【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

岡田さんが訪れたハイチ大統領宮殿の崩壊の動画が公開される

2010年06月10日 17時06分56秒 | 岡田克也、旅の途中


 世の中なんでも不安な時代ですが、昨夜のNHKニュースウォッチ9の最後に大越健介キャスターが「アメリカの研究者から、日本はパラダイス鎖国と呼ばれている」との話を紹介して興味深く感じました。現代日本は、“そうは言っても”、それなりに生きていけるし、それなりに楽しい。なので、日本での生活に満足して、外国に出ようという若者が少ないという話でした。僕も同感です。鳩山由紀夫さんの「第二の開国」には少し違和感を覚えていました。

 「鎖国」というのは完全に国を閉じていたのではなく、幕府が情報と貿易を独占していた時代です。日本人が外に出ていく時代はいったん終わり、これからはその成果を成熟させていく時代だ。私はそう考えています。日本という“ガラパゴス”の成熟の中から、いずれ、ソニーのウォークマンのように世界に出て行く製品やコンテンツが出てくるかもしれないし、出なけりゃそれでもいいでしょう。英語が話せ、外国経験がある私などは、インターネットで、世界の情勢にしっかりとアンテナを張っておいて、日本の防人を務めることも大事だと思います。

 1月のハイチ大地震。

 3月20日、岡田克也外相はハイチを訪問し、大統領宮殿で記者会見をしました。(写真はepa=時事)。崩壊した大統領宮殿に立つ岡田さんの姿は印象的でしたが、大統領宮殿崩壊の瞬間を収めた映像を、ハイチ政府が自ら公開しました。ハイチ地震復興に向けた国際会議で、あえて映像を公開(ディスクロージャー)することで、ハリケーンシーズン前にハイチへの関心を再び呼び起こしたい、というねらいがあるようです。

1月のハイチ大地震、発生時の映像公開



http://www.youtube.com/watch?v=brCnOwMFS5w

 岡田さんは、帰国後の記者会見で「実際に現地を見ますと、ほとんど人間が住んでいる家がないなということで、被災の非常に厳しい状況が伝わってまいりました」と語っています。

 

 太平洋を越えて、さらにアメリカ大陸を越えたところにある遠い国、ハイチ。わが国の外相がハイチを訪問したのは岡田さんが初めてです。ハイチ共和国は1804年に独立していたそうですから、開国後初めてといっても大袈裟ではないでしょう。遠くて遠い国です。国内にも様々な災害があるなかで、遠い国の支援に懸命になる姿には批判もあったようです。しかし、そこは同じ島国であり、同じ地震国であり、同じ世界です。

 21世紀は情報化と国際化によって、ときとして情報の洪水に飲み込まれてしまいそうです。ハイチ政府が自らこの映像を公開したその経緯をしっかりと理解することが、情報の洪水におぼれないで、「最少不幸の世界」の実現のために必要なことだと思います。

 1959年の伊勢湾台風のときは、四日市のとある小売業者(岡田屋呉服店)が毛布2000枚を提供し、今でもその毛布の温もりを忘れない、という人がたくさんいらっしゃるそうです。情けは人のためならず。正直、僕もハイチのことを忘れていましたが、なるべく忘れないように心がけたいと思います。 

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