物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

「ダイソン教授に聞く」から 3

2019-07-05 16:45:52 | 物理学

ドイツ語圏の研究者をダイソンがどう見ていたかを書く。

パウリは高等研究所(IAS)に大戦中いたが、あまりそのときは孤独で幸せではなかったが、1951年にスイスで会った。彼はそのころ進んでいた宇宙線の実験の結果を全て知っており、量子電気力学の摂動展開の収束について議論したが、彼はその級数が発散するだろうと言った。現在では級数は発散することが知られている。

ハイゼンベルクは高等研究所(IAS)には、来なかったが、アインシュタインを訪問したという。アインシュタインと交友があったある女性の日記にハイゼンベルクはあまりよくは書かれていないとか。そのうえ、彼が助手の人の才能を開花させなかったとあまりいい評価を下していない。

ヤンとミルズのゲージ場理論はパウリの否定的な見解に提唱者のヤン自身も含めて影響を受けたという。理由はヤンのゲージ場が質量をもたないために、自然とは何の関係もなく、無意味だと考えたからである(注)。

高等研究所(IAS)は気候科学と計算機科学の中心になりそこねたが、いまではMITとIBMとが科学の中心となっている。また、気候科学はUCLAとノルウエーとが中心となっている。

3回にわたった「ダイソン教授に聞く」はKavli IMPU No. 26 (2014)からの抜粋である。正しく抜粋していないかもしれないので、関心を持たれた方は元の文献にあたってください。

(注)これは現在では対称性の自発的破れからゲージ場のウィークボソンも質量をもてるようになったことから評価が変わってきている。

 ダイソンがWentzelの場の量子論のテクストを読んだということは彼自身が書いているので知っていたが、その前にHeitlerの"Quantum Theory of Radiation"(輻射の量子論)を読んでいたことは知らなかった。やはり手順を踏んで、場の理論を学んでいたことを知った。

(2021.7.28付記) ちなみに私が最初に場の量子論を学んだ本がHeitlerの"Quantum Theory of Radiation"(輻射の量子論)であった。有名なCompton散乱の計算(Klein=Nishinaの公式)を夏休み前だったかにチェックしたことを覚えている。その当時のノートはまだどこかにあるはずだ。

もちろん、その後に共変的な量子電気力学はK"allen(チェレーン)のQEDで学んだ。これはドイツ語の書であり、私が曲がりなりにも読んだことのあるドイツ語の本はこれ一冊である。

K"allenはスエ―デン人であり、ドイツ語は彼にとって外国語であるから、ドイツ語としてはやさしいと思う。Handbuch der PhysikのK"allenのQEDの前にはPauliの量子力学がある。これは量子力学の3大名著の一つと言われている。


昔、書いたエッセイの発見

2019-07-05 12:44:13 | 日記

「古本を読む」というシリーズのエッセイを見つけた。とはいってもそれはたったの7回にすぎないが。

こういったシリーズで文章を書いたことは他にも「ドイツ語圏世界の科学者」というシリーズもある。これもあまり回数は多くなくて、18回で尻切れトンボになった。こちらは N さんという方が、愛媛ドイツ会という小さな団体を組織して、Zeitung der Deutsche Gruppe in Ehimeという少数ページのコピーのパンフレットを発行し始めたときに、ドイツ人の R 氏がなにか書きませんかと言われて書き始めた。

ドイツ語の先生で大学に在職中に亡くなったある方から文章が上手ですねと褒められた(?)が確かに短い文章ではあるが、何回も推敲した覚えがある。第1回はオットー・ハーンで始まり、第18回のシュレディンガーで終わった。

これはたぶんZeitung der Deutsche Gruppe in Ehimeというサーキュラーが発行されなくなったので、連載が中止と自然になった。最後のシュレディンガーはたぶん掲載されなかったと思う。

それでその連載の全部を『燧』という今治総合文化研究所という物々しい名前のところから出されていた雑誌に全文一挙に掲載した。19ページにわたるエッセイであった。