが変わってきている証なのかもしれない。

点も入れられるが、それにめげず日本のチームが得点できるようになったのは新しい望みであろう。

わかりやすく書く才能

2018-10-16 15:40:54 | 物理学
わかりやすく書く才能をもった人がいる。

これは一般の人にもいるし、教育者とか研究者にもいる。多くの人の同意が得られるかどうかはわからないが、素粒子物理学関係の学者としてはSydney ColemanとかHarry J. Lipkinとかがその中にはいるのではなかろうか。

Colemanの書籍はあまり読んだことがないが、Lipkinの"Lie Groups for Pedestrians"という本は読んだことがある。昔はNorth Holland pub.から出版されていたが、現在ではDoverからペーパーバンドが出ている。Qunatum Mechanics for Pedestriansとかいう本ももっている。もっともこちらのほうはあまり読んだことがない。

こういう人は日本人にもいて、いいテクストを書いていたりする。また、わかりやすい講義をするという評判で定評のある研究者はほうぼうの大学とかグループから講義の依頼があったりする。

日本人の場合には直接名前を具体的に上げたりすると、ご本人に迷惑をかけてはいけないので、イニシャルだけにしておくが、KさんとかMさんとかが知られている。Kさんは研究者としてもすぐれた人だが、著名な研究者のNさんの流れを受けている人だと思われる。

ちょっと話が変わるが、非線形波動で独特の業績で有名だった広田良吾さんの講義を聞いたことがある。これは数学の先生が呼んだ集中講義を聞かせてもらったのだが、やはり独特のものの理解の仕方をされる人だという感じをもった。

差分法をつかって非線形波動の問題を解かれたり、されたらしい。差分法に凝っておられて、いろいろ新しいことを見つけたといっておられた。そしてこれについてすべてがわかるまでは論文を書かないと言っておられた。広田さんには『差分学入門』(培風館、1998)とか『差分方程式講義』(サイエンス社、2000)とかがある。

孤立波が崩れないで進んでいく非線形な波を差分で解くときに、前進差分とか後退差分ではなく、中心差分で解かないと波が安定ではなくなるとか聞いたような気がするが、どうも定かではない。

現代的な数学ではない、自分自らが独自の数学をつくるような感じがする人であり、「現代の和算家」というあだ名までもらった独特の人である。

(2018.10.18付記)  わかりやすく書く能力という意味では『数学ガール』(ソフトバンククリエティブ)の著者の結城浩さんを忘れてはならないだろう。

彼の書いた『数学ガール』のシリーズは最終的には難しい課題と取り組んでいながら、その前の段階では数学を分かりやすく解説している。これは一種の才能である。


四元数(補遺4)の改訂

2018-10-16 12:34:40 | 日記
「四元数(補遺4)」の改訂をしている。これはファン・デア・ヴェルデンの『代数学の歴史』(現代数学社)で、ハミルトンの四元数の発見を扱った部分を2016年12月発行の「数学・物理通信」に掲載したのだが、『代数学の歴史』を読み返して、前には気がつかなかったところを詳しく説明したいと考えるようになった。

もっとも修正をしているうちに自分のしたミスも見つけたし、また原著の式の記号を変えたほうがよいところ等も気がついた。そして、その修正稿を昨夜見ていたら、ほかにも修正したほうがいいところも見つけた。

みるみるうちに、いたるところ赤字での修正が入ってきた。その修正のための原稿の読み返しを、12時30分くらいまでして、遅くなっては今朝が眠くなるので、寝た。それでも今朝はなかなか起きるのがつらかった。

朝食の準備は私がしているので、そうはいっても朝遅くまでは寝ておられない。8時すぎには起きた。高血圧なので薬をもらいに、行きつけの病院に行って、血圧の測定をしてもらい、やっと12時過ぎに仕事場にやってきた。

午後は、「四元数(補遺4)」(改訂版)の作成を続行するつもりである。できたら、少しファイル・キャビネットで原稿を寝かせてから、12月のいずれかの号に掲載したい。

(2019.10.17付記)

ホワイエってなに?

2018-10-15 11:30:31 | 日記
今朝、朝日新聞を読んでいたら、シャイヨー劇場のホワイエで…というのがあった。ホワイエというフランス語は知らなかったので、妻にスマホで調べてもらった。

スマホによればホワイエはロビーを意味するという。それでホワイエの意味がわかったのだが、そのつづりも妻は教えてくれた。

それによるとFoyerであるという。このフランス語は知らなかった。仕事場にきて、仏和辞典を引いてみたら、ホワイエという語の中には確かに訳語としてfoyer de publicというので、ロビーというのがあったが、単にfoyerではロビーの訳語はなかった。(もっとも仏和辞典には赤線のアンダーラインがしてあって、以前にこの語を調べたことがあったらしい)。

それでもだいたいfoyerはロビーの意味で使われるのだろうか。

この記事を詳しくは読まなかったのだが、なにか歌舞伎の公演をシャイヨ-劇場でして、とても評判が良かったという話らしい。これは歌舞伎に造詣の深いあるフランス人の尽力があったらしいという記事であったのだろう。

シャイヨー劇場というのはパリのエッフェル塔から見て西の方角にある昔の宮殿だと思う。少なくとも昔の私のフランスの知識ではシャイヨーは宮殿だとして覚えていた。それが現在では劇場としても使われているらしい。

もっとも妻はエッフェル塔からみた、シャンドマルスのほうが印象に残っていたらしい。

こういう経験ももう40年以上も前のこととなった。

(付記)いまインターネットでシャイヨ―宮殿の写真をみたら、妻の記憶の方が確かで、私の記憶のほうがあやふやらしいことがわかった。しかし、前に書いたことはそのままにしておく。

司書さんとの会話

2018-10-13 12:20:14 | 日記
いつも本を借りに行く県立図書館で先日、本を借りようとしたとき、たまたまその司書さんと話す機会があった。

司書さん:最近あなたの借りる『数学ガール』(ソフトバンク・クリエイティブ)が他の人からも借りられることが多いのですが、この本の著者は数学者なんですか。

私 : いいえ、結城さんはプログラマーのはずです。数学者が書いた本なら私にわかるはずもないので。

司書さん:ああ、そうなんですね。それで結城さんの本はおもしろいんですか。

私 : 結構面白いですよ。もっともいちばん肝心な最後の章はなかなかむつかしくてあまりわからないですがね。
 
司書さん:ああ、そうなんですか。何冊ぐらい結城さんはこのシリーズを書いておられるのですか。

私 : もう10冊以上書いておられるのではないですか。ある特定のテーマについて書かれることからはじまったのですが、最近では高校数学のテーマについても書いておられますからね。

司書さん:ああそうなんですか。私も読んでみようかしら。

私 :いいかもしれませんよ。

最近『数学ガール』のシリーズが頻繁に借り出されるので、不思議に思っておられた、ちょっと年長の司書さんとの予期せぬ会話であった。

会話は全くこの通りではなかったかもしれないが、大要はこの通りであった。

学位の取得

2018-10-12 12:19:48 | 日記
私が理学博士の学位を取得したころは、私の親戚には医学博士にしろ工学博士にしろそういうものを持っている者は一人もいなくて、私は変わり者だと思われていた。

だから、別に尊敬もされなかったし、それでそんなものだと私も思っていたので、別に親戚に腹を立てたりすることももちろんなかった。

それから、ちょうど50年が経過して、甥とか子どもや義弟とかに学位取得者がでて、最近では親戚全体で私の知る限り(私も含めて)学位取得者は4人となった。

もしかして、姪の夫も学位取得者なら、5人となるのだが、そういう立ち入ったことは確かめたことがない。

しかし、時代は変わるものである。

一番最近に学位取得したのは義弟である。長年の会社勤めの退職後に、ある大学の博士課程に入学して普通なら3年間はかかるのに、2年間で学位取得したものである。彼は優秀な人材であり、長年の技術者としての経験を生かして学位を取得した。

最近、そういうケースが多くなっているとは思うが、やはり親戚にそういう人が出るとそれには大いに敬意を払いたい。生半可のことではやはり学位には届かないだろう。

大学と大学院での同級生などはとうとう学位を取らないまま、あの世に行ってしまった。彼が優秀でなかったとは思わないのだが、やはり執着心が学位をとるためには必要であるのだろう。




今日は忙しかった

2018-10-11 18:45:54 | 日記
ので、ブログを書くことを忘れていた。

今頃になって思い出して、ブログを書こうかと思っている。なにか書きたいことがあったはずだがいま思い出せない。

昨日、県立図書館に行って別の本を借りてきた。とはいっても1冊は前に借りたファン・デア・ヴェールデンの『代数学の歴史』(現代数学社)である。

これは前に四元数の発見の経緯を書いた箇所を私なりに解読したエッセイを書いたが、これとファン・デア・ヴェルデンの書いたこととの比較したエッセイを書いたのだが、もっと彼の書いたことを注釈するというようなエッセイを書いてみたいという気持ちが出てきている。

ヴェルデンが軽く一言で済ませているところを掘り下げてみたいという気がしている。

それとこの書の「代数の構造」という11章を詳しく読みたいと思うようになったからである。

以前にはそのことには関心が全くなかった。このことは『超複素数入門』(森北出版)の関連図書の項を読んだからである。

交換法則、結合法則、分配法則

2018-10-10 12:16:16 | 数学
などという語を知ったのは高校の数学のテクストであった。

そして、その説明が代数式を使ってされていた。それらはそれまでの学校数学の中で当然成り立つものとして暗黙に学んできたものばかりだったので、なぜそのような事実をことさらに、3つの法則とするのかわからなかなった。

その意味が分かってきたのはベクトル代数や行列を学んでからであった。数学の体系の対象とするものの中には実は数とか代数の多項式とかのように足し算と掛け算(注1)とかができるものばかりではなく、それもとくに交換法則が成り立たないものが数学の対象になるということを知ったからである(注2)。

要するにせっかく言葉を知ってもそれがどうして必要になるのかの意味が分からなかった。その状況がいまは教育的に改善されているのかどうかは現在の高校数学の現場を知らないので何とも言えない。

たぶん、そういう疑問を持ったかつての私のような学生がいまや数学の先生として教えられているであろうから、昔の私が抱いたような疑問には授業の中で答えているにちがいない。

少なくとも、そういうことの全部をではなくとも、その片鱗くらいは授業中に言及することができないような先生はご用済みであろう。

ランスロット・ホグベンの『百万人の数学』(日本評論社)の序文だったか本文だったかの中には数学教師に対する厳しい批判が書かれている。要する生徒や学生の要望に応えられない数学教師はいらないというような。もちろん、世の中にはそういう教師ばかりではないことは一縷の望みを感じさせられる。

(注1)加法とか乗法とかいっても、もちろん数とか代数式の加法とか乗法とかは含むが、操作としてはそういう演算はもっと広い意味で使われる。

(注2)四元数では交換法則が成り立たないことはよく知られている。八元数は結合法則も成り立たない一つの例である。

運動神経が必要だ

2018-10-10 11:46:12 | 物理学
などというとスポーツのようだが、何十年も前の学生時代に購入した黒沢達美著『物性論』(裳華房)の序文には、この本を読むにはある種の運動神経みたいなものが必要かもしれないなどと書いてあった。

物性論の本を読むのに、数学の基礎知識とか量子力学の知識ではなくて、ある種の運動神経が必要だと言われて、ほっとしたのを覚えている。それは数学の知識も量子力学の知識もそのころあまり身につけてはいなかったからである。

いや、いまでもこの二つが身についているかと問われるとあやしいものだが、学生の頃はもっと頼りないものであったことは疑うべくもない。

この本以降に読んだ物理の本で、そういう風な序文があったと思うような本は覚えていないところを見るとても独創的な序文であったにちがいない。こんな序文を持つ本を書いてみたいと思っているが、さてさてそういうことができるものだろうか。

ベクトルの回転

2018-10-10 10:36:49 | 数学
ベクトルの回転の式をどのように導いているかが現在の私の関心事である。

すなわち、ベクトルの回転の公式(いわゆるロドリゲスの公式)をどう導いているか。『四元数の発見』(海鳴社)を書いたときには、ゴールドスタインの『古典力学』上(吉岡書店)に記載された方式で述べたのだが、これは一つの欠点があった。

この説明は回転角度の回転の向きが時計方向であり、普通の回転の向きが反時計方向であることと反対である。それで、いまそれを修正した文章を書こうと考えている。もともとの文章でもベクトルの空間回転の説明を書こうとしたときに、Altmanの本とゴールドスタインの本とを参照にして書こうとしたのだが、Altmanの本で1か所理解できないところがあったので、ゴールドスタインの説明によった。

ところが、そのときにはあまり気にならなかった回転の角度の向きが気になり始めたので、もう一度Altmanの本を読んでわからなかったところをよく考えたら、わかった。それでその方式でベクトルの回転の章を書き改めようとしている(付記)。

ところで、そのほかに現在、気にして読んでいる本に今野紀雄さんの『四元数』(森北出版)とか金谷(かなたに)健一さんの『幾何学と代数系』(森北出版)がある。これらも同じテーマもあつかっているので、それらと比べてみる必要を感じている。この二つの記述は見かけはあまり簡単であるようには見えない。

それ以外に3Gグラフィックスの専門書である、『ゲーム3D数学』(オライリー・ジャパン)でも同じテーマを扱っているが、これがまた簡単に導いている。それらを比べてみて、数学エッセイを書こうと思っている。

Altmanの導き方も簡明さではけっしてほかの説明には劣らない。ただ、説明がちょっとあまりに簡潔であったので、それを補ったエッセイを書きたい。

(2019.10.14付記) 昨年の10月にこう書いているのだから、昨年にすでに
ベクトルの回転方向については解決済みであったことがわかった。そのノートを先日見つけてようやく書き直しのエッセイを書こうとしている。


もっとも美しい数式

2018-10-09 14:10:21 | 数学
と言われているのはe^{i\pi}=-1だという。

「もっとも美しい数式」は結城浩さんの『数学ガール』-フェルマーの最終定理ーの第9章のタイトルである。もしかしたら、吉田武さんの著書『オイラーの贈物』(海鳴社)にもそう書かれてあったかもしれない。

結城さんの本の書き方も簡潔でいいが、ただちょっと注文というかe^{i\theta}を演算子として解釈をしてもらうともっと直観的にわかりやすかったのではないかと思っている。

数の1にe^{i\theta}をかけると1から半径1の円周上で実部が\cos \thetaで虚部が\sin \thetaの点へと移動する。そういう風に解釈すれば、e^{i\pi}は原点Oの周りの平面上の角度\thetaの回転を表す。

この時には実軸上の点(1,0)を演算子e^{i\pi}は実軸上だが、負の方向の(-1,0)へと原点Oの周りに180度反時計方向に回転させることになる。

これは要するに(-1)・1=-1に他ならない。そうだったとすれば、(-1)・(-1)=1であることもすぐに了解されよう。

どうせ書くならば、そこまで書いてほしかった。このことを結城さんが知らないはずはないのだが。

昨日、ようやく「ーフェルマーの最終定理ー」を最後まで読んだわけだが、やはり最後の章はもう一つわからなかった。それでもその最終定理の証明のプロセスだけはおぼろげながらわかった。でももう一つしっかりはしない。

ベクトル空間の定義

2018-10-08 12:24:55 | 数学
が岩堀長慶『ベクトル解析』(裳華房)にはないことに今やっと気がついた。実は「ベクトル空間の公理的定義がどうだったかな」と思って、佐武一郎『行列と行列式』(裳華房)より前に本棚から手に取って調べた。ところがこれにはベクトル空間の定義はなかった。

それで、あわてて『行列と行列式』を参照したら、こちらにはちゃんとベクトル空間の定義があった。

どうして、ベクトル空間の定義を調べる気になったかというと、多元環と関係している。

多元環の定義を先日、遠山啓編の『現代数学教育事典』(明治図書)で調べて、それを書きとった。それをlatex入力しようかなと考えていたのだが、そのことでベクトル空間の定義をもう一度復習しておこうという気になった。

岩堀さんのベクトル解析の本は難しいと思っていたので、あまり読んだことがない。だが、ベクトル空間の定義はベクトル解析の書には不要と考えたのであろう。載っていなかったという次第である。

今日は体育の日

2018-10-08 11:26:08 | 日記
だが、ちょっと曇りぽい。数年前まで10月10日が体育の日と固定されていたが、最近では土日と接続して連休が少しでも増えるようになっている。

それでいわば、3連休の最終日ということになる。私は日曜以外は休まないことにしているので今日は仕事場に出てきた。

それでも昨日の日曜日は一日大いに休んだ。それでもときどきは数学の本を読んだりはした。