ニュースサイト宮崎信行の国会傍聴記

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が衆参両院と提出予定法案を網羅して書いています。業界内で圧倒的ナンバー1。

谷垣禎一影の首相 「主権者たる国民」自民党総裁として初めて?使う 衆本で代表質問

2011年10月31日 17時47分18秒 | 第179臨時国会(2011年10月)議員立法

[画像]谷垣禎一影の首相、衆議院インターネット審議中継からキャプチャ。

【2011年10月31日(月) 野田首相の所信表明と安住財務大臣の3次補正提出にあたっての財政演説に対する代表質問】

 自民党総裁の谷垣禎一影の首相が代表質問の中で「主権者たる国民」という言葉を使いました。

 日本国憲法前文の最初の文は、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、(略)ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」とあります。天皇陛下は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、主権者は総理でも、その他三権の長や「先生」ではなく、私たち日本国民ということになります。この「国民」が全体で一つなのか、一人一人なのかは意見が分かれるところでしょう。

 私がこのブログを始めた2007年夏以降、政権交代をめざし、「主権者は国民だ」と主張し、50年を越えた自民党政権から、民主党政権へと政権交代させるべきだとしました。安倍晋三首相の時代です。なお、様々な政治ブログがあり、政権交代を訴えていましたが、政権交代による二大政党制のスタート、すなわち民主党が勝って、そのうち負けて自民党政権に帰るべきだと主張していたのは当ブログだけです。

 ただ、当ブログでは「主権者」という表現をあるときからやめました。それは小沢一郎(氏)が積極的に使い、”小沢信者”とも揶揄される人々が使い始めたことから、一定の距離を置くべきだと考えたからです。

 で、この「主権者」という言葉や、「主権者たる国民」という言葉。

 実際、前の国会で、参院本会議で木曜会(参院小沢グループ)の谷岡郁子さんが使っていました。

 ただ、もっと遡って、衆院本会議を中心に検索したところ、どうやら自民党総裁(影の首相・首相とも)が使ったのは初めてのようです。

 まず昭和から平成にかけては、やはり日本共産党や日本社会党など「権利を主張する政党」が使っており、共産党党首だった不破哲三さんのほか、後に首相となった社会党の村山富市さん、同じく首相となった社民連の菅直人さんのほか、公明党の浅井美幸(あさいよしゆき)さん、野党時代の新自由クラブの山口敏夫さんらが使っています。そして、自民党の与党時代では、衆院本会議では玉澤徳一郎さんが使っていますが、これは議員としての発言で、閣僚時代ではありません。そして、このブログがスタートする直前の第166通常国会で、日本国憲法改正の手続き法である国民投票法の「野党対案」を審議した平成19年4月13日の本会議で、枝野幸男さん、古川元久さんが連続して使っています。そして、自民党の浜田靖一さんなども委員会で使っており、日本国教育基本法案の審議では自民党議員もドンドン「主権者」という言葉を使い出し、伊吹文明さんも幹事長時代に福田康夫総理への質問のシメに使っています。そして、政権交代後の自民党では、最初の代表質問で政権交代ある二大政党政治の到来のファンファーレを高らかに鳴らした西村康稔さん(にしむら・やすとし、兵庫8区、現影の財務相)の「あの夏の悔しさをバネに」の質問演説の中で使ったのが、自民党としては本格的な使い方です。その後、長島忠美さん、額賀福志郎さんが使って、第177通常国会では8月11日の「平成23年度の特例公債法案への賛成討論」で石破茂政調会長が使いました。そして、きょうの谷垣影の首相となりました。やはり谷垣さんは自民党の底力を集約する能力のある総裁だということでしょう。

 「主権者」という言葉を自由主義政党の議員が使うようになったきっかけは、安倍晋三首相が「戦後レジームからの脱却」と名付けた教育基本法、国民投票法などの審議ということになります。これについては、安倍さんは太平洋戦争開戦時の商工大臣で戦時経済体制をつくった岸信介の孫であり、安倍さんが総理大臣になること自体が戦後レジームです。安倍さんがそれから脱却するというのは自己矛盾した話で、安倍政権は参院選で惨敗し短命に終わりました。しかし、安倍首相は答弁の中で、「エヌシー(NC、民主党のネクスト・キャビネット)」という言葉を最初に使ってくれた総理・自民党総裁であり、4年経って、たしかに戦後レジームからの脱却を果たしたことになります。今国会から、憲法審査会が衆院にも、参院にもようやく設置され、社民党も召集日には委員名簿を提出しませんでしたが、数日で提出しました。何とも政治は奥深いものです。

 谷垣さんは代表質問の冒頭で、「民主党になって3代目の首相だ。とはいえ、自民党も小泉総裁で解散してから、3人首相が代わったことも公平に言っておかねばなりません」と述べました。また本予算(案)を3回組んだ財務大臣だった谷垣さん。その当時、野党・民主党議員の衆・予算委での質疑で谷垣財務相は「えー、ご存じの通り、財投債は財投機関債に現在は変わりましたが~~」と答弁していて、おそらく質問者の民主党議員は分かっていないだろうなと思いながら傍聴していました。その谷垣さんがきょうは、第3次補正予算(案)の中の東日本大震災復旧・復興事業費について、例えば(新設された復興債がない)通常なら赤字公債と建設公債がどのくらいか?」と質問しました。このような質問が本会議場でなされたのは私の記憶にはありません。

 また、TPPに参加する場合は、農業自給率の確保のためにも必要な農業者戸別所得補償の拡大について、「価格補償である程度、TPP参加による農業者へのデメリットは補える」との見解を示しました。私は少しホッとしました。

 ことしは震災の影響による調査遅れでずれ込んだ人事院勧告。それと通常国会では審議がまったくされないまま継続審査にはっている「公務員給与改革関連4法案」。先日、連合会長と総理は人勧(引き上げ)の不実施と給与関連法案(引き下げ)の早期成立を約束しました。私はこれはどういうことかまったく分かりませんでした。谷垣影の首相は演説で「人勧不実施の実績をつくることで、よもや人勧(制度)を廃止して、労働協約締結権の確立に向けて動いているのではないか」と指摘しました。私は「へー」と思いました。仮にそれなら、それでもいいような気もしますが、谷垣さんの示唆はありがたい思い。この辺に政権交代ある政治のメリットを見た思いがしました。

 で、上の方にも書いたとおり、やはり谷垣さんというのは、個人商店である自民党議員の、商店街の理事長ということで、力を引き出すことが上手い人で、ベテラン・中堅・若手・支部長の声をうまくすくい取っているんだなと感じます。自民党は確実に変わっています。また、原子力災害などで、自民党政権が長年隠蔽していた驚くべき事実に触れ、情報が表に出てくる政権交代ある政治の重要さを今さらながら知った国民が反省も込めながら、全否定に走らずに、民主党政権を見守り、自民党のこともけっこう見ている。衆参ねじれはなかなか理解できないようですが、参議院という存在への問題意識も芽生え始めている。

 そういう意味では、自民党の情報をしっかりと報道せず、いまだに与党・民主党の幹部や閣僚に番記者を置いている新聞、テレビの政治部がイチバン変わっていないということでしょう。

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公明党幹事長代理の富田茂之さんが一躍“時の人”に 第46回衆院選は単独マニフェスト確実

2011年10月31日 07時57分34秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

 [写真]公明党幹事長代理の富田茂之さん

 ギアチェンジしたからか、季節の変わり目だからか。なんでこんなことに気付かなかったのかということに気付きました。

 菅直人さんって、「平成23年度の特例公債法」成立と引き換えに内閣総辞職したんですよね。昨年7月以降の衆参ねじれとなって迎えた最初の通常国会が第177回国会でした。

 ということは、次の第180通常国会でも、総理は内閣総辞職か、衆議院解散かの二者択一を迫られるということになります。

 なぜこのことに気付かなかったのか、自分で分析してみました。

 ①通常国会冒頭から、民主党幹事長の岡田克也さんは、社民党幹事長の重野安正・衆院議員ら(7議員)と特例公債法案の衆院での3分の2(日本国憲法59条)による再議決をめざしていました。ところが、2月17日に、渡辺浩一郎(氏)や笠原多見子(氏)ら16議員が「自称・新会派」を結成。これにより社民党との協議が吹っ飛んだことの衝撃による空白感がありました。

 ②6月1日に提出された菅内閣不信任案が否決されたことで、菅政権が野党に勝ったという錯覚。これは内閣不信任案は衆院だけのものであり、参院では採決すらされていないので、参院で与党の議席が109議席と過半数に12議席も足りないことを忘れてしまって起きた錯覚です。

 ③8月9日の3党合意による「辞任3条件」で2次補正予算と再生可能エネルギー特別措置法の「2つのおまけ」付きになったことによる錯覚。これは菅さんの精神力の強さによる3ヶ月の粘りと岡田克也幹事長の政局センスと友情(同期当選、元同じ党を大事にし、かつ各党の長老が助けてくれる)により実現したもの。しかし、やはり竹下内閣での消費税法と予算成立と引き換えに総辞職したときと同様に、昨年7月に衆参ねじれになって最初の特例公債法案(平成23年度の特例公債法案)は予想通り、内閣総辞職と引き換えに成立したことに変わりはありません。

 秋ということで、雑事を忘れたら、枝葉がとれてようやく気付きました。

 再来年は衆院任期が8月に迫っているので、野党が特例公債法案を“人質”にとっても、衆院選で勝った側はその勢いでそのまま特例公債法を成立させられるでしょう。

 ということは、次の国会(第180通常国会)で「平成24年度の特例公債法(案)」の成立と引き換えに、内閣は総辞職するか、あるいは衆院解散に応じるでしょう。ここはもう衆院解散した方が民主党は第46回衆院選の地滑り的惨敗からは逃れられる可能性が高まる。民主党と国民新党が衆院過半数を維持できれば、野田内閣は続投できます。もちろん、総選挙で勝てば、野田内閣は続投だし、代表選は無投票再選でしょう。ダメでも、教科書には載るし、再登板の可能性はゼロではありません。野田さんが総理を引き受けたことに男気を覚え、国民として感謝の念を持ちます。あるいは、民主党実力者がそういうサジェスチョンを周囲にしているのかもしれません。

 だから、岡田さんは「政治的資源を使い果たした」「党内に敵をつくりすぎた。私は身の程をわきまえています」「少し休みたいというのが本音です」と言って、代表選に出ず、かつ国会対策にあたる内閣官房長官、特例公債法案の答弁に当たる財務大臣を断ったんでしょう。財務大臣については「断った」のではなく「総理から打診がなかった」として岡田さんは「報道が違う」としていますが、私はそれはあまり大きな問題ではないと考えます。ところで、昨日も日曜日だったので、岡田さん関連のエントリーが平日と違ってグンと伸びました。かなり驚くほどです。おそらく、青年中年サラリーマンの方がアクセスしてくださっているのでしょう。で、岡田さんの小ネタはまた書いてあるのですが、とりあえずきょうは違うエントリーです。 

 自分でブログに書いているにもかかわらずビックリしたというのも何ですが、ことしは公明党の富田茂之さんのことを書くケースが多くて自分でもビックリします。富田さんは先週から、公明党幹事長代理になりました。昨日30日(日)付の朝日新聞4面の「政治考」というコラムでも、編集委員の星浩さんが触れていて、一躍時の人となっています。


[画像]2011年10月30日付朝日新聞4面。

 [星さんのコラムから引用はじめ]

 公明党の富田茂之衆院議員にはこんな「野田佳彦体験」がある。15年ほど前、2人は新進党の千葉県連に所属していた。1996年の総選挙で野田氏は落選、富田氏は当選。千葉市内で毎月開かれる県連の会合で顔を合わせた。
 富田氏が事務局に「落選の身なのだから車代くらい出したら」と頼んだが、資金不足で無理だという。それなら、すしでもごちそうするかと思って、野田氏を誘った。野田氏はしこたまのみ、食べた。「車代の方が安かったかな」と富田氏は苦笑いする。
 2000年の総選挙では富田氏が落選、野田氏は当選。選挙直後、野田氏は国会近くの中華料理店で富田氏を励ました。野田氏は「浪人中に受けた激励は、決して忘れません」と頭を下げた。富田氏は03年の総選挙で復帰。2人の友情は続いている。
 公明党と、その支持母体の創価学会の人たちは、こういう「人情」に弱い。同じ民主党の首相でも、公明党と距離のあった鳩山由紀夫、菅直人両氏とは少し違う。そんな空気が公明党内に漂う。(後略)

[引用終わり]

 現在、野田首相に限らず、地方自治体・地方議会との窓口になる藤村修・官房副長官、川端達夫・総務大臣らはみんな元新進党員です。公明党の声が国政に伝わりやすい態勢になっています。とくに川端さんは新進党を離党し、復党した珍しいパターンです。おそらく川端さんだけではないでしょうか。「悩みながらも新進党(小沢一郎党首)に残った」ということで、それは、創価学会のみなさんと、心情が近いでしょう。

 さて、来年の6月ごろに総選挙があるとすると、自民党と公明党が連立を前提にして衆院選を闘うことは不可能です。なぜなら、参議院は自民党が83議席、公明党が19議席なので、あわせても、102議席しかなく、民主党の106議席に及ばず、政権交代しても、参院第1会派が民主党・新緑風会であることは動きません。第46回衆院選後に他党に連立参加を呼びかけても、みんなの党(11)、たちあがれ日本(3)、新党改革(2)、自民党系無所属(2)を入れても過半数に2議席足りません。あるいは社民党(4)や国民新党(3)を入れても、みんなの党(11)が離脱したとたんに衆参ねじれとなり、みんなの党がキャスティングボートをにぎる政権になります。参院では日本共産党の6議席がポイントになりますが、公明党とは長年の歴史的経緯から、地方組織や支持者の確執は今も根深く、連立や閣外協力は国会議員が決めても、地方議員・支持者が許さないということになるでしょう。また、第23回参院選で、自民党と公明党の2党で過半数を得るには、今の定数では両党で63議席が必要で、第22回参院選よりもさらに4議席の上乗せとなります。これは現行選挙制度では無理でしょう。

 ということは、やはり第46回衆院選では、公明党は自民党と民主党のいずれが衆院過半数や、あるいは比較第1党になってもいいという両にらみが必要となります。仮に今の定数で、民主党が220議席ぐらいをとって比較第1党なら、公明党と組めば、衆院過半数、参院でも過半数(125議席)となり、イチバン政治が安定します。そのうえで、選挙制度改革、国会法改正、さらには、自民党も含めて、憲法改正案を発議(総議員の3分2以上)して参議院のあり方を見直すことも視野に入ってきます。

 一つ言えることは、第46回衆院選で、公明党が単独マニフェストで望むのは確実ということでしょう。また、日本のいしずえとして、細川・羽田内閣を支えた8党派の若手議員の議員連盟である「いしずえ会」(岡田克也事務局長)の会員だった佐藤茂樹さんも、大阪第3区から出馬する予定となっています。この選挙区の国民新党現職は、6月2日の衆院本会議で、内閣不信任案に賛成しています。とはいえ、民主党が候補者を立てても、なかなか厳しいでしょう。民主党は不戦敗という選択肢もあります。ぜひ、富田さんも佐藤さんも党だけではなく、日本のいしずえになってほしいです。

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