恋しかるべき~、夜半(よわ)の月かな~♪、私はおよそ半世紀ぶりに声を上げたのだった。「めだかの学校」では恒例の小倉百人一首の会が行われ、私はほんと~に久しぶりに読み手を務めてみたのだった。
本来なら、昨日の「冬の石狩川河岸を遡る」№9のレポートをすべきなのだが、本日は午後から深夜まででかける用件があり、石狩川レポは後日に回すことにした。
そこで先日(1月25日)に参加した「めだかの学校」の百人一首の会についてレポすることにした。
小倉百人一首を実施する際、「めだかの学校」式と称しているのは、百人一首を行う場を昨年から取札をテーブル上に並べて取る方法に変更したことによる。
従来は畳の部屋で行っていたのだが、シニア年代には正座が厳しいために、立位のまま競技できるテーブル上で取る方法にルールを改めたことによるのだ。
しかし、この方式もなかなか運動量を必要とする。昨年、私は取り手として参加したのだが、札を読みあげるごとに中腰となって緊張することを繰り返すために、2回の対戦で相当に疲労したことを記憶している。
今回の参加者は24~5名であった。
私は今回、正式の読み手の方から、読み手補助の依頼を受け、読み手として参加した。
百位人一首の読み手など、小学生時代に友人宅を巡りながら百人一首に盛んに興じて以来のことである。
※ 正式な読み手の方は豆絞りを頭に巻き、気合が入っていた。
私は二回戦を担当した。小学生時代を思い出しながら、取り手に迷惑を掛けぬようにと必死になって読み上げた。冷や汗をかきながらもなんとか読み終えることができた。
正式な読み手の方は道南出身の方のようである。私は道東出身。二人の間には読み方に若干の違いが出ていた。おそらく、百人一首が道南から、徐々に道東方面へ伝わるうちにその調子にも微妙な変化ができた証のように思われ、面白い現象だなぁ、と思ったものである。
テーブル上での百人一首というのは、なかなかのアイデアだと私は思う。
参加者からも好評だった。それでも予選を入れて都合3回の対戦をこなした参加者はけっこうな疲労を感じていたようだが、皆さん心地よい疲労感をお土産に帰途に就いたようだった。