数学・物理通信8巻8号をとうとう発行した。
普通なら、数日手元にわざとおいておくのだが、もう待つのが嫌になったので、発行に踏み切った。
これはもう私にしてはじれていたのである。発行に至るまでにはいろいろなプロセスを経ている。著者に何回も点検をしてもらうとかである。
それも点検は相手次第であり、すぐに返事をくれる人ばかりではない。投稿者にとっては短い時間かもしれないが、編集者にとっては準備の段階から考えるととても長い時間がかかっている。
それでだれがどうだということではなくて、もう自分でうんざりしてくる。できるだけはやく自分の手元から手放したい。そういう気がいつも強い。だが、私はそそつかしいので、思わぬミスをするということがしばしばである。それにプリントして読むのは最終段階だけにしているので、思わミスが出てきたりする。
30ページのサーキュラーでもそれを何回もプリントしていたら紙がいくらあってもたりなくなる。そういうことでできるだけ著者に校正をお願いしている。
それに投稿者が原稿を直すということだって何回もある。10回くらい直した方もあり、そういう場合にはその原稿の掲載は遅れてしまう。
投稿者はきちんとした原稿をつくるのが、編集者に対するエチケットであろうが、10回くらい原稿を直す人も珍しくはない。要するに検討が十分になされていないということだが、これはあまり他人のことを言えない。なぜなら、そういう経験が私にもある。
いずれにしても、今回ほど手のかかった号はなかったであろう。2人の人の原稿をlatexに変更して、ある人の場合など文章までだいぶん私が手を入れた。それに9月は自分の投稿原稿を書く必要があったので、それを片付けるのが先だった。また、ある人の場合は表がとてもたくさんあって、もうどうしようかと思った。
普通なら、数日手元にわざとおいておくのだが、もう待つのが嫌になったので、発行に踏み切った。
これはもう私にしてはじれていたのである。発行に至るまでにはいろいろなプロセスを経ている。著者に何回も点検をしてもらうとかである。
それも点検は相手次第であり、すぐに返事をくれる人ばかりではない。投稿者にとっては短い時間かもしれないが、編集者にとっては準備の段階から考えるととても長い時間がかかっている。
それでだれがどうだということではなくて、もう自分でうんざりしてくる。できるだけはやく自分の手元から手放したい。そういう気がいつも強い。だが、私はそそつかしいので、思わぬミスをするということがしばしばである。それにプリントして読むのは最終段階だけにしているので、思わミスが出てきたりする。
30ページのサーキュラーでもそれを何回もプリントしていたら紙がいくらあってもたりなくなる。そういうことでできるだけ著者に校正をお願いしている。
それに投稿者が原稿を直すということだって何回もある。10回くらい直した方もあり、そういう場合にはその原稿の掲載は遅れてしまう。
投稿者はきちんとした原稿をつくるのが、編集者に対するエチケットであろうが、10回くらい原稿を直す人も珍しくはない。要するに検討が十分になされていないということだが、これはあまり他人のことを言えない。なぜなら、そういう経験が私にもある。
いずれにしても、今回ほど手のかかった号はなかったであろう。2人の人の原稿をlatexに変更して、ある人の場合など文章までだいぶん私が手を入れた。それに9月は自分の投稿原稿を書く必要があったので、それを片付けるのが先だった。また、ある人の場合は表がとてもたくさんあって、もうどうしようかと思った。