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いしかり市民カレッジ「アイヌの側から見た北海道150年」№2

2018-06-07 21:25:31 | 講演・講義・フォーラム等

 アイヌの末裔である講師の北原氏は、アイヌの苦難の歴史を声高に語ることはなかった。しかし、アイヌ民族が育んできた言語や文化を、現代日本の中で再び光を当て、アイヌ文化を育んでいくために力を注ぎたいと語った。 

 本日(6月7日)、標記講座の第2講が開催されたので、昨日に続いて№2としてレポすることにする。
 第2講は「受け継がれてきたアイヌ文化」と題して、北大のアイヌ・先住民研究センターの北原次郎太准教授が講師を務めた。
 北原氏は前述したようにアイヌの末裔として、自らのアイデンティティに目覚め、アイヌ研究者を目ざしたということだ。北原氏には、「次郎太」という父母に付けてもらった名前とともに、アイヌ名である「モコットゥナシ」というアイヌ名があるという。この名は、北原氏が27歳の時に恩師から付けていただいた名前だという。
           
            
 北原氏の話は、近代以前のアイヌ民族の居住地のことから始まった。
それによると、アイヌ民族は大きく、北東北、北海道、千島、樺太南部に居住していたという。そこで営まれていた生活は環境や気候の違いもあり、地方によりさまざまな違いがあったそうだ。
 例えば、アイヌ民族の祭具の一つである「イナウ」(一本の小枝などから薄く木肌を削って様々な形を作る)一つとっても、地方により形は様々だったようだ。
 北原氏はこの「イナウ」についてのかなり深く研究されているようだが、細かな点についての言及は私の理解の範疇を越えていた。
                    
 続いての話は「言葉」に関することだった。
 言葉も同じアイヌ語といっても地方によって違ってくるとのことだった。これはある種「言葉」の宿命かもしれないが、仲間同士で使っているうちに変化してきて、それが方言という形になってしまったのかもしれない。
 例えば、「みなさん元気でしたか?」という意味の言葉を、石狩地方では「メテㇰノ エㇱオカイ ヤ?」と発音し、沙流地方では「イワンケノ エチオカ ヤ?」と発音したそうだ。
 なお、アイヌ語独特の表記で、「ㇰ」とか、「ㇱ」は小さな字で表記している。これは日本語が全て母音に通じているのに対して、アイヌ語は母音とならない発音のために表記を工夫しているそうだ。

 その他にも北原氏はアイヌの文化のさまざまな面について紹介されたが、興味深かったのが、アイヌの中で行われていた「チャランケ」という風習である。「チャランケ」とは「論争」のことだそうだ。相手と争いごとが起こったときなどに、立ち合いを付けて論争をするそうだ。その論争は、互いに向かい合って、節をつけ、色々と故事来歴を引いて論じ、相手も反論する中、言葉が一つ違っていただけで負けになるという、いわばゲーム的な要素をもったもので争いごとを解決していたというアイヌの知恵のようなものだろうか?
                      

 北原氏は言う。アイヌの文化を以前あったままの形に戻すということは現実的な話ではない。しかし、営々と続いてきたアイヌの文化を現代日本の中で確かに引き継いでいく形にしたいと…。
 そうした動きに一つとして、平取地方の公共バスの車内案内にアイヌ語が取り入れられたというニュースを最後に北原氏は伝えてくれた。

 その話を聞いて思い出したことがあった。以前、私がニューシーランドを旅した時に、テレビをつけるとあるチャンネルが先住民族のマオリ語一色で放送されていたチャンネルがあった。
 今の時代、大きな資本がなくともテレビ局を開設することは可能なのではないだろうか?アイヌ語放送のチャンネルがあってもいいような気がするのだが…。