物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

武谷技術論の意味

2019-07-04 13:32:54 | 日記

武谷技術論の意味はそれ以前に存在していた、技術とは「労働手段の体系である」とした定義に対して、まったく別のテーゼであった。武谷技術論が正しいか、「労働手段の体系説」正しいかという議論も意味はある。

しかし、問題はもっとちがうところにあり、別の技術の定義が出てきたことで、議論が深まったところにその重要な意義があると思う。

そういう議論は私自身はみたことがない。何でも単に一つの説で閉じているときにはあまり発展は期待できない。異なった説がでてくると自分自身もちがったものの見方ができるようになるときに発展がある。

そういう点では科学の歴史において、武谷三段階論が正しいかどうかもさることながら、そういう新しい考えの提唱によって、議論が深まる。そういった点で新しい説は役立つと思う。

第一、広重徹さん自身が「武谷三段階論はなり立っていないという説」で自分自身の存在意義を示した。それは一つの効用であるが、あまり影響を与えるものではないと思っている。

(2019.7.5付記)  武谷の技術の定義を書いていなかった。「人間実践(生産的実践)における客観的法則の意識的適用」が技術である(『弁証法の諸問題』(勁草書房))

新しい見解を発表して議論を巻き起こすのは、それテーゼ自身の正否も重要であるが、それ以上に影響が大きくて貢献度が大きいのではないかという観点である。あまりこういう観点からの議論はなかったと思う。

 


AIに感情をもたすことは可能か

2019-07-04 12:54:09 | 日記

昨夜のNHKのEテレの超AI入門でAIに感情や共感とかをもたせることが必要な時代がやってくるのではないかというような話題が取り扱われていた。

倫理学者のインタビューであったのだが、論理だけで物事が決まるという時代はすぎたということだろうか。もっともその前の週のテーマはAIの判断を人間が理解できないことが問題になっていた。

これで思い出すのは武谷三段階論である。これは人間の自然認識等をテーマにしたものであったが、AIに感情を持たせることよりも前に「AIの判断を人間が理解できないこと」の方がむしろ深刻なテーマかもしれない。

将棋とかでAIの手を人間が理解できないとかいうことがいわれている。しかし、それはAIの判断を一つの自然現象と考えて、それを人間が理解するという風に考えれば、AIが人間に与える謎も自然を人間が探求していったときに遭遇する謎も似たようなものかもしれない。

要するに、「AIも人間がつくった拡張Aされた自然だ」と考えれば、AIの判断もすぐにはわからないかもしれないが、理解する方途はあるのであろう。

それにしても「AIが下す、ある判断はどういうことから来ているのか」ということを人間が判断するということで、また人間の認識の構造が分かるようにならないかという夢もある。