田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

さっぽろの古を訪ねて 第3弾

2018-06-27 22:52:55 | 「めだかの学校」関連

 私が参加する「めだかの学校」野外講座はその後も順調に講座を重ねている。第2回は大友亀太郎の足跡を、第3回は島義勇の足跡を辿った。どちらも参加者からは好評をいただいたようである。

 

 6月25日(月)午後、第3回目の「めだかの学校」野外講座「さっぽろの古を訪ねて」を行った。この回のテーマは「大友堀の現在(いま)を訪ねよう!」と題して、創成川沿いに立つ、史跡や碑などを巡って歩いた。

 

 この日は、札幌市役所を集合場所とし、市役所ロビーに展示されている「島義勇」像を見物することから始まった。

 島義勇は「北海道開拓の父」と呼ばれ、当時無人の原野だった札幌を「五州第一の都」(世界一の都)を造るという壮大な夢を描き、まちづくりに着手した初代開拓使判官として知られている。ところが赴任半年も経たないうちに上司である開拓長官:東久世通禧と衝突し、解任されてしまう。

             

             ※ 札幌市役所内に立っている島義勇像です。外部から光が入るので、いつも逆光状態です。

 しかし、島の後を継いだ岩村通俊や後の開拓長官:黒田清隆らの尽力により、島の構想が着実に実現していくことによって島の功績が認められるようになった。

 そうしたことから島の像は、札幌市役所と、北海道神宮と2ヵ所に建てられている。

 

 「島義勇」像を見た後、私たちは島が札幌都心部の東西南北の基準とした「創成橋」へ移った。創成橋は当初、1869(明治2)年には島が丸太を並べて板を敷いただけのものだったが、1871(明治4)年になって本格的な木橋が造られ「創成橋」と呼ばれるようになったようである。

 そして1910(明治43)年には、アーチ型で橋の欄干に擬宝珠の付いた石橋が架けられた

そうだ。現在の創成橋はそのときの橋を複製したものである。

 

 創成橋の袂には、「札幌建設の地」碑、「北海道里程元標」、「大友亀太郎」像などを見学した。

 その後、近くにある「開拓使本陣跡(クラーク博士居宅跡)」も確認した。

              

             ※ 創成橋の袂にある「北海道里程元標」を見る参加者たちです。

 また、テーマとは直接の関りはないが、創成川が親水公園となっていることから、川の流量を調節する「分水施設」と「吐口工」の位置も確認した。

 

 今回はまた、札幌市商工会議所が管掌する「観光ボランティアガイド」の方に説明をお願いしたことによって、参加者の理解度がより深められたと思われる。

 その上、この回の担当者だった会員のS氏がテーマに関わって大量の資料を用意し、綿密に準備を進めてくれた。このことも参加者からは好意的に受け止められている。

 

 私たちが主催する野外講座も全体の半分を終えた。

 9月まで残り3回である。できるかぎりのホスピタリティで講座受講者に満足してもらえる講座運営に努めていきたいと思っている。