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[写真]橋本龍太郎首相(自民党総裁)=首相官邸ウェブサイトから。
あすで、「山一證券自主廃業へ」の日経新聞1面報道から、18年となります。
きょう、国立国会図書館で見つけた資料は、週刊新潮1997年12月11日号の62ページの次の記事=画像下=。
平成9年1997年11月22日(土)、橋本龍太郎首相に「山一證券自主廃業へ」の情報に関して最初に質問した記者に、首相は
「ちょっと待ってくれよ。今、会見を終わって、そんなこと、そんなことなんて言っちゃいけないが、答えられる状況にあったかい」。そして、さらに記者が質問を繰り出そうとする、
「そういう情報を聞いていないと言っているじゃないか」と気色ばむ始末。その後も
「正確な情報が入っていないから答えられない」。
この山一證券自主廃業について、橋本首相に質問を繰り返し、気色ばまれた記者。この記者のその後の行方が気になります。今どうしているのでしょうか。
それは、私です。私・宮崎信行が、当時日経新聞政治部記者だった私なんです。
この問答は、午前3時台だったため、新聞製作上の都合で、あまり新聞縮刷版に載っていません。
このほかにも、私は「正確な情報が入っていないということは、その方向で調整中ということは知っているのか?」「総理は予算委員会や私たちに対して、日本経済のファンダメンタルズは悪くないと、たとえば、ここ3週間ぐらいの日本にとってポジティブとは思えないマーケット状況にあって認識を述べてきたが、その認識には変わりがないと現時点で確認してもいいのか」という質問もしました。
このやり取りは、その後森内閣まで続いた、「ぶら下がり取材」という形式で、首相が首相官邸内、国会内の2か所で、移動中に、廊下で記者が質問。その問答を、記者が記憶をたよって、メモ起こしし、全社が共有するしくみです。なので、ハッキリって、記者が聞いた通りではないのですが、そのテキストは全社まったく共通になっていました。
この「そんなこと、そんなことなんて言っちゃいけないが」の部分を起こした時に、他社からそんなことは2回ですね?と聞かれたことは鮮明に覚えています。
その後も私は、橋本龍太郎首相番をつとめました。民主党担当に異動するさいは、林洋和・首相事務秘書官から「あの子は日経だけに、経済に強いね」と橋本首相が言っていた、とのお言葉ももらいました。
きょう、当時の記事をいろいろと見ましたが、金融システムの危機というのは、ことが起こって数日後になって、ようやく見出しが立つものだな、と感じました。この数か月前から「拓銀、山一社員の夏のボーナスはどうなった?」という特集が組まれていたにもかかわらず。最大野党・新進党は、ひたすら創価学会系議員との内部分裂を煽る記事ばかりで、翌月、小沢一郎党首がキレて、本当に解党してしまいました。これ創価学会系議員が「公明」という固有名詞(政党登録)を持っていたから記事になりやすかったのかも。
安倍晋三首相に対して、記者が委縮しています。ただ、きょう、あらためて振り返ってみて、今は、しょうがないかな、という気もしました。
この日に生まれた赤ちゃんが、あす18歳になります。
持続可能な日本を!
このエントリー記事の本文は以上です。
(C)宮崎信行 Nobuyuki Miyazaki
(http://miyazakinobuyuki.net/)
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