田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

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映画 187 動乱

2017-01-19 16:22:03 | 映画観賞・感想

 映画は1936(昭和11)年2月26日に起こった日本の陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1,483名の下士官 兵を率いて引き起こしたクーデター未遂事件をベースとした映画である。しかし主たるテーマは、時代に翻弄された青年将校とその妻の愛と生きざまを綴った叙事詩の様相を呈した映画だった。 

                    

 1月16日(月)午後に行われた「めだかの学校」の新年最初の「映画の中の北海道・昭和編」で取り上げられたのは1980(昭和55)年に公開された「動乱」だった。
 映画は第一部「海峡を渡る愛」と第二部「雪降り止まず」の二部構成となっている。

 第一部で仙台連隊の宮城大尉(高倉健)は、部下思いの上官だった。
 ある夜、宮城の隊の初年兵・溝口(永島敏行)が脱走する。溝口は姉・薫(吉永小百合)が千円で芸者に売られるのを知って、死刑覚悟で姉会いたさに脱走したのだった。
宮城は何とか溝口を助けようとするが、溝口は捜索隊の上官を殺してしまい、銃殺刑に処されてしまった。宮城は父・広介に用立ててもらった千円を香典として薫に渡した。

 宮城は脱走兵を出した責を問われ、朝鮮の会寧地方に飛ばされた。当時、朝鮮は日本の領土で、戦いの最前線だった。宮城はそこで、芸者になった薫と再会する。溝口の死後、薫の父も亡くなり、借金を返しきらないまま芸者になっていた。
 最前線では、軍事物資が相手方の朝鮮ゲリラに横流しされ、一部の将校が私腹を肥やしていた。戦場には薬も弾も食料も届かず、宮城は焦っていた。そんなとき薫が自殺を図ったが、宮城は薫を救った。

               

 第二部で、宮城は日本に戻り、薫と同居するようになった。(夫婦関係はない)宮城の元には多くの青年将校が集まり、国家の改革について熱く語り合う。青年将校の中には、「時来たる」という者もいれば、「時期尚早」という者もいた。
 宮城は皇道派の恩師・神崎の元を訪れる。宮城は「やるべきときが来た、国軍を腐敗させた原因は統制派だ、水沼閣下(軍務局長)は自分が切る」と決意。しかし、神崎は「水沼は自分が切る、宮城は青年将校をひとつにまとめることに成就してくれ」と言う。そして数日後、神崎が単身陸軍省に赴き水沼の暗殺を果たす。

 その後、宮城は神崎の軍務局長暗殺に関わっているとして憲兵に呼び出され、毒を盛られ昏睡状態に陥る。しかし、薫の手厚い看護で何とか一命を取り留める。
 一連の軍務局長暗殺事件を受け、青年将校たちの昭和維新への機運は一気に高まり、決起を決めた。決行が決まると、宮城は実家に帰り父に薫のことを頼むと言い残し、その後初めて薫を抱く。
 昭和11年2月26日、決起した約1,500人の青年将校らは陸相官邸、警視庁、蔵相、内大臣私邸、首相官邸などを襲撃した。
 これら皇道派は「天皇のために」と立ち上がったのだが、天皇はこの行動に対して激怒し、宮城らは「反乱軍」のレッテルが貼られ、逮捕されて軍法会議かけられる。
 審議は全て非公開で一審即決で宮城以下15人は反乱罪により死刑の判決が下る。
 判決後、薫が宮城の面会に訪れる。そこで薫は、先日正式に宮城と籍を入れたという。
 そして7月12日、死刑が執行された。

               

 第一部、第二部合わせて150分の大作である。
 混乱を極める昭和初期にあって、軍の青年将校たちの指導的立場にいた宮城は時代の波に翻弄されながらも、寡黙に、無骨に、妻との愛を大切にしながらも運命に身を委ねたのだった。
 映画の最後に写真のようなテロップが流れる。

               

 その後の日本の行く末を考えると、いわゆる226事件は日本における大きな曲がり角に起こった事件だったことがよく分かる…。