これはまちがいかもしれないが、以下は『現代生物学と弁証法』(勁草書房)を読んで思ったことである。
2013年3月に伊藤康彦さんの『武谷三男の生物学思想』(風媒社)が出て、武谷三男の生物学の知識は彼の不勉強のために論争にも値しないということを多くの人が納得したかもしれない。
だが、武谷三男のいう「裏の論理を確かめる」ということをしっかり実行していれば、もしかしたら、エピジェネティクスという現象を早くに見つけられていたのではなかろうかという疑問である。
伊藤さんの本ではエピジェネティクスという語はでて来ない。だが、昨日『現代生物学と弁証法』を読んで思ったことは、やはりそういう発想だった(注)。
武谷の「裏の論理を確かめよ」という主張は『現代生物学と弁証法』を読んでもはっきりとはわからないが、私にはエピジェネティクスのような現象がないか確かめよという主張だったような気がする。
そういうことを述べた論文にはまだ出会ったことがないのだが、そういう風に捉えるべきだったのではなかろうか。
伊藤康彦さんの『武谷三男の生物学思想』は科学史学会の出版賞か何かをもらった優れた著書らしいが、きちんと科学史学会会員で武谷の主張との整合性を詳しく調べた方がいなかったのだろうか。
私は最近になって、藤岡毅さんの『武谷三男の生物学思想』の雑誌「科学史研究」に掲載された書評を読む機会があった。これにもおよそ『武谷三男の生物学思想』の内容を認めるものであったが、唯一エピジェネティクスについての留保があったのと、思想には思想で克服しようという前向きな点は評価できる。
しかし、『現代生物学と弁証法』に載っている、執拗なまでの武谷の姿勢は学ぶべきではなかったろうか。これに対する言及はない。
武谷には現代生物学についての知識が皆無に近く、議論に値しないという伊藤さんの武谷への評価は考えなおす必要がある。というのはモノ―の本を読んでの武谷の発言が『現代生物学と弁証法』にはいろいろ出ているからである。この辺の事柄を伊藤さんはどう考えられたのであろうか。
こういったからといって、私は武谷三男がまちがいをしないなどというつもりはまったくない。人間であるから、彼ももちろんまちがいをする。だが、彼が言おうしたことにもっと真摯に向き合うべきだと思う。
私が『武谷三男の生物学思想』を購入した後で、この書の書評がいくつかのところから出たらしいが、あまり読む気にならなかったのはたぶん追従的な書評が多いのではなかろうかという気がしたからであった。
(注)仲野徹『エピジェネティクス』(岩波新書)は2014年の出版である。
エピジェネティクスとはなにか。よく知っているわけではないが、一言でまとめれば、DNAには存在するのだが、それの表現がなんらかの理由で抑制されて、遺伝的に外には現れないという現象である。ヒストン修飾とか何かの機構がある。詳しくは上の『エピジェネティクス』を参照されたい。
(2022.8.22付記) 昨日『武谷三男の生物学思想』を読んでいたら、1か所だけエピジェネティクスという語が出ていた。しかし、私の上に挙げた疑問はまだ生きていると思う。