田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

メディア・リテラシーを学ぶ

2015-11-12 23:30:06 | 講演・講義・フォーラム等
 テレビ番組を分析的に見る・観る・視る…(あれっ?どこかで聞いたフレーズかも?)。テレビ番組に隠された意図、それを読み解くことの大切さに気付かされた講座だった…。

           

 久しぶりである。記録を見ると実に3年ぶりに「札幌市民カレッジ」に顔を出した。それというのも、講座のテーマに興味を抱いたからだった。
 11月5日、12日の両日にわたって「テレビ番組を分析してみよう!~情報を受け取るレッスン~」という講座が開講された。会場の札幌市生涯学習センター(通称:ちえりあ)は少し遠いのだが、テーマに興味があったので受講することにした。
 講師は、札幌学院大学社会情報学部の大國充彦教授だった。

               

 まず用語の問題であるが、リテラシー(literacy)とは「与えられた材料から必要な情報を引き出し、活用する能力」のことを指すが、大國教授はメディア・リテラシーについて「メディアからの情報を『批判的に検討』する」ことと規定して話を進めた。
 それはメディアからの情報にはある意図をもって伝えられる場合があるからだとした。(特にNHKの番組にはその傾向があるようだ)  

 講座は前半に、メディア・リテラシーの必要性について概論的に論じられたが、メディアがある意図をもって情報を提供しているとしたら、メディアの受け手としてはその意図を読み解くことはある意味当然のことといえるだろう。
 そして1回目の後半ではNHKが放送し、一世を風靡した「プロジェクトX~挑戦者たち~」の第48回放送分の「液晶 執念の対決~瀬戸際のリーダー・大勝負」というシャープの技術者たちを取り上げた2001年4月17日放送分の番組を視聴した。 
 大國教授によると、視聴した番組はシリーズの脂がのっている時期の作品で、メッセージがかなり明確に形で現れていると考えられるため取り上げたという。

                    

 視聴後、大國氏は批判的に検討するレッスンとして我々受講者に、番組で描かれた対称軸を書き出すことを求めた(ex. 「日本」vs「アメリカ」、「上司」vs「部下」など) 。さらには、「プロジェクトX」という作品の意図は何かを問うた。受講者は各々に考えをまとめ、それを大國氏に提出して第一日目を終えた。

 私はいつくかの対称軸を見出すことはできたが、二日目に教授から提示されたような全てを見つけることはできず、自分の甘さに気付かされた。
 作品の意図については、「批判的に」ということも意識の中にあったので、私は「日本は当時高度経済成長期が終焉を迎え、日本全体が自信を失いかけていた時、日本の技術者たちは世界に伍して素晴らしい実績を積み重ねてきたという事実を再確認し、日本に元気を取り戻そうとした意図があったのではないか」的な趣旨のことを書いて提出した。

 11月12日(木)二日目、大國氏は我々に与えた課題の謎解きをしたが、対称軸については割愛することとして、作品の意図について「当時の社会状況は、日本という『国民国家』システムに対する自信を喪失していた時期だった」とした。そして、「日本が右肩上がりで、国民すべてが昨日よりも今日の方が豊かになったと実感できた歴史上唯一の時期、高度成長期を『公共の記憶』としようとした」と結論付けた。

 大國氏は言う。「メディアは、時に人々を支配するシステムとして機能している」と…。
 この点については、早くから多くの識者が指摘してきたところである。しかし、田口トモロオの独特のナレーションと中島みゆきの印象的なオープニングとエンディングのテーマ曲が今も記憶に残る「プロジェクトX」のようなドキュメンタリータッチの番組にもそうした意図が隠されていたとはこの講座を受講して初めて気付かされた。

 この講座を受講したからといって、私にメディア・リテラシーが身に付いたとは少しも思わない。ただ、今後は私が好んで視聴するドキュメンタリー番組にもそうした意図が含まれていることをどこかで意識しながら視聴することの大切さを教えられた思いだ。

 講師の大國教授の言を的確にレポートできたとはとても言えないが、期待どおり私の好奇心を刺激してくれた講座だった。

道民カレッジ称号取得者セミナー

2015-11-11 23:42:17 | 講演・講義・フォーラム等
 関係されていない方にとっては、どのようなセミナーなのか想像もつかないのではないだろうか? 参加した私もいま一つ理解できないまま参加していたセミナーだった。 

 私が「道民カレッジ」というシステムの中で学んでいることは拙ブログでも時折り触れている。そのシステムとは、大学や民間団体、関係機関などが道民カレッジと連携して、それぞれが実施している講演や講座、あるいは実習などについて「道民カレッジ連携講座」と銘打てば、1時間当たり1単位として認定される仕組みである。
 その単位が100単位になると「学士」、200単位になると「修士」、300単位になると「博士」といった称号が北海道生涯学習協会から授与される。そうした称号を授与された方を対象としたセミナーである。

 セミナーは昨日(10日)、今日(11日)と二日間にわたって開催された。
 内容としては、一日目が講演と演習、二日目が実践発表と交流会という内容だった。
 講演は「称号取得者に求められること」と題して、生涯学習社会に詳しい北翔大の谷川教授が務められた。「求められること」という言葉の裏には、称号取得者はカレッジ受講生の模範的な存在でなければならないと、取得者に対して自覚を求めたのだと受け止めた。

               
               ※ 講演をされた谷川北翔大教授です。

 演習については、私自身の都合で受講することができなかったが、個々のスキルアップを図る内容だったようだ。

 実践発表は、カレッジ受講者(称号取得者)自らが学習グループを組織したり、自ら講座を起ち上げ講師となったりして活躍されている方々の発表だった。
 そのうちの一つは、私も参加する「めだかの学校」の代表が発表した。
 北海道生涯学習協会によると「めだかの学校」は、自ら組織・運営し、自ら学ぶと共に、その輪を広げようとしていると持ち上げられた。私はまだ一会員として参加するだけだが、私もまた「めだかの学校」の姿勢には共鳴している一人である。

               
               ※ 実践発表者の一人、「北の歴史塾」を主宰する森山祐吾氏です。

 交流会は「セミナーに期待すること」と題して行われた。私の目から見て、この交流会がセミナーの最たる目的だったようにも思えた。
 というのは、2001年から始まった「道民カレッジ」は今や軌道に乗って(?)、称号取得者だけでも全道で368名に達するという。そうした方々の中には200~300単位はおろか、1,000、2000単位と取得されている方も多数いて、最高取得者は9,000単位を超えているという。私にとっては目も眩むような数字である。(ちなみに私は今日現在で670単位である)
 道民カレッジを運営する生涯学習協会としては、そうした取得者に対して学び続ける意欲を維持してもらうためにも新たな方策を模索しているとのことだった。そして、その試案も提示された。(ex. 道民カレッジ講師、准教授、教授などの制度の創設)

 私が道民カレッジで学ぶ主たる理由は、拙ブログでも何度か触れているが、私自身の「雑学」の領域を増やすことにある。その際、単位が集まると称号が授与されるというのは確かに一種の励みになっていたことは否定できない。
 自らの学びにおいて、私はそれ以上のことを求める気持ちなど全くなかった。 
 ところが今回参加してみて、数千もの単位を取得されている方々は、さらなる何らかの称号なり、資格なりを求める方が多いことが分かった。

 これは難しい問題である。というのも、道民カレッジは個々人の生涯学習を支援する仕組みであって、何かの資格や技術の取得を目ざす仕組みではない。だから、私自身「学士」とか「博士」とかいう称号を授与されたとしても、それは社会的には何の意味もないものと理解している。
 しかし、長い間学んできた人たちの間には、その学びの成果を何らかの形でも社会的に認めてほしいという願いが生れて来たのでは、と想像する。そういう思いが芽生えてくることもある意味理解できるが…。
 ただ、私の素朴な感想としては、「そこまで求めるものかなぁ~」というのが偽らざる思である。う~ん、難しい…。

イタリア歌曲を聴く

2015-11-10 23:11:01 | ステージ & エンターテイメント
 私にとってはどこの国の言葉か判別はつかなかったが、どうやらイタリア語で歌われていたようだ。研鑽を積み重ねた歌い手によるオペラの名曲の数々がホールに響き渡るのを聴いた。 

             
             ※ ザ・ルーテルホールのステージを休憩時に撮りました。             

 過日、旧知の亀谷さんという知人から手紙が届いた。何だろう?と訝りながら封を切ってみると、「常森寿子門下生によるコンサート」にいらっしゃいませんか?という便りと共にチケットが同封されていた。
 便りを読むと、亀谷さんの子女である「亀谷泰子」さんが出演者の一人として名を連ねていたのである。

 亀谷泰子さんについては、拙ブログにも何度か登場している方なのだが、彼女はソプラノ歌手として札幌はもとより、道内各地で活躍している方である。今年4月には、私が関わる団体の創立記念式典でも演奏していただいた方である。 
 せっかくのご好意だったので、久しぶりに彼女の歌声を聴いてみようと思った。

 ところで「常森寿子」さんとは? 調べてみると、東京藝大を卒業し、N響や日フィルなど主要オーケストラと共演するなどソプラノ歌手として第一線で活躍するほか、京都市立芸術大学で教鞭を取り、現在は熊本の平成音楽大学教授を務めながら、広く後進の指導にもあたっておられる方のようだ。
 その常森さんの指導を受けている札幌あるいは全国の門下生が集ったコンサートだった。
 プログラムに「Voce Soave a Sapporo」と記されていたが、これはイタリア語で快い、甘美な、柔らかな声という意味があるそうで、そうした耳に快い声を目ざしている教室だそうだ。(常森氏の挨拶より)

                    
                    ※ 当日のブログラムの表紙です。

 11月8日(日)午後、札幌中央ルーテル教会附属の「ザ・ルーテルホール」(大通西6丁目)というキャパシティが200前後という小さなホールでのコンサートだった。
 総勢11名の歌い手のみなさんが登場し、それぞれがオペラの曲を披露した。プロフィールによると、それぞれが各地で活躍されている方ばかりだった。
 正直に告白すると、鍛えられた歌声は私の耳にはどれも大同小異に聴こえてきた。それは、クラシックの発声法が定型となっていること。その上、一人の指導者から指導を受けた方ばかりだったからなのだろうか、と思ったのだが…。

 さて、お目当ての亀谷泰子さんであるが、11名の中では若手の方だったが、最初はゲストで招請された唯一の男性でバリトンの岡元敦司さんとのデュエットでオペラ「セヴィリアの理髪師」から「それじゃ私だわ~嘘じゃないわね?」という、オペラの中の掛け合いのような場面を二人で披露した。岡元さんのバリトンと亀谷さんのソプラノが見事に融け合っていたように聴こえてきた。

                   
                   ※ 亀谷泰子さんです。

 亀谷さんは第2部にも登場し、オペラ「ラクメ」より「マリカよ、いらっしゃい」という曲を披露したのだが、聴いている私には「そんなに高い音を出しちゃ、喉が壊れてしまうよ~」と思わず心の中で叫んだほど、私には到底考えられない高音域の声だった。
 コンサート後に、亀谷さんのお父さんとコーヒーを飲みながら語ったのだが、やはり彼女の高音は特別らしい。札幌で行われるオペラなどで高音を必要とされる役柄などでは亀谷さんが指名されることが多いとのことだった。
 なお、聴いていた方々のどれくらいの人が気付いたかは不明だが、コンサートでは塚田馨一という男性の方がピアノ伴奏をしていたが、実は亀谷泰子さんのご主人である。この「マリカよ、いらっしゃい」では図らずも夫婦共演となったのである。当人たちはそれらしいところをおくびにも出さなかったが…。

 と、私にとってやや難解ではあったが、熟達した喉の持ち主たちの歌声を堪能したひと時だった。

各地で活躍する自然観察指導員

2015-11-09 22:26:05 | 講演・講義・フォーラム等
 地域に人工湿地ができたのを契機として自然の尊さの啓蒙を図る人、火山観察活動を通して地球の営みを伝えると共に、さらに自然を学ぼうとしている人、主婦らしい発想から小さな子どもたちに自然に目を向ける活動をしている人、…。自然観察指導員として各地で活躍する人たちから話を聞いた。 

 昨日投稿した寺澤孝毅氏の基調講演の後、自然観察指導員の資格を取得した方々の地域における活動についての報告を聞いた。

 札幌市の荒井美和子さんは、平岡公園に「人工湿地」が造成されるにあたり、造成当初から市民代表として札幌市や研究者たちと共に湿地づくりに参画し、完成してからはその維持管理、そしてそこを地域の方々の学びの場とすべく、「ながぐつの土曜日」、「ツリーウォッチング」など各種の行事を積極的に開催して有効利用を図っているとの報告があった。

                    
             ※ 平岡公園の人工湿地です。

 伊達市の安藤忍さんは、NPO法人「森ネット」の自然観察会、洞爺湖有珠火山マイスターとして「地球を語る」ガイドなど、さらには自らがさらに学ぶ存在として、「学びと伝えの具体的実践」についての報告があった。

             
             ※ 有珠山の噴気の中を見学する児童たちです。

 そして旭川市の原田幸枝さんは、主婦目線から始めた「人と野生生物の関わりを考える会」での体験型総合学習フォーラムを開催したり、「パネルシアターで楽しく学ぶ野生生物」をテーマに小学校や幼稚園への訪問活動の取り組みについての報告があった。

             
             ※ パネルシアターの実際を少々実演してくれました。

 その後、基調講演をされた寺澤氏を交えパネルディスカッションが行われた。
 その中で、自然の危機について話が及んだ。自然を観察してきた各氏には、自然が病んでいる、壊されてきている、等々、危機感を抱かれていることが口々に語られた。
 その対策として、自分の生活をちょっとだけ変える、ちょっとだけがまんすることが大切だと訴えられた方。
 自然を改変しようとする動きを阻止しなければならないと強調された方。
 地域の良さを伝え、そうした環境を積極的に伝えることによって共感者を増やす働きが大切と主張された方。
 私たちは自然の加害者だと、認識することが重要と訴えた方、などさまざまな方向から自然を守ることについて熱い主張が展開された。

             
             ※ 寺澤氏を加えた4名によるパネルディスカッションの様子です。

 私は過去に何度か野幌森林公園で開催された自然観察会に出たことがある。そこでガイドしてくれる方はほとんどが北海道自然観察協議会の指導員の方だった。その方々の熱心なガイド・指導にはいつも頭が下がる思いだった。その知識も、その献身的態度も素晴らしいといつも思っていた。
 私自身、これから自然観察指導員を目ざすには少々とうが立っているが、せめて彼らが案内してくれる自然観察会にできるだけ足を運ぼうと思っている。


天売島から世界へ

2015-11-08 23:01:33 | 講演・講義・フォーラム等
 それは普通の講演とはまったく様相の異なった講演だった。画が出る、動画が出る、音が出る…。臨場感あふれる自然界の野鳥の姿を余すところなく提示しながら、自然と人間の共生を訴える秀逸の講演だった…。 

 11月7日(土)午後、エルプラザにおいて北海道自然観察協議会創立30周年記念公開シンポジウムが開催され、参加してきた。
 そのシンポジウムの冒頭に行われたのが、自然写真家の寺澤孝毅氏による「1羽の青い鳥から始まった軌跡の地球紀行」と題する基調講演だった。
 いささか大仰な講演題にも映るが、そこには寺澤氏ならではの思い入れが込められた講演題であることが講演を通じて伝わってきた。

                  
                  ※ 講師の寺澤孝毅氏です。

 講演題にあるように寺澤氏と野鳥との出会いは4才のときの青い鳥と出会ったことがその始まりだそうだ。その青い鳥はそのときは分からなかったが、ルリビタキではないかという。それ以来、氏は野生の鳥に興味を抱き、追い続けたそうだ。
 長じて教育大学を卒業した寺澤氏は野鳥が豊富に棲息する天売島に赴任を申し出たという。念願どおり天売島に赴任した寺澤氏は、文字どおり野鳥、特に天売島にのみ生息するオロロン鳥(ウミガラス)にのめり込んでいくことになる。

        
        ※ 絶滅寸前だった天売島のオロロン鳥(ウミガラス)は最近徐々に回復傾向にあるそうです。

 小学校教員として10年を過ごした天売島で過ごした寺澤氏は、そこで教員を辞して野鳥や自然を相手にする専門家として独立した。彼はこの点について多くを語らなかったが、この転身が彼にとっては人生の大きなターニングポイントだったと思われる。

 この決断が文字どおり寺澤氏に翼を与えたようだ。自由な活動の場を得た彼は自然写真家としての評価を得て、仕事の範囲がどんどんと広がっていった。これまで訪れた世界のサンクチュアリは10ヶ国を下らないという。
 その中からロシア・サハリン沖にあるチュレニー島と、北極圏にあるスバールバル諸島の野鳥たちが群舞する様子を動画と音で示してくれた。それはもう野鳥の楽園そのものだった。

        
        ※ サハリン沖にあるチュレニー島で海岸を埋め尽くすように棲息する野鳥たちです。

 寺澤氏は自らの講演のスタイルを「Photo & Sound Live」と称しているようだ。多くの言葉を要するより、多くの情報を参会者に与え、訴求力も大きいと思われる。このスタイルで寺澤氏は学校をはじめさまざまなところで講演活動を展開しているようだ。

        
        ※ 北極圏のスバールバル諸島の上空を群舞する野鳥たちの様子です。

 世界各地を旅して、寺澤氏は改めて確信したという。サハリンや北極には生命が溢れていたという。
天売島もボートで10分も島を離れれば、そこには手つかずの自然があるという。寺澤氏によるとそこは「ひとつの地球のモデル」であり、「万物共生の島が天売島」だと…。
 そんな天売島の海域にも野鳥のエサとなる小魚が減少してきているという。それは人間の活動によるところが大きいと指摘する。
 人間が生活していくための生産活動を規制することは難しいが、贅沢を戒め自然と共生するという思いを一人ひとりが持ってほしい、と寺澤氏は最後を締めた。

東南アジア 遺跡保存のお国事情

2015-11-07 16:49:27 | 大学公開講座
 講師の田代亜紀子氏は東南アジアの数々の遺跡保存に関わってきたという。数々の苦難の歴史を潜り抜けてきた東南アジアの国々では、国ごとに事情が異なり、その遺跡保存にも難しさが伴うという。それぞれの国の遺跡保存の実状を聴いた。 

 北大観光学高等研究センター主催の「記憶をめぐる観光論」の第6講が11月5日(木)夜に開講された。第6回目は「東南アジアにおける遺跡保存とアイデンティティ」と題してメディア・コミュニケーション研究院の田代亜紀子准教授が講師を務めた。
 実は先週の第5講は、私の所用のために受講を断念しなければならなくなり、2週間ぶりの受講となった。

                    
                    ※ 田代亜紀子准教授です。

 講師の田代氏は前歴が奈良文化財研究所に勤務し、アジア各国の遺跡の保存活動に奔走していて、本年4月に北大に赴任したという。
 田代氏が主に関わっていたのは、インドネシアの「ボロブドゥール遺跡」、カンボジアの「アンコール遺跡群」、そしてタイの「ピマーイ遺跡」に関わっていたそうだ。それ以外にも関係した遺跡もあるということだから、本格的な保存活動というよりは、保存活動の状況を調査した、というほうが適切な気もするのだが…。
 田代氏は一つ一つの遺跡の実状について説明した。しかし、私にとっては、先の三つの遺跡について「アンコール遺跡」は聞いたことがある程度で、他の二つについては初耳の遺跡であった。したがって地名などを聞いてもチンプンカンプン状態だった。

 インドネシアの「ボロブドゥール遺跡」であるが、中部ジャワにある仏教遺跡だそうだ。
 しかし、インドネシアはその大多数がイスラーム教徒が占めるという社会の中で仏教遺跡を保存する難しさを内包しているという。また、保存のために周りを開発しなければならないという矛盾にも遭遇しているということだった。

          
          ※ インドネシアの「ボロブドゥール遺跡」です。

 カンボジアの「アンコール遺跡群」は私が知っているくらいだから、国内からも、諸外国からも観光客が押しかけている状況のようだ。 しかし、世界遺産として価値付けと、地域社会における遺跡の価値付けに差があり、そのことが保存を難しくしている側面があるとのことだった。

          
          ※ カンボジアの「アンコールワット遺跡」です。        

 タイの「ピマーイ遺跡」はカンボジアとの国境付近に位置し、遺跡そのものもカンボジアに由来する「クメール遺跡」の一部のようなのだ。そのため、遺跡を巡ってタイとカンボジアの間に諍いが起こっているという。遺跡の保存という平和の砦を築くはずが、紛争のキッカケとなっているという矛盾を露呈しているとのことだった。

          
          ※ タイの「ピマーイ遺跡」です。

 国の実状がまだまだ不安定な国々においては、世界的な遺産の保護(保存)にもいろいろと難しさが伴うようである。そうした実状にあって、日本をはじめとする先進諸国が支援の手を差し伸べ、貴重な遺産を後世に遺していくという大切な使命があるということを学んだ今回の講座だった。

夜の北大キャンパスツァー

2015-11-06 20:26:19 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 「夜の~」と付いたので、あるいは普段見ることができない光景に出会えるのかも?という期待感で参加したのだが…。果たして何に出会えたでしょうか?結論は本文で…。

               
               ※ 薄暮の中の北大のイチョウ並木です。
 
 10月30日(土)、「北大キャンパスビジットプロジェクト(HCVD)」が主催する「夜の北大コース」というキャンパスツァーに応募した。スタートは午後4時、夜というよりは薄暮の中のスタートだった。
 参加者は中老年の婦人を中心とした8名ほど。会話からほとんどが札幌市民のように思われた。案内はHCVDの学生2名が我々を引率し、説明してくれた。

               
             ※ 薄暮のために画像が乱れています。緑のジャンパーの方が案内の大学生です。

 コースは、北13条門から、イチョウ並木→中央道→サクシュコトニ川沿い→百年記念館→附属大学図書館→古河講堂→クラーク像→農学部→北大出版会→総合博物館(改修中)→中央道→大野池→イチョウ並木(解散)というコースだった。
 私にとって特に目新しいところはなかった。敢えて言えば、大野池に注ぐサクシュコトニ川沿いを歩く小路の部分は初めて歩くところだったが、特別の目新しさは感じなかった。

 案内を受けて歩きながら、「何故、夜なのか?」という疑問が解けなかった。イチョウ並木のライトアップ期間も終わっていたし、構内もけっして明るくはなかった。
 敢えて言えば、昼間とは違った雰囲気を味わってほしい、というねらいがあったのかもしれない。

 私が得た新しい情報は、百年記念館に入っていたレストランが退去してしまったこと、大野池の傍にあるレストランエルムの平均価格が1,000円程度だということが分かったこと、などどうでもいいような些末な情報を得たにすぎなかった。
 ということで、私が期待したような光景には出会えることのなかった「夜の北大キャンパスツァー」だった。

                     
                   ※ 夜の闇に浮かぶ北大農学部の建物の正面です。

 いつも思うことだが、北海道大学は市民に対してとても開放的な大学だと思っている。市民が大学構内をこれほど自由に行き来できる大学はそう多くはないのではないだろうか?
 数年前、福岡の九州大学の近くを通ったときだった。大学正門前には「関係者以外の立ち入りを禁じます」という立て看板がいかにも当然であるというような表情をして(?)立てられていた。
 北大では建物内は別にして、こうした立て看板は皆無である。構内立ち入りを制限せざるを得ないような事故が起こらず、いつまでもこれまでのように開放的な北海道大学であってほしい、と願っている。

拉致問題を考える

2015-11-05 15:57:19 | 講演・講義・フォーラム等
 私は、人間は本来、話し合えば分り合える、誠意は相手に通ずる、という思いで生きて来た。今でも日本国内においては、そうした考えは通用すると信じている。しかし、こと諸外国との関係においては?? 

                    
                 ※ 北朝鮮拉致問題の象徴的存在の横田めぐみさんです。              
 11月1日(日)午後、京王プラザホテルで「北朝鮮に拉致された日本人を救出する北海道の会」などが主催する「拉致問題を考える道民集会」に参加してきた。
 集会は次のような構成となっていた。

 1.映画「拉致~私たちは何故、気付かなかったのか!」上映
 2.主催者あいさつ 内閣府大臣政務官             高木 宏壽
           北海道知事                高橋はるみ
           札幌市副市長               板垣 昭彦
           北朝鮮に拉致された日本人を救出する会北海道の会代表
                                川田 匡桐
 3.拉致被害者ご家族のビデオメッセージ
 4.講演      拉致被害者 松木薫さんの弟        松木 信宏 氏
           北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
                            会長  西岡  力 氏

 主催者あいさつの部分を見て、「何だ!これは一方の側の政治的アピールの場ではないのか?」と捉えてしまうと、問題の本質から目を逸らしてしまうことになる。問題は「拉致」という国際犯罪から被害者をいかに救うか、ということなのだ。

                      
                     ※ 拉致被害者、松木透さんの弟、信宏さんです。

 北朝鮮の拉致の問題について、私が得たかぎりでの情報では、何をどう考えても北朝鮮側に一方的に責任がある国際犯罪である。(北朝鮮側に何か言い分などあるのだろうか?このことに関してはおそらく何もあるまい)
 犯罪を犯しながらも、北朝鮮は拉致した人たちを返そうとしないばかりか、日本に対してさまざまな要求を突き付けてくるという厚顔さを国際社会において堂々と展開している。
 ましてや、要求が聞き入られないと、ミサイルで脅しをかけるという体たらくだ。
 これはもう、人として、あるいは国として、まともな交渉相手ではないと思うのは私だけだろうか?

 拉致被害者の一人、松木透さんの弟である信宏さんは言う。「政府を信じるしかない」と…。
 救う会の代表を務める西岡力さんは「金正恩は全てを掌握している。彼の決断がないかぎり解決はない」という。
 現在、北朝鮮は一方的な理由から公式協議の場を閉じているが、水面下では随時交渉が続いているという。政府関係者の粘り強い交渉が続いているものと信じたい。

                     
                    ※ 「救う会」の会長、西岡力さんです。
 
 しかし、これまでの経過から見ても拉致被害者家族が望む早期解決は残念なことだが難しいように想われる。
 まともな交渉相手ではない北朝鮮に対して、解決を図るためには果たして何が必要なのだろうか? 徒手空拳では限界がある?

倍賞千恵子さんが語る、歌う

2015-11-04 18:18:40 | 講演・講義・フォーラム等
 ずいぶん明るい人なんだなぁ…。それが率直な感想だった。講演会のはずなのに、無伴奏(アカペラ)ではあったけれど、話の合間に歌を入れながら、温かな空間を創り出した倍賞千恵子講演会だった。 

                    

 10月30日(金)夜、ホテルさっぽろ芸文館において、女優で歌手の倍賞千恵子さんの講演会が開催され、参加してきた。講演題は「歌うこと、演じること、そして生きること」と題しての講演会だった。主催は北海道労働者福祉協議会である。
 私が会場に着いたのは開演15分前だったが、すでに大ホールの前方は満席で演題から遠く離れたところにしか座席は残っていなかった。(そこからは彼女の表情をうかがうのは難しかった)

 講演が始まっての第一声、「若い!」その彼女は1941年生まれである。ということは当年74歳のはずである。(プロフィールに生年の記載を承諾した彼女の潔さに好感を持った。あのタマネギおばさんは文化功労章に名を連ねながらも年齢を公表していない)
 とてもそのような年代の声とは思われない。歌手としてボイストレーニングに励んでいる成果なのだろうか?

               
               ※ 講演中の彼女を望遠でゲットした唯一の写真です。

 彼女はデビュー当時からのことを懐かしそうに語った。
 小学生時代に姉の付添いのようにして出場したNHKのど自慢で合格し、みすず合唱団に所属しレコードデビューを果たしたこと。その後、松竹音楽舞踊学校を首席で卒業して、松竹歌劇団(SKD)に所属したこと。そこから松竹映画にスカウトされたこと。などなどを懐かしそうに、楽しく語った。
 そのお話をする間に彼女は何曲歌ったろうか? 幼少時代に近所のおばちゃんたちの前で歌った「赤城の子守唄」をはじめ、「リンゴ追分」、「里の秋」等々…。「里の秋」には、戦意高揚の詩や戦地に赴いた肉親を想う詩などの裏歌があるとして、それも披露してくれた。

 倍賞家はけっして豊かではなかったが、両親は子どもたちの才能を引き伸ばすことを積極的に支援する考えの人だったようだ。彼女の妹で俳優の倍賞美津子、弟たちは猪木事務所の社長を務めた倍賞鉄夫、元日産自動車野球部監督の倍賞明、とそれぞれの分野で活躍している。
 高校野球ファンの方なら記憶にあるだろうが、日大三校の三番、一塁手としてシェアの打撃で、甲子園の春に準優勝、夏にベストエイトに進出するのに貢献をしたのが弟の倍賞明選手だ。そのことを倍賞千恵子さんも誇らしそうに語った。

 倍賞さんの代表作でもある「男はつらいよ」は27年間で実に48作に上ったという。彼女はその中で世間や社会のことを学んできたという。
 最近、寅やさくらの出生の様子はどうだったのだろうか、という疑問に山田洋二監督が寅さんの口調を借りて一つの物語を書き上げたそうだ。その文章を彼女は朗読したが、自らの出生の秘密を語る寅さんの口調が物哀しく、寅さんの破天荒な生きざに隠された真実を教えられたような気がした。

             

 倍賞さんは中標津に別荘を建てて、夫であり音楽家の小六 禮次郎氏と年に何度も訪れ、北海道を満喫しているそうだ。彼女は北海道(道東)の魅力を“夏と冬の段差”と称したが、季節感をどこよりも感じられるということなのだろう。彼女は道東を選んだ理由については語らなかったが、私は映画「家族」で極寒の冬と緑が萌える春のロケを体験することで道東にゾッコンになったのではと想像している。

 最後に彼女はあいだみつおの「いまから ここから」いう言葉を紹介し、自分の来し方を振り返りながら、これからも「いまから ここから」の気持ちで生きていきたいと語った。ただし、無理しない、我慢しない、頑張らない、をモットーとしながら…。

 誰もが彼女の温かな人柄に触れながら、会場全体も温かな空気に満たされた90分間だった。

勝海舟の「氷川清話」を読む

2015-11-03 16:56:16 | 大学公開講座
 勝海舟の晩年に語った歯に衣着せぬ人物評論である。文体が口語体だったこともあり、私にでも読むことができ、意味も良く分かった。また、海舟の人柄にも触れることができたような「氷川清話」だった。 

                    
                   
 札幌学院大学のコミュニティカレッジ「古文書に見る歴史が動いた瞬間」の第3回講座が10月29日(木)午後、札幌学院社会連携センターで行われた。講師はもちろんノンフィクション作家の合田一道氏であるが、この日のテーマは「海舟『氷川清話』を読む」だった。

 「氷川清話」を著したのは吉本襄という土佐陽明学派の研究者とされている。ところが講座において講師の合田一道氏は巌本善治の名を挙げたので私の中では混乱した。
 帰宅して調べてみると、巌本善治は海舟宅に足繁く通い「海舟座談」を著した人である。対する吉本襄は海舟とも会っているようだが、むしろ海舟の弟やファンが海舟から聞き出して新聞や雑誌に発表されたものを、口語体に直し、編集した上で著したものが「氷川清話」のようなのである。したがって、吉本の「氷川清話」はいかにも都合よく編集されていたため信憑性について後々疑義が呈されてもいるという。

 しかし、今回の講義で手渡された資料は、できるかぎり手を尽くして調べてみたが、どうやら吉本襄作の「氷川清話」のようである。海舟の晩年の談話を採録したということで多少誇張された表現もあるが、面白く読むことができた。
 「氷川清話」の中では、幕末から明治にかけて活躍した多くの人物が語られているが、その中から彼が「恐ろしい人物二人」と題した部分を一部抜き書きしてみる。

 おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人見た。それは、横井小楠(しょうなん)と西郷南洲(なんしゅう)とだ。
 横井は、西洋の事も別に沢山は知らず、おれが教へてやったくらゐだが、その思想の高調子な事は、おれなどは、とても梯子を掛けても、及ばぬと思った事がしばしばあったョ。おれはひそかに思ったのサ。横井は、自分に仕事をするひとではないけれど、もし横井の言を用ゐる人が世の中にあつたら、それこそ由々しき大事だと思ったのサ。
 その後、西郷と面会したら、その意見や議論は、むしろおれの方が優るほどだッたけれども、いはゆる天下の大事を負担するものは、果たして西郷ではあるまいかと、またひそかに恐れたよ。
 そこで、おれは幕府に閣老に向って、天下にこの二人があるから、その行末に注意なされと進言しておいたところが、その後、閣老はおれに、その方の眼鏡も大分間違った、横井は何かの申分で蟄居を申し付けられ、また西郷は、漸く御用人の職であって、家老などいふ重き身分をでないから、とても何事も出来まいといった。けれどおれはなほ、横井の思想を、西郷の手で行はれたら、もはやそれまでだと心配して居たに、果たして西郷は出て来たワイ。
 (後略)
               
                    

                    

 この後、長々と二人の人物批評が続く。特に海舟は西郷の傑物ぶりにはいたく感じ入り、西南戦争で自決したことを惜しみ、自宅近くに西郷の銅像まで建てたそうだ。

 ところで坂本龍馬の師でもあった海舟は龍馬をどう見ていたのだろうか?他のところで詳しく扱っているのか分からないが、手渡された資料ではほんの少し触れているだけである。「土佐と肥後」と題したところでちょっとだけ顔を出している。

 土州では、坂本と岩崎弥太郎、熊本では横井と元田だらう。
 坂本龍馬。彼(あ)れは、おれを殺しに来た奴だが、ななかなか人物さ。その時おれは笑つて受けたが、沈着(おちつ)いてな、なんとなく冒しがたい威権があつて、よい男だつたよ。
 元田永孚(ながざね)。温良恭謙譲の人で、横井は反対(アベコベ)に乱暴な人だつた。しかし年老つてから、あゝいふ風に変つて、今ぢやア横井、横井と人がいふやうになつたが、若い時は、カラしかたがなかつた。
 

 文章からは、海舟の人を見る確かさと、他からも聞こえてくるようにやや大言壮語的なところも垣間見える内容である。しかし、それがまたこの本に惹き込まれる要因でもある。機会があれば全文にあたってみたいと思った。

 これで今年の合田一道氏の講座も終了した。かなりのご高齢になる合田氏だが、まだまだ元気である。その合田氏が「私が元気であればまたお会いしましょう!」との言葉で解散した。