などという語を知ったのは高校の数学のテクストであった。
そして、その説明が代数式を使ってされていた。それらはそれまでの学校数学の中で当然成り立つものとして暗黙に学んできたものばかりだったので、なぜそのような事実をことさらに、3つの法則とするのかわからなかなった。
その意味が分かってきたのはベクトル代数や行列を学んでからであった。数学の体系の対象とするものの中には実は数とか代数の多項式とかのように足し算と掛け算(注1)とかができるものばかりではなく、それもとくに交換法則が成り立たないものが数学の対象になるということを知ったからである(注2)。
要するにせっかく言葉を知ってもそれがどうして必要になるのかの意味が分からなかった。その状況がいまは教育的に改善されているのかどうかは現在の高校数学の現場を知らないので何とも言えない。
たぶん、そういう疑問を持ったかつての私のような学生がいまや数学の先生として教えられているであろうから、昔の私が抱いたような疑問には授業の中で答えているにちがいない。
少なくとも、そういうことの全部をではなくとも、その片鱗くらいは授業中に言及することができないような先生はご用済みであろう。
ランスロット・ホグベンの『百万人の数学』(日本評論社)の序文だったか本文だったかの中には数学教師に対する厳しい批判が書かれている。要する生徒や学生の要望に応えられない数学教師はいらないというような。もちろん、世の中にはそういう教師ばかりではないことは一縷の望みを感じさせられる。
(注1)加法とか乗法とかいっても、もちろん数とか代数式の加法とか乗法とかは含むが、操作としてはそういう演算はもっと広い意味で使われる。
(注2)四元数では交換法則が成り立たないことはよく知られている。八元数は結合法則も成り立たない一つの例である。
そして、その説明が代数式を使ってされていた。それらはそれまでの学校数学の中で当然成り立つものとして暗黙に学んできたものばかりだったので、なぜそのような事実をことさらに、3つの法則とするのかわからなかなった。
その意味が分かってきたのはベクトル代数や行列を学んでからであった。数学の体系の対象とするものの中には実は数とか代数の多項式とかのように足し算と掛け算(注1)とかができるものばかりではなく、それもとくに交換法則が成り立たないものが数学の対象になるということを知ったからである(注2)。
要するにせっかく言葉を知ってもそれがどうして必要になるのかの意味が分からなかった。その状況がいまは教育的に改善されているのかどうかは現在の高校数学の現場を知らないので何とも言えない。
たぶん、そういう疑問を持ったかつての私のような学生がいまや数学の先生として教えられているであろうから、昔の私が抱いたような疑問には授業の中で答えているにちがいない。
少なくとも、そういうことの全部をではなくとも、その片鱗くらいは授業中に言及することができないような先生はご用済みであろう。
ランスロット・ホグベンの『百万人の数学』(日本評論社)の序文だったか本文だったかの中には数学教師に対する厳しい批判が書かれている。要する生徒や学生の要望に応えられない数学教師はいらないというような。もちろん、世の中にはそういう教師ばかりではないことは一縷の望みを感じさせられる。
(注1)加法とか乗法とかいっても、もちろん数とか代数式の加法とか乗法とかは含むが、操作としてはそういう演算はもっと広い意味で使われる。
(注2)四元数では交換法則が成り立たないことはよく知られている。八元数は結合法則も成り立たない一つの例である。