は中山茂さんの岩波新書である。
すでに2度目の図書館からの借用であるが、あまりよくは読んでいなかった。
昨夜、終わりのほうを読んだら、結構面白かった。これは結論の部分である。戦前の日本は19世紀のドイツ科学を模範にして日本の科学技術は発達してきたが、軍事科学技術が中心であった。戦後はアメリカの科学技術を模範にして発展してきた。
ただし、アメリカの科学技術はやはり軍事が主となるので、これは戦後の日本では見習わなかった。そこに日本の戦後の科学技術の特色があった。
しかし、『科学技術の戦後史』が書かれたのは1995年であるので、これはもう23年も前のことであり、日本の科学技術の陰りが見えてきている。確かにノーベル賞の受賞者はこの21世紀に入ってきてから圧倒的に増えたが、これがいつまでも続くはずはない。
それと日本の科学技術の研究費は民間企業が中心にして支出されてきたというが、最近はその勢いも止まっている。それに国立大学にも運営交付金がだんだんと少なくなって発表される論文数も少なくなってきているという。
現在の時点に立って、新たにその展望を描く必要が出てきている。
すでに2度目の図書館からの借用であるが、あまりよくは読んでいなかった。
昨夜、終わりのほうを読んだら、結構面白かった。これは結論の部分である。戦前の日本は19世紀のドイツ科学を模範にして日本の科学技術は発達してきたが、軍事科学技術が中心であった。戦後はアメリカの科学技術を模範にして発展してきた。
ただし、アメリカの科学技術はやはり軍事が主となるので、これは戦後の日本では見習わなかった。そこに日本の戦後の科学技術の特色があった。
しかし、『科学技術の戦後史』が書かれたのは1995年であるので、これはもう23年も前のことであり、日本の科学技術の陰りが見えてきている。確かにノーベル賞の受賞者はこの21世紀に入ってきてから圧倒的に増えたが、これがいつまでも続くはずはない。
それと日本の科学技術の研究費は民間企業が中心にして支出されてきたというが、最近はその勢いも止まっている。それに国立大学にも運営交付金がだんだんと少なくなって発表される論文数も少なくなってきているという。
現在の時点に立って、新たにその展望を描く必要が出てきている。