定山渓自然の村 ⇒ 豊平峡ダム
定山渓自然の村を後にした私はいよいよ豊平峡の奥深くに踏み入った。V字峡の谷はいよいよ深く、はるか下方に眺めるだけだった。そしていよいよ豊平峡ダムに近づいた…。
「定山渓自然の村」はかなり大きな敷地に広がっていた。敷地の外側を歩いたのだが、次々といろいろな施設が散在しているようだった。
※ 定山渓自然の村には、こうした施設がいたるとこに建てられていました。
一つ私が肝心なことをレポートしていないことに気付いた。私が豊平川沿いを歩いたのは、ずーっと右岸を歩いていたのである。つまり、私は絶えず右手に豊平渓谷を見ながら歩いていたのだ。(豊平川全体で見ると、河口からずっと私は左岸を歩いた上流を目ざしていたが、河岸の状況から藤野の白川橋あたりから右岸の切り替えている)
したがって、私は豊平川を絶えず右手に見ながら歩いたということである。
※ 自然の村近くの右手に見えた豊平川の流れです。もう川と認めるのが難しくなっていますね。
自然の村を後にしてどれくらい経ったころだったろうか?左手から豊平川に流れ込む谷が現れ前進を阻まれた。しかたなく、左手上方に上がり谷を乗り越えるポイントを探そうと思った。
上の方へ上がっていくと、そこに雪は被っているけれど道路状のところが現れた。半信半疑にそこを進むうちに「ここは豊平峡ダムの建設の際の作業道路ではなかったのか!」との思いに至った。
実際、その道路状の平らな部分はその後も続いた。
しかし、豊平峡谷も奥深く踏み入ったこともあって、積雪が一段と多くなっていた。私のスノーシューは踏み出すごとに私の膝頭近くまで埋めるようになった。
困難なラッセルに私の前進は20歩と続かず、休み休みの前進となった。
そんな前進を続けているときだった。何かがピカッと光った。一瞬たじろいだが、落ち着いて見ると、それはクマなどが通過したときに自動記録する観察装置のようだった。おそらく研究用のものと思われるが、私はクマと間違えられたのだろうか?
※ ヒグマの観察装置かと思われる自動の撮影装置が私を捉えてピカッと光りました。
私が歩いていた作業用道路(?)は現在使われていないのだろう。途中に倒木が往く手を遮っているところが何ヵ所かあった。しかし、それも私の前進を阻めるほどのものではなかった。最終盤に現れた倒木とは違って…。
※ こうした倒木がいたるところで私の前進を困難としました。それでもこれは後半のに比べれば…。
困難なラッセルを続けること1時間20分。周囲に相応しくない表示板が現れた。そのには「定山渓自然の村」と「ダムサイト園地」への案内板だった。私の読みどおり、作業用に利用された道路が遊歩道のような役割をしているようだった。(ただし、現在は崩落などの危険もあり通行禁止の措置がとられているとか…)
※ 私はここから右手の谷に降りて行ったのですが…。案内板から雪の深さを想像してください。
ここで私は一瞬迷った。というのも案内板どおりに進むと、豊平峡ダムの上部にでることになる。しかし、私が目的としたところはダムの下部から見上げてみたいとものだった。その案内板のところから下のほうへ行けそうなところが見えたのだ。
一瞬迷ったが、ダムを目前にして最終目的地を変えるわけにはいかない。私は旧遊歩道を外れ、ダム下部を目ざしてラッセルを続けた。
※ 林間から微かに豊平峡ダムの本体が見えます。私が最初に認めることができたものです。
木の間からダムの姿も確認できるようになってきた。大きな躯体である。私の目線のはるか上にダムの上部が見える。
分岐点から30分も進んだろうか。前にトンネル状の物が見えた。トンネル状の物の横は切り立った崖である。ところがトンネルとなっているところには柵が巡らされており、「この先へ行くことは禁ずる」という旨の表示があった。
管理者の指示を無視するほどの“若さ”も“無謀さ”も持ち合わせてはいなかった。残念ながら指示には従わざるを得ない。私は来たところを分岐点まで引き返した。
※ 左手にトンネルの穴、右手は絶壁です。そしてトンネルの穴の中には…。
※ トンネルの穴の中には柵があって、そこには無情な注意書きが…。
※ その地点から谷あいを流れる豊平川の最後の流れの様子です。
ダムの最も下部から見上げたいという思いは叶わなかったのだから、あとはダム園地を目ざして旧遊歩道のラッセルを続けるだけだった。ところがこれが…。
ダム園地を目ざしてのラッセルは、困難を極めた。上りに加えて、ますます深くなった雪、疲労した私の身体のために2~3歩進んでは一呼吸入れるほどにスピード落ちた。幸い時計はまだ13時30分を回ったあたりで時間的な焦りがなかった。
※ 旧遊歩道に戻り、この日最も豊平峡ダムが見えた地点からの一枚です。
そしてこの日最大のピンチが訪れた!
なあ~んと、遊歩道を覆い尽くすように大木が倒れていたのだ。おそらくエゾ松ではと思われるのだが、枝が密生していて潜り抜けることはできそうもなかった。そして迂回しようにも左手は崖が切り立ち、右手は鋭く崖が切り落ちている。
高さ3メートルになろうかという倒木を乗り越えるしかない。しかし、私の見方では雪を被って大きく見えるが、それらのほとんどは松の枝と思われた。そんなところで足を踏み外したら…、そう思うと足が震えた。
おそる、おそる…。手足を使い、慎重に、慎重に…。時間も相当にかかったのではないか。なんとかクリアすることができた。
※ 痛恨のミスです。どれだけ困難な倒木だったか、写真に収めるのを忘れました。どう乗り越えるか、そのことだけで必死だったのですね。
※ 旧遊歩道の途中にあったトンネルですが、ここももちろん通過しました。
その後も深雪ラッセルは続いた。谷を大きく迂回するような旧遊歩道はなかなか前に進んでくれない。
分岐のところからラッセルすること50分、14時20分に旧遊歩道が繋がる冷水トンネルの入口に着いた。
そこからダムの上部のところまでは500m程度だったが、私にはもう目的を達成したとの思いがあったので、そこからダムへは向かわず、スノーシューを脱いだ。
そこからは約6キロの道路を、車を駐車した定山渓の駐車帯まで歩いて引き返したのだった。駐車場に着いたとき、時計は15時35分を指していた。
※ 冷水トンネルの袂、今日のスノーシートレッキングを終了しました。
※ かなり長く追われた冷水トンネル内です。
こうして私の長い長い「冬の豊平川河畔を遡る」旅は終結を迎えたのだが、特に今年に入って取り組んだ定山渓大橋から豊平峡ダムに至るルートは私の想像をはるかに超える困難なものとなった。№18に「私は豊平川峡谷を甘く見ていたようだ」と記したが、まさにその通りだった。
私のスノーシューに取り組む趣旨はもっともっと楽しいもの、と考えている。ただ、今回は一度取り組み始めたものを途中で投げ出したくはない、という思いが私は最終ゴール地点まで導いてくれた。
※ ウェブ上から拝借した写真です。私はこの角度から豊平峡ダムを見たいと思ったのですが…。
今回の豊平川遡行を、私は「冬の石狩川河岸を遡る」ためのトレーニングと位置づけていたが、トレーニングどころではなかった。石狩川よりはるかに難しく、過酷だった。石狩川はこれまでの経験から、豊平川のように難しくはないと思っている。問題は距離だけである。 体力をつけるということに関して今回は多少のトレーニングにはなったかな、と思っている。
さて、石狩川を何時にしょうか?思案中である。1月中は雪面が柔らかすぎて、スノーシューが埋まるため難しいかな?と考えているのだが…。
※ 同じくウェブ上の写真ですが、私は写真の右手に見える岩盤のところあたりまで辿り着いたと思われます。