鳩山由紀夫前首相が、11日放送のBS朝日の田原総一郎さんの番組「激論クロスファイア」で、昨年12月に、普天間問題の決着期限を「5月末」と言明した理由を「沖縄も米国も1年(待つのは)は無理だから、その半分で5月末と言った」と述べました。
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力が抜けそうです。
疲れがドッと出てくる告白。
何でこんなに振り回されてしまう結果になったのでしょうか。マスコミにも問題があるかもしれませんが、そこは最高権力者の発言である以上、その流れに逆らって報じることはムリでしょう。
ワシントンでも「Why May?(何で5月なんだ)」と謎をよんでいたようです。
ヒジョーに日本のムラ社会にありがちな話で、「殿」を諫められる人が内閣や官邸にいなかったのが、とても残念です。
やはり政権与党には、例えば、渡部恒三さんとか、河村たかしさんのような「KY」に思える人の存在が必要だと感じます。昨年12月だと、藤井裕久さんも閣僚を辞めてしまったし、連立パートナーの社民党党首ということは、事実上、他の閣僚よりも格が上ですから、総理側近ともっと話し合って、コトを進めて欲しかったです。
今回の菅内閣では、官邸という同じオフィスビルの中に、仙谷由人官房長官らがいる布陣なので、その面では反省は活かされていると思います。できれば、仙谷さんが菅さんより1歳上でなく、10歳くらい上だったらもっと良かったと思うのですが、菅さんも一人で突撃してしまう癖があると思うので、しっかり殿を諫める時は諫めて欲しいと思います。
普天間期限、「半年短かった」と鳩山前首相 大ざっぱな判断 - MSN産経ニュース
鳩山由紀夫前首相は11日、テレビ朝日のBS番組収録で、辞任の要因となった米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)移設問題で、決着期限を5月末としたことについて「今考えれば半年は短かった」と後悔まじりで振り返った。
鳩山氏が期限を切ったのは昨年12月。「5月末」とした理由に関しては「どこまで延ばせるか考えた。沖縄も米国も1年(待つのは)は無理だから、その半分で5月末と言った」と、極めて大ざっぱな判断だったことを明らかにした。
移設候補地は当初、米領グアムが最適と考えていたが、「抑止力も必要」として鹿児島県の奄美大島や徳之島を模索。「徳之島に狙いを定めた時期もあった」と明かした上で、4月ごろから沖縄県名護市辺野古にしかないとあきらめたとした。
米側の姿勢については「最後は辺野古と踏んでいた。非常に固かった」と指摘。「外務省や防衛省も『最後はここしかない』との思いがあった」と指摘した。