アメリカの科学技術は軍事技術の色彩が強いというのが中山茂さんの1995年の見るところであり、日本では営利のための科学技術の色彩が濃いいという。
日本では大学の理工系では論文発表は英語でされるのが普通であるが、会社ではある特別な分野を除いて日本語で発表されるという。そして、今は変わっているかもしれないが、大学にはあまり頼らないで、民間企業で研究開発がされてきたというのが、中山さんの見るところである。もっとも『科学技術の戦後史』(岩波新書)が書かれてから、もう23年であるから、アメリカの技術も様相が変わっているかもしれないし、日本も様相が変わってきているかもしれない。
GAFAといわれる、Google,Amazon,Facebook,Appleという4大産業は軍事産業ではないと思う。それらが重きをなしているということはアメリカの企業も変わりつつあるということだろうか。
ところが、トランプ大統領はそれをまた昔に返して、軍事産業を振興させようとしているように見られる。軍事産業は消費だけであって、人類にプラスの効果を与えない。人類にとって地球の資源は有限であるのだから、それらをできるだけ有効に使うようなことが人類が生き延びるためには必要とされる。
一時的に、軍事産業が隆盛になって、一部の人が所得の面で裕福になったとしてもそれは人類とか地球の資源の有効利用という意味ではまったく役に立たない。そういう視野をもった人が多くならないと人類とか地球とかの発展には寄与したとはいえない。
経済学もそういうことができるような経済学はいいが、そうではないような経済学はもうダメである。そういう意味ではおのずから科学とか技術のみならず、経済学も政治もいくべき方向は決まっているといえるであろう。
ところが実際にはなかなか大局的な視点からの学問とか、政治とか経済活動ではないのは嘆かわしい。