物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

だんだん8月が少なくなっている

2022-08-17 13:07:29 | 本と雑誌
8月13、14,15日のお盆も終わった。

昨晩はNHKBSで京都五山の送り火の放送があった。私もどこかのホテルの屋上で、この京都五山の送り火を見た記憶がある。

昨年と一昨年と送り火が全面的に実施されなくて、3年ぶりという話であった。コロナの影響はいたるところに出ているということだ。

長年のこういう恒例の行事でさえも完全な中止ではなくとも、縮小を余儀なくされたということにコロナの影響の甚大さを思わずにはいられない。

今年は日本列島もいたるところで多量の降水量とかで痛めつけれられている。特に裏日本とか東北地方の線状降水帯による多雨は例年にはないことだ。

これらの地方にお住まいの方にはお見舞いを申し上げたい。



e-Learningのコンテンツ

2022-08-16 15:12:51 | 数学
日曜と昨日の月曜日は自宅に籠っていたので、前につくったe-Learningのコンテンツのプリントを見ていた。説明の仕方もだが、例題や演習問題に独自のものを取り上げて自分でいうのもおかしいが、結構興味深いのではないかと思っている。

もっともこれは三角関数のところが欠けているので、そこをどう補うかが問題である。三角関数の部分は何回も書きかけて途中で中止になっている。

2005年に定年になって、それから2010年くらいまで、このe-Learningのコンテンツをつくっていた記憶がある。その後というか、2009年12月から「数学・物理通信」を発行するようになったので、e-Learningのコンテンツをつくることを止めてしまったといういきさつがある。

ある出版社の社長がこれに関心を持ってくださったのだが、三角関数の部分が欠けているということから、出版をお断りしたといういきさつがあった。

この方は後で知ったのだが、京都大学物理学科の出身であった。それなら、確かに物理のいろいろなテーマを演習問題に取り入れてある、このコンテンツは関心を持たれたのは当然であったろう。






ブログの件数は6334

2022-08-13 12:52:21 | 本と雑誌
このブログの件数は6334である。1年に300件の投稿をできるとして、いま6334/300=21.1となった。

これだと1日に1件の投稿をしているとしておよそ21年ブログをやっていることになるのだが、現実は2005.4月末にこのブログをはじめたのだから、18年となる。

それで結構真面目にブログを書いてきたと思う。もっとも短くてもいいということで、記事の長さは誇っていない。

このブログはだから6335件目である。

またブログ開始からちょうど2900日だという。2900/365=7.94年となるが、これは前のブログの時代の年数を入れていないのだろう。

コロナに感染した人の体験では

2022-08-13 12:22:15 | 本と雑誌
松山に住んでいる人であるが、孫の世話するために東京に行って、コロナに家庭感染した人の体験では二日ごとに家族が順番に熱を出して体調が悪くなったとか聞いている。

妻が一昨日に濃厚接触者となったが、今日はまだ元気であるようだ。明日どうなるかだろう。

いずれにしても、いまでは5日の自宅待機の日を過ごすことが要請されているらしい。もしか熱が出たりすると医療機関を訪れるしかない。それ以上のことをしてくれるようなサービスはないらしい。

食事を保健所が届けてくれるなどいうことは期待すべくもない。いやこれは市とか保健所の無力さを嘆いているのではないことを強調しておきたい。

それくらい大変な事態となっているのだと言いたいだけである。



中国語の四元数の論文

2022-08-12 12:32:48 | 数学
中国語の四元数の論文というか解説というかを見つけた。これは73ページである。これに「数学・物理通信」に私の四元数についての連載記事が載せられていたこととか、それがまとめられて『四元数の発見』という1冊の本になったとかの説明があった。また、四元数の発見のいきさつとかを書いてあると書いてあるようだった。

私は中国語が読めるわけではないが、そういう風な説明だと思う。中国語で書かれた四元数の解説論文だが、もちろんこれは解説論文であり、正式な論文にあたらない。

しかし、そういう論文が出ていることを知った次第である。中国語が読めないのであるが、この解説論文を書いた人は日本語を解するとしか思えない。

または最近はやりの翻訳ソフトで、英語に翻訳して読んだのだろうか。妻にこのことを話したら、その中国語の解説を英語に翻訳ソフトで翻訳したらどうかといわれた。

思いがけないことに

2022-08-12 12:11:16 | 本と雑誌
思いがけないことに私の妻がコロナの濃厚接触者になった。したがって、私は濃厚接触者の濃厚接触者となる。

自宅待機とか自宅療養とかが5日間といわれるので、妻が発病したとして、その次に私が発病するであろうか。

熱が出て、咳が出るとか、そういう症状を呈するであろう。妻がコロナの濃厚接触者になったコロナ患者の方もあまり自覚症状がなかったくらいだから、同じような経過をたどるか、それとも妻や私の場合にはもっと違った症状が出るのかわからない。

死者もあまり多くはないが、全国では出ている。だから、それに私たちが該当することになるのかは神のみぞ知るである。

妻にも私にもひどい持病はもってはいないのだが。









減数分裂

2022-08-11 12:16:46 | 本と雑誌
減数分裂とは生物学の用語である。

私も高校時代に生物の授業でこの語を聞いた記憶がある。ところがこれの詳しいことを知りたいのだが、あまりはっきりとはわからない。

これは遺伝子と関係があるのだが、生物学のテクストにはきちんと書かれているのだろうか。

中学生のための科学の叢書に説明があるのだが、詳しいことがもうひとつわからない。

生物学の現象なので、どこかにはっきりと書かれているのだとは思う。インターネット検索でもしてみようか。

コスミック・フロント

2022-08-10 16:59:04 | 物理学
テレビをつけたら、NHKのコスミック・フロントとかいうシリーズの番組の一つを見た。

星の進化とか何とかがテーマだったと思うが、元素ができる様子の説明があった。物理専門にしている者なら、星の進化の過程で元素ができてきたことを知っているはずだ。

私ももう何十年も前ことになるが、岩波講座『現代物理学の基礎』の宇宙物理学の巻でこのことを読んで知ったと思う。

元素などたとえば、金などは地球上で金鉱を見つければいいということだが、それは宇宙の進化でできたものだと知っているのは現代物理学を学んだ人だけだろう。

工学部の材料工学科という学科に10年くらいは所属していたので、市民講座を学科が主催したときなどにははじめの方の回で元素のできていく過程を市民講座の出席者に話したこともある。これなど上に書いた湯川秀樹編集の岩波講座『現代物理学の基礎』の宇宙物理学で知ったことをさも昔から知っているかのように話したのだが、金のような重い元素などは超新星爆発によってできたのではなかったろうか。

少なくとも、鉄より後の金属は恒星のなかでは生成されないと読んだような気がするが、どうだったろうか。

「私たちの体は星屑からからできてる」というタイトルの本もあったと思うが、定かではない。


本ばかり読んでいる

2022-08-10 11:22:01 | 本と雑誌
今月は暑いので、本ばかり読んでいる。先月書いた原稿もいくつかあるはずだが、その入力はしていない。

線形代数の本を読み終わらないうちに生物学関係の本を読んでいる。そのうちの一つが長谷川真理子『進化とはなんだろうか』(岩波ジュニア新書)である。

一度全体を駆け足で読んだが、いまはそれを少し丁寧に読もうとしている。2度目は第5章までを少し詳しく読んだ。

その後で、もう一度メモを取りながら、読んでいる。こういう読み方は8月20日に徳島科学史会での発表がなければしない。その後に10月1日が期限の論文の投稿が予定されている。

8月9日は長崎の原爆記念日

2022-08-09 12:11:39 | 本と雑誌
ノーモア ヒロシマ、ノーモア ナガサキとカタカナで書いた方が心にぴったりくる。

この長崎だが。現在は妻の高校の同期生とか私の大学時代の友人とかが住んでいる。

私自身は長崎に行ったことは2度しかない。一度は高校の同窓会であり、もう一度は妻の高校の同期生の長崎大学の退職記念の絵の展覧会に訪れたのであった。

わりあい年数が経たないときに長崎を訪れたのであるが、それからは行く機会がない。

2度行ったときのどちらのときも私の友人とは会う機会がなかった。彼は英語の先生であるが、長崎のどこかの大学の学長か何かを務めたことのあるなかなか偉い人である。

C'est le diable et son train

2022-08-08 11:17:42 | 本と雑誌
                         C'est le diable et son train.

直訳すれば、それは「それは悪魔とその連なり」だということだが、「やっかいごとの連続だ」ということらしい。


trainは普通は列車を意味するが、そういう連なりをこのtrainは意味するのだろう。

ちなみに「電車で会社に行く」とはJe vais au bureau en trainというらしい。


8月の子規の俳句

2022-08-08 10:54:50 | 本と雑誌
8月8日になったので、今月の子規の俳句を紹介しておこう。

  草花を描く日課や秋に入る    子規
  autumn has come
       it is my routine
       to draw flowers           Shiki 1902

立秋は過ぎたが、まだまだ暑い日が続く。むしろこれからが暑い日の方がおおいのではないか。子どもころは 今のようなエアコンがなかったから、本当に夏は暑かった。

本倫今でも夏は暑いのだが、夜とか熱中症にならないようにエアコンをかけて寝るので、子どものころのような暑苦しい夏ではない。それで夏の暑さはむしろ増しているのだが、夏自身はそれほど苦痛ではないはずである。

それとこれは8月にもなると秋がやって来るという希望が見える。

サトーハチロー作詞の「小さい秋、小さい秋見つけた」いう歌にもこのことは表れている。

8月が来れば、秋はもうそこに来ている。それにヨーロッパでは8月はもう秋である。


日曜だのに仕事場に来た

2022-08-07 12:29:11 | 本と雑誌
日曜だのに仕事場に来た。これは理由のあることである。自宅では風があまり吹かない。それでエアコンなしでは生活できない。仕事場は夏には西側の窓を開け放しておくと風がよく入る。

午後の2時くらいになると、それでも最近ではもう暑さに耐えられなくなるが、少なくともそれまではエアコンなしでもなんとか過ごせる。

これが普通は日曜日には自宅で過ごす私だが、仕事場にやってきた理由である。これは妻も同じである。手仕事をするのが好きな妻もこの夏の暑さには手を焼いている。

少しでも風が入って体感気温が涼しく感じられる仕事場はやはり過ごしやすい。松山はなんといっても南国なので、夏は暑い。

77回目の原爆の日

2022-08-06 13:16:35 | 本と雑誌
8月も早くも6日である。77回目の広島原爆投下の日である。

この日、当時5歳か6歳の私がどうしていたかよく覚えていない。故郷の I 市の自宅にいたのか、それとも母の故郷の瀬戸内海の小島にすでに疎開していたのか(注)。

たぶん後者ではないかと思う。数日して広島に「四里四方爆弾」が落ちたとこの小島に滞在中に噂で聞いた。原爆という名が定着した今では 「四里四方爆弾」などという名を記憶している年長の方はもう居られないだろうか。

要するに一発の爆弾で町が壊滅したということを表す、その頃の表現であった。

物理学を学んでも、原爆とかとは縁遠い私であるが、大学の工学部に勤めていたことと、上司の教授が原子力工学の初歩を学生に教えていたという、いきさつから、ある年から毎年原子炉の原理を教えることとなった。この義務は幸い10年ほど講義をした後で、お役御免となったが。

原子力工学の初歩を本で学んで、びっくりしたのは無限大の大きさの原子炉をまずは考えるということであった。現実の原子炉の大きさはもちろん有限であるが、物理学者はこういう奇妙な設定を好んでするということにようやく気がついた。

理想化といわれる思考法である。そういえば、力学を学んだときでも、まずは大きさのない、質量だけをもつ質点を考える。または、摩擦や空気抵抗のない世界を考える。

そういうものは世界に存在しないのだが、そういうものをまず考えて理想化された世界の法則を求め、それから徐々に現実の世界に迫っていく。

凡人の私にはこういう思考方法を物理学はとるのだということを、ようやく原子力工学から知ったという次第である。年はもう40歳に近かっただろうか。

最近、ラジオR2のカルチュアラジオ「科学と人生」の『みんな量子論』で、講師でサイエンス作家の竹内薫さんもそんな話をされていた。

(注)夜の四国のNHKニュースをみていたら、8月6日の夜に私の郷里の I 市の空襲があったということで77回目の慰霊祭が昨日 I 市のあるお寺で行われていた。

だから原爆の日は I 市の空襲の日でもあると知った。それだと私は自宅にいて、焼夷弾爆撃を受けた目撃者の一人である。私が死なずに生き延びることができたのは、単に運がよかったためである。

上の文章は変更すべきであるが、そのままにしておく

夏の夜空の花火を見ると連想して、あの焼夷爆弾空襲の夜を思い起こすことがあるのはしかたがないだろう。


ソーヤー『線型代数とは何か』2

2022-08-05 12:16:33 | 数学
ソーヤー『線型代数とは何か』の複素数のところを読んでいて、もちろん級数の収束の話が出てくる。
 
1+x+x^{2}+x^{3}+・・・=1/(1-x)
 
といったような式が出てくる。ー1<x<1のところで左辺の値は右辺の分数式の値と等しいが、この値をはずれると右辺と左辺の値が一致しなくなるということを示している。
 
こういうことは普通の数学の本では図を描いて示したりしないことなので、こういう実際との不一致を示すことでソーヤーの数学への姿勢を示していると感じた。
 
昨日書いたことも今日書いたことも線形代数とは関係ないことではあるが、数学のテクストを書くなら、こうでなければならないだろう。
 
もっともこういう書き方をすると自然とテクストのページ数が多くなるのでその辺から、こういうテクストの書き方は一般的にされないのであろう。
 
複素解析では解析接続という手法があることも一言だが、注意しておくべきだろう。これは本来の関数の定義域を広げる手法である。その手法にはいくつかあり、それについては金子晃さんの『関数論講義』(サイエンス社)を参照されるとよい。
 
(2023.2.25付記)
以前にこのブログでいつか書いたことだが、解析接続の手法をいくつか紹介してあるのが金子晃さんの『関数論講義』(サイエンス社)である。他には松田哲『複素関数』(岩波書店)が解析接続の手法のいくつかを説明しているのでよいと思っていた。二つを参照するとさらによいかもしれない。
 
私は複素関数のテクストについて一つの偏見をもっていて、一つは解析接続についていろいろな例を挙げている本であること、もう一つは分岐点の説明がわかりやすいことが大切だと思っている。
 
最近購入した石井俊全『大学の複素関数』(技術評論社)は解析接続を正則拡張という語で説明がしてあり、目新しかった。いろいろな手法を説明してくれるともっとよかったのだが、残念である。またこの本にはリーマン面の説明はあるのに、分岐点のあからさまな説明がないのはどうしてなのか。
 
また、分岐点については「数学・物理通信」9巻1号の投稿された「分岐点の定義(新版)」を読むといい。「数学・物理通信」でインターネット検索すると出てくるはずである。