ドイツ語圏の研究者をダイソンがどう見ていたかを書く。
パウリは高等研究所(IAS)に大戦中いたが、あまりそのときは孤独で幸せではなかったが、1951年にスイスで会った。彼はそのころ進んでいた宇宙線の実験の結果を全て知っており、量子電気力学の摂動展開の収束について議論したが、彼はその級数が発散するだろうと言った。現在では級数は発散することが知られている。
ハイゼンベルクは高等研究所(IAS)には、来なかったが、アインシュタインを訪問したという。アインシュタインと交友があったある女性の日記にハイゼンベルクはあまりよくは書かれていないとか。そのうえ、彼が助手の人の才能を開花させなかったとあまりいい評価を下していない。
ヤンとミルズのゲージ場理論はパウリの否定的な見解に提唱者のヤン自身も含めて影響を受けたという。理由はヤンのゲージ場が質量をもたないために、自然とは何の関係もなく、無意味だと考えたからである(注)。
高等研究所(IAS)は気候科学と計算機科学の中心になりそこねたが、いまではMITとIBMとが科学の中心となっている。また、気候科学はUCLAとノルウエーとが中心となっている。
3回にわたった「ダイソン教授に聞く」はKavli IMPU No. 26 (2014)からの抜粋である。正しく抜粋していないかもしれないので、関心を持たれた方は元の文献にあたってください。
(注)これは現在では対称性の自発的破れからゲージ場のウィークボソンも質量をもてるようになったことから評価が変わってきている。
ダイソンがWentzelの場の量子論のテクストを読んだということは彼自身が書いているので知っていたが、その前にHeitlerの"Quantum Theory of Radiation"(輻射の量子論)を読んでいたことは知らなかった。やはり手順を踏んで、場の理論を学んでいたことを知った。