【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

46歳・枝野幸男さんが幹事長に その名にちなんだ憲政記念館で発表

2010年06月07日 22時03分13秒 | 第174常会(2010年1~6月)空転政治主導

(速報なので、未定稿です)

 菅直人代表は7日、民主党本部の役員人事を発表しました。幹事長には枝野幸男さんを起用。国対委員長には樽床伸二さん、政調会長には玄葉光一郎さんが就きました。

 第22回参院選が直前に迫っていますが、選挙は、枝野幹事長と安住淳選対委員長、選挙も含めた党財政は枝野幹事長と小宮山洋子財務委員長が2人3脚を組むことになりました。

 両院議員総会が開かれた「憲政記念館」は衆院事務局が管理しており、連続当選25回、「憲政の神様」とよばれた尾崎行雄さんを記念した建物です。枝野幸男さんの「ゆきお」の名前は尾崎行雄にちなんでいるそうです。枝野さんは栃木県出身でお父さんは、当地の渡辺美智雄元副総理の後援会長をしていたそうですが、東北新幹線開業でターミナルとして飛躍的にまちの地位が向上した、大宮(埼玉県さいたま市)に出て、日本新党から初当選しました。埼玉県は長年、「政権政党の政治家不毛の県」とされており、連続当選10回以上の自民党議員がたくさんいたのですが、ほとんどが名誉職さながらに1回だけ大臣をやって引退していきました。大宮という新しい町で、日本新党1期生として政界に飛び込んだ歴史観が46歳での政権与党幹事長就任につながりました。尾崎行雄も第1回総選挙に立候補し、それから連続当選25回を果たしたから文相、法相、そして「憲政の神様」の異名と衆議院名誉議員の称号を得たのでしょう。枝野さんはその名にちなんだ憲政記念館で、激動の2010年に46歳、つまり小沢一郎さんより1歳若いというのがみそなのですが、政権与党幹事長になりました。

 ただ、記者会見に行ってみましたが、枝野さん、相当なプレッシャーのようです。菅直人さんというのはそういう面では心配はないのですが。樽床国対委員長は、通常国会最終盤での突然の登板、玄葉政調会長は、政調復活というか与党政調を一から作るということで、3人ともプレッシャーがあるようです。この3人がこれだけのプレッシャーなのは、3人が弱いのではなく、国難だからだと思います。ぜひ参院選に勝って欲しいと感じました。

 午後6時からの記者会見。

 枝野幹事長は、「不安でいっぱい」という冒頭発言から弁じました。そのうえで、「これまでは行政刷新相として内閣の中で行政の透明化をしてきたが、これからは、

 党の透明化を進めていきたい

 」との抱負、というか公約と言った方がいいでしょうが、述べました。

 そのうえで、党本部資金の透明化について、

 「かなり遅れて政治資金収支報告書が公開される」ことを問題だとして、「技術的に可能ならば(1年間の)中間段階でも発信していきたい」としました。

 また静岡県連など4件とされる、参院選対策の資金を小沢執行部が振り込まれていないことに関して、幹事長に就任したばかりで、「全部把握していない」としながらも、「

 各県に均等に分配されていないのならば、速やかに支払います」と宣言しました。

【追記 2010-6-7 22時】

 枝野幹事長は、テレ朝「報道ステーション」に出演し、選挙情勢の世論調査情報について、「さすがに相手にまでオープンにできない」としながら、「こういう調査だったと選挙後に公開するという手もある」とし、選挙後の公開を検討する考えを示しました。私も長年、情報公開に興味を持ってきましたが、この枝野発言には目から鱗が落ちる思いです。ホントウに発想が違います。これも含めて、隠し事のないニッポンへ、枝野幹事長のディスクロージャー路線に期待します。【追記おわり】

 樽床伸二・新国対委員長は、小沢執行部が新人議員143人を10の班に分けて管理してきたことについて、「私自身も初当選のときにどこに何の部屋があるのか、委員会とか理事会とかの動かし方も分からない」「どんな立派な経歴の人でも分からないですよ」「地方議会出身でも分からない」とし、研修という意味で必要だったとの認識を示しました。

 「あれから8ヶ月経っている」として、今通常国会は残り少ないのでこのままにして、9月の臨時国会を前に、「新人議員の“経験”(能力?)を踏まえて、変えていきます」とし、臨時国会で見なす考えを示しました。

 玄葉光一郎・新政調会長は、「政策部門での全員参加のキャプテン役になる」と宣言。そして、「政調復活」といっても、実際には、与党としての政調を一から作り上げ、さらに政府・与党一元化という「政党史上初めての試みを成功させたい」と、抱負を述べましたが、緊張感は隠せませんでした。

 副大臣主催の政策会議、国対主催の質問研究会については、「シンプルにしていきたい」として、政調の下に一元化していく方向で、今後検討を進めていくことにしました。また、野党・民主党本部政調会職員の多くが、内閣官房専門調査員として政府に送り込まれいますが、党政調を動かしていく上で、人材として活用する方向性を示しました。

 そして「この8ヶ月間に何があったかというと、各議員が地元で国民の声を吸い上げたのに、意思決定の中で反映できない」というストレスがあったとの認識を示し、また各大臣からは、「時間の余裕がなくて、市民、国民のアイディアを聞く時間がない」との悩みを、複数、聞いていたことを明らかにしました。



 与党政調ということで、「族議員と専門議員は違う」として、民主党政調は専門議員を育てていくとの気構えを示し、幹事長室への陳情システムと政調とのしくみについても調整していくことになりました。ただし、具体的な作り方にはついては、時間がかかりそうです。

 政調会長として、「参院選はマニフェストを見直すチャンスだ」として、衆院選マニフェストと参院選マニフェストとの差異化にも取り組んでいきたいとしました。一元化の考え方は、かつて鹿野道彦座長・玄葉事務局長でつくった「政権運営委員会」が元々のひな形になっているとの自負を示しながらも、モデルとなる英国と違い、日本では政党組織だけでなく個人後援会の力などで国会議員が作られているので、「1年生議員も含めた全員参加の政策調査会が必要」としました。

 また官房長官は各省庁の調整、政調会長は内閣と与党の調整をするという役割分担をすることが、既に仙谷由人・官房長官=内定=と話し合ったことを披露しました。

 ところで、枝野・樽床・玄葉の3人は全員、第40回総選挙初当選組。つまり、細川内閣発足につながるあの熱い夏に、非・自民党公認で初当選した人です。どんな世の中でも、歴史の流れを読める人は出世するなあ、と思いました。勇気と努力が必要であることは、あえて付け加える必要もないと思いますが。

 やっと再スタート。恒三さんからは「新生民主党の始まり」だと表現しました。というわけで、今まで私の中での勝手なテーマソング、ミスチルのHANABIを、菅民主党のテーマソングにしたいと思います。♪もう一回、もう一回~は、もう一回与党にという意味でしたが、今回はもちろん、もう一回、志の原点に戻ろうという意味です。


Mr.Children HANABI [LIVE] 歌詞有