ニュースサイト宮崎信行の国会傍聴記

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が衆参両院と提出予定法案を網羅して書いています。業界内で圧倒的ナンバー1。

年度末解散ねらい? 自公が”岡田克也筆頭理事包囲網” 宿敵・石破茂さん、「弟」高木陽介さん

2011年10月26日 20時17分24秒 | 岡田克也、旅の途中

【公明党が衆院予算委に武闘派議員を配置して来年通常国会の3党合意反故、解散前倒しも視野か?】

 公明党は第179臨時国会で、衆院予算委員会の理事を富田茂之(比例単独南関東、党千葉県本部代表)さんから高木陽介・党幹事長代理(比例単独東京ブロック1位)に交代させました。富田さんは高木さんにかわり、国交委理事に回ります。

 次の予算委員会(おそらく10月28日夕刻か?)の冒頭で、中井洽委員長(民主党、三重1区)の発議により、理事に選任される運びだと思います。

 もう1議席の公明党予算委員には、ベテランの元公明党国対委員長で北九州の東順治(ひがし・じゅんじ)さんを新しく起用しました。東さんは、民主党が岡田克也代表だったころは、ずっと公明党国対委員長だった人です。富田さんは財務副大臣を終え、党に戻った2008年秋の第168臨時国会から、政権交代をはさんで4年間・11国会(うち通常国会=本予算審議は4回)務めてきました。公明党が予算委理事を交代させるのは、下野後初めてになります。
 これについて、同党の漆原良夫・国会対策委員長(比例単独北陸信越)は2011年10月25日、当ブログの独自単独取材に対して「総合的な人事配置だ」と述べながらも、「他党とのバランスをまったく考えていないわけではない」と語りました。

 漆原さんは、第178臨時国会から民主党が岡田克也筆頭理事、第179臨時国会から自民党が石破茂筆頭理事を配置したことから、国対副委員長や党広報の屋台骨を背負ってきた高木さんを理事、東副代表を委員にする「武闘派路線」に切り替えたことを否定しませんでした。

 このため、3党合意や3党協議の枠組みを維持しながらも、来年の年度末前後にかけて、予算関連法案が各々、付託される財金委、総務委、あるいは厚労委(年金制度など)、国交委(津波対策など)、郵政改革特別委員会(郵政改革関連法案)などと連動しながら、場合によっては、1年程度の解散前倒しの確約を取り付けた上で、平成24年度の特例公債法案などの成立に応じるというシナリオもあり得るということになってきそうです。

 富田さんは国交委理事に回り、きょう(10月26日)初めて質問に立ち、「1993年の初当選以来、国交委に所属するのは初めてです」と述べましたが、ちょっと元気がないようにも感じられました。野田佳彦首相とは、「新進党千葉県連仲間」の富田元財務副大臣ですが、私が9月26日付エントリーで、「民主党と公明党が蜜月新時代か? 野田首相と富田理事が散会後に長話 衆・予算委」を書いたせいで外されたのでなければいいのですが。これについて、別の公明党議員は「おそらく総理が千葉選出であることは、まず関係ないだろう。そもそも4年間理事を務めるのは我が党では長い」と語りました。

【コワモテの高木さんもホントウは岡田さんの背中を見ながら歩いてきた?】

 高木さんは、2009年の真夏、第45回衆院選のさいちゅう、選挙区で苦戦していた当時の公明党幹事長のかわりに、東京のテレビ局で肩書きで出演しました。このなかで、高木さんは自民党の細田博之幹事長(当時)とタッグを組んで、民主党の政策を激しく攻撃しました。そうすると、民主党の岡田克也幹事長(当時)が、ディベートで、「高木さんに聞きますけど、初当選はいつでしたっけ?」と質問。これに対して高木さんは「1993年(第40回衆院選)初当選(なので第39回初当選の)岡田さんの1個下(いっこした)です」と人差し指で「1」の字をつくりながら破顔万笑でギャル言葉を交えながら、答えました。そうすると、岡田さんは表情を変えずに、「なら分かると思いますけど、同じ党にいましたよね」と言われ、高木さんは「はい、新進党にいました」と小声で答えました。この後、高木さんはいつも通りのふてぶてしい顔に戻りました。しかし、「1個下(いっこした)」ととっさに答えたことで、長年、岡田さんの背中を見ながら、あるいは高木さんは与党10年ですから、そのころは横顔を見ながら、政治生活を歩んできたことが浮き彫りになってしまいました。

【中井予算委員長「原理主義の岡田克也と原則主義の石破茂の対決だ!」と興奮】

 中井洽・衆院予算委員長は25日昼に国会内で開かれた民社協会国会議員団会議に出席し、この後同委員会の理事懇談会が開かれるとし、「原理主義の岡田克也と、原則主義の石破茂の対決だ」と興奮気味に語りました。

  ちなみに続投の中井委員長、ことしの本予算審議では、野党側筆頭理事だった元自民党幹事長から、おそらく物理的な力を加えられたのではないかと思われる場面がありましたが、まったくそのことを不問にして審議を続けるという場面がありました。中井委員長の裁きも解散時期を左右することになりそうです。
 岡田さんは『政権交代』の118ページに次のように記しています。

 

[引用はじめ]

 今度こそ、政権を担い得る新党をつくるーー。そういう気概をもって新進党を結党したはずだが、「与党」を居場所とする議員たちには、野党で苦労するのがムダに思えるのだろう。政権党に戻ったほうが選挙も楽だし、ポストにも就ける。離党者続出の中で、自分の政治生命だけを考えて行動する、突然自民党に戻る政治家もめずらしくなかった。そうした人間としての弱さ、一貫性のなさ、無責任さをなじりたい気持ちもある。しかし、支持者や選挙区など、それぞれの事情があるのだろう。煩悶しつつ復党の決断を下さざるを得なかった人もいるはずだ。だから、断罪する気にはなれない。

 ただし、誰がどういう行動をとったかは忘れまいと思う。こうした、ある意味での極限状態に直面したとき、一人の人間がとる行動は繰り返されるものだ。これまで二十年近く政界に身を置いて経験に照らしてみると、一人の人間は同じような行動を繰り返すことがわかる。一度裏切った者は、二度裏切る。ぎりぎりの状況では本質を隠しおおせないのだ。それを理解さえすれば、批判する必要はない。


[引用おわり]

 次は朝日新聞の14年前の記事です。


[朝日新聞のデータベースから引用はじめ]

石破茂氏が自民復党へ 常田享詳氏は新進離党濃厚 /鳥取
1997.03.13 大阪地方版/鳥取 0頁 鳥取 (全684字)  
 
 衆院小選挙区の鳥取一区から選出された石破茂議員(四〇)=無所属=が、近く所属会派「21世紀」を離れ、自民党に復党する意思を示していることが十二日、明らかになった。今月中にも正式に決定する意向で、一九九三年十二月の離党以来、三年三カ月ぶりに自民党籍に戻る。また、石破議員の復党に伴い、常田享詳・参院議員は新進党を離党する可能性が高くなった。

 石破議員は昨年十月の衆院選直前に新進党を離党し、無所属で出馬、当選した。その後は会派21世紀の結成に参加。首相指名で橋本龍太郎首相に投票するなど、これまでも自民党に同調する姿勢を見せていた。

 復党について、石破議員は「まだ正式に決めたわけではない」と前置きしたうえで「現在の政治状況を見れば、今の会派で頑張るのか、自民に復党するかの二者択一しかない。議員は政策の実現が一番の仕事だが、無所属のままでは一方的に主張を述べるばかりだ。まだ、公共事業などが必要な県のためには与党にいることが必要だし、私の主張を自民党内で訴えることができるならば、と考えている」と説明した。

 自民党側は衆院選前から復党の要請を続けてきたが、石破議員が考え始めたのは「21世紀の政党化が難しいことがはっきりした二月初めごろ」という。今後は、後援会などの支持者に説明し、理解が得られた段階で復党を届け出る。

 また、新進党県連会長の常田議員は「石破氏と私の盟友関係から考えて、二人が与野党に別れるわけにはいかない」と言い、石破議員が自民党に戻れば、新進党を離党する考えを明らかにした。党派については「無所属か自民党の二通りだが、今はまだ決める段階ではない」と話した。

[引用おわり]

 「公共事業などが必要な県のためには与党にいることが必要だし、私の主張を自民党内で訴えることができるならば、と考えている」と述べて自民党に復党した石破さん。ちなみに石破さんは議員立法のプロのような印象がありますが、衆院法制局がまとめた『衆議院における議員立法の記録 第1回国会から第170国会』によると、石破さんは意外なことに法案の筆頭発議者になったのは、「海洋構築物などにかかる安全水域の設定などに関する法案」(第164国会衆法24号)だけなんですね。政調会長時代は予算の撤回の上編成替えを求める動議(組み替え動議)は出していましたが。それに石破さんは、防衛大臣や農相をやりましたが、具体的実績って何なんでしょうか。岡田さんは、「政権交代ある政治を定着させるために、第45回衆院選で野党・民主党を過半数獲得に導いた幹事長」という大実績があります。

 石破さんは、自民党総裁選に「額賀派(平成研究会)」から推薦人20人で出馬し25票獲得に終わりましたが、その額賀派を退会したと報じられています。

 ちなみに野田佳彦首相は、石破さん(第38回初当選)よりも初当選は「2個下」の第40回衆院選初当選で、野田さんは落選経験があるので、当選回数は3回下、勤続年数は11年も短く、さらに年齢は3ヶ月下です。石破さんは野田総理との初めての予算委員会で、次のように話しました。

 「総理、連日、本当に御苦労さまであります。立場は違いますが、総理という仕事がいかに重圧に耐えねばならないものか、本当に命を削るような仕事であることは、私も何度か閣内にいて総理を近くで見て、よくわかっておるつもりであります。しかし、総理が任命される、陛下の認証を仰ぐ閣僚と違って、総理は、みずから日本国総理大臣になりたいということで代表選に立候補され、勝利をされ、今日の地位を得られた方であります。泣き言は言ってはなりません。そして、逃げてもなりません。総理と私は同じ昭和三十二年生まれであります。私が二月、総理が五月、同じ時代を生きてきました。ケネディの暗殺も初めての衛星中継で見ました。そしてまた、ロッキード事件も見てきました。同じものを見、いろいろな思いを持ってきました。民主党の総理であり、私は自由民主党の政策をお預かりする立場です。立場は違いますが、同じ時代を生きる者として、次の時代に何を残すか、日本国のために何をするか、その責任は共有したい、私はそのように思っております」

 責任を共有するのもいいですが、石破さんは新進党に残っていれば今頃総理だったかもね。

 それはそうと、岡田さんと石破さんの不仲は決定的で、理事同士の協議は難航することが予想されます。衆議院の理事会は非公開なので分かりませんが、来年2月にかけて、石破筆頭理事が「政府統一見解を出せ」などと要求し、岡田筆頭理事が態度を保留すると、石破さんがひたすらまくし立てて、理事会が紛糾する場面が出てくるような気がします。もちろん、岡田さんが土俵際でうっちゃり、石破さんを自分の勢いで砂かぶりにつっこませ、岡田さんと高木さんが土俵に残るのが理想です。ただ、公明党が「だらしない小沢付き民主党」にくっついてもメリットが少ない。さらに、関連法案を扱う委員会では、民主党の筆頭理事が2回生という委員会もあり、不安定要素はあります。まあ、岡田さんに任せましょう。

 現在、参議院は理事会は扉を開けっ放しでやっており、国会内ケーブルテレビで中継しています。(インターネット中継はなし)。一方、衆議院は理事会は非公開で、国会内での生中継もありません。ですから、理事会は私も取材は難しく、仮に理事室周辺で取材しても、そのころには委員会が開会していますから、ぜひ新聞、テレビのみなさんにご健闘いただきたく存じます。また各理事も、ブログ、ツイッターを、党利党略でいいですから、情報を発信して欲しいと考えます。ただ、民主党の武正公一・予算委次席理事(兼)郵政改革特別委筆頭理事は苦労するかなという感じがします。埼玉1区は、自民党の河村建夫・選対局長がいい支部長を擁立しているので、正念場だと考えます、どうかよろしくお願いします。
 ところで、アクセス解析をみていると、平日に岡田さんのことを書くと、その日のうちはアクセス数はあまり高くないんですね。当ブログは国会内視聴率が高いので、あまり民主党現職議員や秘書は岡田さんのことを読みたくないのでしょう。ところが、土日になると、岡田さんのエントリーが跳ね上がる。やはり社会で働き、世界や海外が見えている人は、岡田さんを支持しているのだと感じます。みなさん頑張りましょうね。


 政権交代ある政治の定着のために、当ブログは、これからも、まっすぐにひたむきに、岡田克也さんを100%支持し、その背中を追いかけていきます。

 一度裏切る者は二度裏切る。

 政治がややこしくなり、デモクラシー(民主政治)の前提であるプロセス(政策の決定過程)の透明化(情報公開や分かりやすさ)の障害となります。テレビでの弁舌のさわやかさにだまされてはいけません。民主党と公明党の総力を結集して、新進党の裏切り者、年下総理をねたむ石破茂(氏)を倒しましょう!政治を国民の手に取り戻すために。

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